この夏最大の話題のドラマとなっているTBS日曜劇場の「VIVANT」ですが、主演の堺雅人さんや阿部寛さんのファンだということもあり、またそれとは別の興味もあって、放送開始から毎回欠かさず観ております。
ドラマとしてみても、毎回あっと驚くような展開や仕掛けがあって非常に面白いと思いますし、ともすればちまちまと日常風景の中での出来事をなぞるようなここのところの日本のドラマと違って、スケールが大きく、テンポもよくてとても見ごたえがあります。
あと、なんといっても、堺雅人さん、阿部寛さんをはじめ、非常に芸達者な役者さんが揃っていて、その熱い演技力でぐいぐい惹きこまれるのも大きな見どころといえるでしょうし、話題となっている伏線と考察の盛り上がりも一興といえます。
ただ、何より私が興味を惹かれるのは、「VIVANT」が、自衛隊の裏組織とされる「別班」を扱っているということです。
この「別班」は、非合法組織と言われているだけに、それをどのような切り口で描くのかは、単なるエンターテインメントでは済まないところがあると思うからです。
なので、今回はそうした視点から「VIVANT」を取り上げてみたいと思います。
この記事の時点で「VIVANT」はすでに7回目の放送を終えていますが、実のところ、「別班」をどのように位置づけて描こうとしているのか、その全体像は未だ見えていません。
主演の堺雅人さんが「別班」の人間ということなので、普通に考えれば、正義のための組織のような描かれ方になる可能性もあります。
最もわかりやすい図式で言えば、国際テロ組織とされる「テント」と日本の警察組織の「公安」、そして「別班」の間の三つ巴のような展開が考えられます。
しかし、私はそのような展開にはならないと予想していますし、あの福澤克雄さんが練りに練った原作だけに、シンプルな勧善懲悪ドラマになるはずはないでしょう。
実際、第7回の終盤あたりでも、今後、一筋縄で行かないだろうなと匂わせる衝撃的な展開がありましたが、「別班」という組織を巡る複雑な背景(もちろん、それ自体はフィクションということになりますが)が明らかにされるに違いないというのが現時点における私の予想です。
ただ、ドラマの筋書きの予想というよりは、「別班」を単純な正義の味方のように描くことについては、やはりそれはあってはならないというのが私の願いでもあります。
なぜならば、この「別班」という組織は、実在するのであれば、憲法が定めたシビリアンコントロール(文民統制)の枠組みから逸脱する存在と考えるからです。
私がこの文章を書こうと思った理由もそこにあります。
そもそも、憲法66条がシビリアンコントロールを定めたのはどうしてかということを過去の歴史を踏まえて理解しておく必要があります。
それは、かつて、日本の軍部が力をつけ、暴走して、あの悲惨な太平洋戦争を引き起こしたことへの反省を教訓として、軍人、あるいは元軍人が権力の中枢に入ってはならないということであり、それゆえ、憲法に、わざわざそのような規定が設けられたという経緯なのです。
もちろん、文民のみと制限しても、侵略戦争を厭わないような人間が権力を握る可能性はあるわけですが、軍部を代表するような人間が権力中枢を担わないと定めておくことの「歯止め」としての意義は非常に大きいといえます。
このシビリアンコントロールの規定に従えば、内閣が承知しないような諜報機関のような組織が存在すること自体、非常に危険なことで、憲法上決して容認できないことといえるわけです。
ただ、ネットの記事やコメントを見ていると、緊張感の高まっている国際情勢の影響もあってか、「別班」のような組織が必要であるとシンプルに肯定的にとらえている人も少なからずいるように感じます。
しかし、大切なことは、諜報的な活動をする組織が存在していいかどうかということと、そうした活動をする組織について主権者たる国民が知り、チェックし得るようにしなくてはならないかどうかということは、分けて考える必要があるし、まったく意味が異なるのです。
国民が知り得ないところで、「別班」のような組織が暴走することを容認するようなことがあってはならないし、そのためのシビリアンコントロールなのです。
まあ、ドラマごときで、そんな原則論を振りかざすこともないだろうといった醒めた意見をお持ちの方もおられると思いますし、私自身、ドラマそのものについては、「007」や「ミッションインポシブル」のように楽しめばいいと思ったりもするのですが、やはり時に非合法な活動を厭わないとされ、シビリアンコントロールから逸脱する存在と位置付けられている「別班」だけに、単なる娯楽作のような描き方はされないだろうし、そうあってはならないと思うようになったわけです。
実は、私なりに、あと2週間余り後にやって来るドラマのエンディングを予想したりもしていますが、どうかシビリアンコントロールの大切さをどこかで感じられるような結末であってほしいと、そんなことを思いながら、引き続き、「VIVANT」をわくわくと楽しみつつ、視聴して行きたいと思っています。
そして、ドラマがエンディングを迎えたら、あらためてこちらで取り上げてみるつもりです。