いわゆる内視鏡手術は開腹手術より身体への侵襲が少なく負担が小さいといわれている。しかし,視野が狭いことや手技が難しいことなどから開腹に比較して数段の熟練が要求される。医師であれば誰でも出来る術式ではない。その意味では「未完成(不完全)」な術式なのである。そして担当医が自身の熟練度を十分に認識していないか,あるいは開腹などエスケープすべきなのにその判断を誤った場合,思いもよらない甚大な被害が結果することが多い。被害患者などの憤りは一層大きくなる。私は前立腺肥大と子宮筋腫の2件の被害救済例を経験したが,この場合の私たちの仕事は,被害救済は当然として,このような未完成な術式を採用する医師たちに対して謙虚さとあくまでも患者の利益を第一とする姿勢・自覚を求めることにあると考えている。
過労死事案では労働実態の立証が出来るか否かが決め手である。どんなに酷い労働実態であると主張しても残業時間や休日出勤の詳細を示す資料等による裏付けがなければ証明したことにならない。最高裁まで争って大企業相手に勝ち取った事件の決め手も本人が残していた詳細な就労日誌だった。画期的な勝訴判決であり,過労死基準の変更の契機となった事件であったが,本人の半身の運動麻痺は残ったままであった。満足感とともに無力さも感じた(事後的救済の限界)。
「離婚する」と入れ込んでいる依頼者から丁寧に事情を聴き取る。そして事情を整理し,それを依頼者に投げ返す。その過程で依頼者の当初の激情が収まったり,相手の言い分を冷静に判断できるようになることがある。そのうえで弁護士は重ねて離婚の意思を確認する。時に離婚を思い止まるよう勧めることもある。弁護士の職務は依頼者の利益を実現することではなく依頼者の「正当な」利益を実現することである。「正当な利益」には依頼者の依頼と反することが稀にあることがある。ある事案では,事務所で夫婦二人だけで話し合う機会を設けて話し合ってもらった結果,やり直してみることになった。着手金は逃がしたのか知れないが,私は大いに満足であった。
この分野では,法的手段と住民運動の両輪が揃って効果的な反対運動が可能となる。住民としては,組織体の結成,署名など街頭活動,継続的な機関紙による情宣,講師を招いた集会の開催,行政や自治会などへの働きかけなど多様な活動が考えられる。これら住民に期待できる活動がほぼフルコースで実行できたことと法的手続を粘り強く続けた結果,住民の要求をほぼ実現することができたことがあった。まさに理想形であった。この事案に学んだ経験は私の大きな財産となっている。
愛人と謀って夫を殺害した国選事件が突然に飛び込んできた。初めての殺人事件である。事実に争いはない。手続にも違法などは見当たらない。弁護士は情状事実の何に焦点を宛てて弁護活動をしたらいいのか?真剣に悩んだ。何度も接見して,夫が家庭を向いていなかったこと,生活費も十分に入れなかったことに絞った。それら事情を明らかにするために詳細に書証と証人・被告人尋問をすることを請求した。幸い裁判所も何期日も付き合ってくれた。量刑は軽くなかったけれども被告人は十分に発言も主張も出来たと喜んでくれた。量刑を軽くするだけが刑事弁護ではないことを学んだ事件であった。ちなみに現在の裁判員裁判ではここまで十分な審理時間を確保できないのが実態である。非常に残念であるし,私は制度的欠陥であると考えている。