事務所トピックス
弁護士 折本 和司

コロナ危機に対して、後手後手で不十分な対応を重ね、国内外で批判を浴びている安倍政権が、緊急性の高いコロナ危機への対応をおろそかにしたまま、どさくさ紛れにでたらめな法改正を強行しようとしました。

その内の一つは、検察官の定年延長法案ですが、ほかにも種苗法の改悪という問題があります。

それぞれ、看過し難い重大な問題を含んでおり、多くの反対意見があるにもかかわらず、また、今は何より、多くの国民の命や健康、そして経済的基盤が危殆に瀕しているといっても過言ではなく、機敏できめ細やかな対応が必須であるコロナ危機の真っただ中であるにもかかわらず、よりによってこのタイミングでどさくさ紛れに国会に上程し、成立を強行しようとしたのです。

このタイミングということ自体、国民の健康や生活を守る覚悟がないのだという意味でとんでもないことですが、それぞれの法案が、不要不急どころか、有害で亡国的なものだということがさらに大問題なわけです。

というわけで、今回は、この問題を取り上げてみます。

 

まず、検察官の定年延長法案ですが、この法改正の目的が、時に国家の権力者の不正をも断罪することができる検察という組織を時の為政者が牛耳るためにほかならないことは、この法改正の議論の経緯を見れば明らかです。

とりあえず、今国会での成立は見送られましたが、秋以降の成立を目論んでいる節もありますし、的外れな議論がされていると感じるところもありますので、経緯を振り返りつつ、この問題の本質を考えてみたいと思います。

この法案が出てくるきっかけは、今年の1月末の時点で、安倍政権が、「検察庁の業務遂行の必要性」を理由に、63歳を迎える東京高検検事長の黒川弘務氏の定年を半年延長する閣議決定をしたことにあります。

現在の検察トップである稲田伸夫検事総長は、今年の7月に交代時期を迎えるため、黒川氏の定年が8月初めまで延長されれば、稲田検事総長の後釜に据えることが可能になるので、そのための閣議決定ではないかとの疑念が抱かれることになりました。

そもそも、検察庁法は定年を63歳と定めており、しかも同法には定年延長の規定はないので、その点を指摘されると、安倍政権側は、定年延長の根拠は国家公務員法であると説明します。

しかし、直後、安倍政権側の説明は、かつての政府答弁と矛盾することが明らかとなります。

1981年に当時の政府が、「国家公務員法の定年延長は検察官に適用しない」と国会で答弁しており、人事院も、この政府答弁が現在も生きていることを明言したのです。

つまり、黒川氏の定年を半年延長するとの閣議決定自体、法律違反の疑いが強くなったのです。

これについて、森雅子法相は、この法解釈を変更したと強弁し、書面の存在について確認を求められると、口頭で法解釈を変更したとまで言い張り、国会の議論は当然ながら紛糾することになります。

そうした経緯の後、突如として出て来たのが、国家公務員法の改正とくっつけた形での検察官の定年延長法案だったわけで、しかも、安倍政権は、自身がコロナ危機への対応で右往左往しているその真っただ中であるにもかかわらず、唐突に国会審議にかけ、強行採決を目論んだのです。

 

この法案について安倍政権を擁護する意見もありますが、およそ中立公正な視点からの意見とはいえませんし、大局観を欠くものであることは明らかです。

何よりも、検察官は、裁判官と同様、国家公務員であることに変わりがないにもかかわらず、なぜ他の国家公務員と同じ扱いがなされていないのかという視点が肝心なことなのです。

検察庁法が、裁判所法と同様、国家公務員法とは別に成立し、いわゆる一般法と特別法の関係にあるのは、検察が司法の一翼を担う機関であるからにほかなりません。

かつてトマス・ジェファーソンも述べたとおり、権力が常に乱用され、国民の利益を大きく損ねることがある以上、権力の乱用を監視し、制裁を加える権限を司法が有することは、三権分立の鼎であり、司法は、立法、行政から独立した存在でなくてはなりません。

そのためには、検察の人事権が、時の政治権力に握られ、検察のトップが政治権力の言いなりになってしまうという仕組みに変えてしまうことは、三権分立の実質的崩壊といっても過言ではありません。

裁判所は、逮捕状を出すこともできますし、起訴された被告人を裁くことはできますが、それは捜査機関が令状を請求し、検察官が起訴をすることが前提であり、裁判所自体は受け身の組織なのです。

ということは、検察が、政治権力の言いなりになって、重大な汚職や公職選挙法違反などを摘発せず、起訴もしないということであれば、裁判所の出番はなく、権力者はやりたい放題になってしまいます。

安倍政権が、ここまで露骨なえこひいき人事を強行し、このタイミングで法改正にまで踏み込んだことがいかに危険なことは明々白々です。

この点、検察の独善、横暴や、いわゆる人質司法を問題にし、安倍政権側のやり方を擁護する意見もありますが、それは問題の本質を理解しないか、意図的に論点をすり替えようとするもので、明らかに間違っています。

現在の検察実務にいろいろと問題があることは、刑事事件を扱っている私たち弁護士が常々感じていることでもありますし、事務所のホームページなどで取り上げたこともありますが、検察が政治権力と一線を画することを人事権の面で制度的に保障することとは別の問題であり、別の方法で解決すべきことだからです。

たとえば、取り調べの可視化や弁護士の立ち会いを認めるなど、自白強要を抑制する方法はいくらでもありますし、人質司法といわれる身柄拘束のあり方についても、特に裁判所の実務を見直すことで変えて行くことは可能ですし、そうあるべきです。

民主党政権時代に、検察側は取り調べの可視化に抵抗していますが、検察の独善、横暴による人権侵害を防ぐための制度については、国会できちんと議論を尽くして進めて行けばよいのです。

しかし、今回の検察庁法改正は、まったく問題性が異なります。

時の政治権力の言いなりになるような検察がいかに危険なことか、それを実現しようとした、腐敗した安倍政権の目論見が如何に亡国的な愚行であるかは明らかです。

ただ、それに対して多くの国民が声を上げ、ひとまずということではありますが、この亡国的愚行を阻止できたことは本当に意味のあることだと思います。

 

関連しますが、この問題で、小泉今日子さん、浅野忠信さんら多くの芸能人の方々が声を上げたことを批判する人もいますが、とんでもないことです。

一人一人の国民が、政府の横暴に対して声を上げることは当然の権利ですが、芸能人の方々に対してとても失礼な批判であるとも思います。

実際、芸能界に身を置かれる人たちは、テレビを含むマスコミ、スポンサー、芸能プロダクション、広告代理店などの力関係に翻弄され、芸能プロダクションとの契約関係でも不利な立場に置かれる等、いろいろな意味で世の中の不合理、不公正と向き合わざるを得なくなることが多いはずであり、それゆえ、社会の仕組みや政治のあり方について関心を強く持つようになる比率は他の領域に属する方よりも必然的に高くなってしかるべきだからです。

また、その一方、芸能人が時の政府の方針に反対するような政治的意見を述べるということは、テレビ、スポンサー、芸能プロダクション、広告代理店などの不興を買う危険があり、また人気商売でもあるため、視聴者からの心無いバッシングを受ける危険もあるわけで(最近は特にインターネットでの匿名のバッシングがエスカレートするという恐ろしさもあります)、下手をすると、あっという間に仕事や居場所を失いかねないリスクと背中合わせなわけですから、種苗法改正に疑義を唱えた柴咲コウさんや、芸能人の人権、芸能文化を守るために声明を出された西田敏行さんらも含め、今回のコロナ危機以降に、芸能人の人たちが公的に声を上げるということは、本当に勇気の要ることだと思います。

ですので、今回の芸能人の方々の勇気ある行動に対しては、まず心より敬意を払うべきだと思いますし、仮に個々の意見については違った考えを持っておられるとしても、私たち視聴者は、声を上げた芸能人の方々が、今後居場所を失うことがないよう、しっかり応援してあげなければいけないと強く思うのです。

 

最後に、今回、いったんは強行裁決を断念しましたが、安倍政権は、検察官の人事権を牛耳るための法案成立をあきらめていないようです。

しかし、国民の権利を守る最後の砦である司法の崩壊を招くことが確実な悪法の制定を決して許してはいけません。

あと、そもそも、定年延長ができないのに、定年延長の閣議決定をしてしまったくらいですから、より巧妙な形で実質的に検察の人事に手を突っ込んで来ることも十分にあり得ることです。

ですので、そうした脱法的な手法で司法を骨抜きにしようという企みについても、引き続き監視し、声を上げなくてはいけないと思います。

長くなりましたので、種苗法の改悪の問題はPART2で取り上げます。

 

2020年05月23日 > トピックス, 日々雑感
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