事務所トピックス
弁護士 折本 和司

Part1に続き、原爆が広島や長崎に投下された経緯について書いてみたいと思います。

原爆投下に至る経過については、Part1でも触れましたが、投下を決定したトルーマンが大統領に就任したのが1945年4月、爆発実験の実施、成功が同年7月、広島への原爆投下は8月6日と、戦争の末期ですでに戦後処理について、連合国側で駆け引きが繰り返される中での極めて短期間の政治決定でした。

 

ご存じの方もおられるかもしれませんが、その中で、同年6月にアメリカの高名な科学者たちが作成し、大統領諮問委員会に提出した「フランク・レポート」と呼ばれるものがあります。

この「フランク・レポート」の中で、彼らは「日本への原爆投下を思いとどまるべきだ」という提言をしています。

しかし、その提言は採用されることなく当時の大統領であるトルーマンは原爆投下を決定します。

この背景に何があったかですが、その一つとして指摘されているのはトルーマンは黄色人種に強い偏見を持っていたということです。実際、彼は「けだものと接するときはけだものとして扱うしかない」(ここでいうけだものとは日本人のことを意味しているそうです)と手紙に記しています(ほかにも、戦後、トルーマンは原爆投下に関するファイルに「ジャップ爆弾事件」という差別的なタイトルをつけていたそうです)。

また、もう一つ見逃せないのが、戦後にアメリカのエネルギー省によって作成されたレポートです。それによると、第二次世界大戦当時のアメリカ政府は、広島、長崎への原爆投下を「実験」として位置づけています(もっとも、「実験」という記載はその後用いられなくなります。さすがにまずいと考えたのかもしれませんが)。この実験という言葉の意味ですが、普通に読めば、広島、長崎への原爆投下は、人類史上初めて作られた核兵器の実際の威力、環境への影響を検証するための行為だったと解釈されます(トルーマン自身、原爆投下後に「実験は大成功だった」と述べていたという話もあります)。

実際、アメリカは終戦後すぐに広島長崎に入り、以後、現地において非常に詳細な調査を行っています。原爆症認定訴訟の中で私たちが裁判所の手続で入手した放射線影響研究所(放影研)のレポートは、戦後のアメリカによる調査の資料を引き継いで保管していたものですが、その調査記録は、個々の被爆者に関する被爆当時の状況から被爆後の健康状態に関する追跡調査も含め、驚くほど詳細なものとなっていました。原爆投下直後からこのような詳細な調査が行われていたことは、広島、長崎への原爆投下が、まさに「実験」だったことを示しています(さらに、戦後のアメリカによる被爆者に対する調査は、放射線の影響を「研究」するためのもので、被爆者の放射線被害に対する治療は原則として行っておらず、2017年になって、放影研はそのことを公的に謝罪しています)。

 

ただ、振り返って考えてみると、もしアメリカにとっての当時の敵国が日本ではなく、ドイツ、イタリアであったなら、この「実験」は行われなかったのではないでしょうか。

トルーマンが根深い人種的偏見を持っていたことが、「黄色人種相手なら、無差別殺戮となるような実験を行っても構わない」との発想となり、「フランク・レポート」のような原爆投下に反対する意見があったにもかかわらず、それに耳を貸さず、究極の大量殺戮兵器である原爆を広島と長崎に投下するという決断へとつながったともいえるのではないでしょうか。

 

ところで、原爆投下を止めるようにと提言した「フランク・レポート」の中には、他にも注視すべき重要な記述があります。

まず、同レポートでは「原爆の情報をアメリカが独占するのではなく、オープンにして国際管理を進めるべきだ」という提言がなされており、その理由として、科学者たちは、「科学技術の独占は極めて困難なので、結局のところ、いつか敵国にも共有されることになる。それならば先手を打ってソ連などが開発できていない現時点で、仲間に引き込んでしまって、世界でこの兵器を管理してしまうほうが現実的だ」と主張します。

さらに示唆的なのは、「デモンストレーションであれ実戦使用であれ、原爆をいったん使用したらその時から原爆開発・軍拡競争が始まる。世界の各国はあらゆる資源と技術をためしてより威力のある原爆をより効率的に安価に数多く作ることに取り組む。さもなければ、自国を守れないからだ」との記述です。

まさに、この「フランク・レポート」を作成した科学者が予期し、危惧したことが、今、この地球上で起きている現実となっているわけです。

 

振り返ってみれば、もしあの時のトルーマンが、この「フランク・レポート」をきちんと受け止め、自身の偏見に囚われず、核兵器のもたらす未来に関する洞察力や大局的な視点あるいは他者の指摘に耳を貸す謙虚さを持つ指導者であったならば、核兵器開発競争に明け暮れ、核抑止力と称して脅しを掛け合うような未来ではなく、もっと融和的な異なった世界が築けたのではという気がしてなりません。

指導者の選択も含め、人は時として誤った道を選びます。しかし、そこであきらめず、おかしいことに対しては声を上げ、変えていく努力をするしかないわけで、今からでも遅くないと信じ、「フランク・レポートで述べられているような仕組みを作るために人類の叡智を結集しなくてはならない」、被団協のノーベル平和賞受賞の報に接して、あらためて痛切にそう考えています。

いつの時代であれ、その時代を生きている私たちには、目の前の現実に囚われず、次の世代のために理想を求めることを忘れず生きていく責任があるからです。

 

2024年11月24日 > トピックス, 日々雑感
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