過払い金返還請求のテレビCMで知られる弁護士法人アディーレとその代表者が懲戒処分を受けたというニュースが大きく報じられています。
一般の人はどう感じるかわかりませんが、かつて弁護士は広報宣伝活動そのものを禁じられていましたし、このような派手な広告で集客するというのは仕事の性質上そぐわないと思っている立場からすると、アディーレなどの一部の弁護士のこうした手法には違和感を覚えるところではありました。
今回の懲戒処分は、この宣伝のやり方、内容に関するものですが、スポットでも数百万円といわれるテレビCMを多用するという発想の延長線上で、感覚がマヒしていたところもあるのかもしれません。
ただ、合格者が増え、過当競争が起きてしまっている現在の弁護士の業界の状況からすると、事件の依頼を受けるために、多少なり集客的な活動に取り組むことについては、特に若手の弁護士にとっては、背に腹は代えられないところもあるだろうというのが、また偽らざる実感でもあります。
では、なぜこんな状況になってしまったのかといえば、端的に言って、「検証なき合格者の増員」を司法改革の名の下に進めた結果であることは明らかだと思います。
かつては年500人弱であった合格者を暫定的に少しずつ増員していたのが、新司法試験制度になってから一気に年2000人越えにしてしまったのですから、それまでの弁護士の世界では、就職自体に難儀することはあまりなく、給料をもらいながら先輩弁護士からの指導を受けて実務経験を積みながら力をつけることができていたはずのところが、この極端な増員を機に状況は激変してしまったのです。
実際、都市部の一般事務所では、新人を受け入れる余力はあっという間になくなってしまい、行き場を失った新人弁護士は借金を抱えたまま、「ノキ弁」(給料をもらわないで既存の法律事務所に場所だけ貸してもらうやり方)にならざるを得なくなったり、「即独」(どこの事務所にも所属せず、いきなり独立するやり方)せざるを得なくなったりということが当たり前になってしまいました。
今回のアディーレには170人以上の弁護士が所属しているようですが、こうした事務所が拡大戦略を取れるのも、行き場のなくなった新人弁護士が増えてしまったことと決して無関係ではないでしょう。
このような状況を見るにつけ、改めて強く感じることは、一人一人の弁護士が力をつけ、良い仕事をして行くためには、弁護士の世界に内在するはずのギルド的な仕組みが有効に機能することが大切なのではないかということです。
なお、「ギルド(Guild)」という言葉の元々の意味は、専門職の閉鎖的、排他的な組合というようなことだったと思いますが、ここでは、排他的に業界の利益を守りたいという趣旨ではなく、上の世代から弁護士として有すべきスキル(熟練の技術)が継承されて行くための、弁護士界の仕組みという意味で使っています。
そもそも、弁護士の扱う仕事は、様々な社会の利害に関わる重要な仕事であり、その一方で、実務において、そうした事件を扱うための熟練の技が必要な分野であり、それは司法試験に合格し、研修を経ただけでは絶対に身につきません。
たとえば、一般の弁護士がオーソドックスに扱う領域は幅広く、個人に関するものだけで見ても、離婚や多重債務、相続、成年後見、借地借家、交通事故、労働問題、刑事事件、少年事件等々、枚挙に暇がないのですが、いずれの領域についても、的確に処理していくためにはある程度の実務経験が不可欠です。
しかし、熟練の技は一朝一夕で身につくものでもなく、ましてや誰の助言も得ないまま、単独で事件に取組んでいては身に着ける機会すら見逃してしまうことも少なくありません。
イソ弁(給料をもらって雇われる勤務弁護士)であれば雇い主であるボス弁に訊くことができますし、共同事務所に新人として入所すれば、経験を積んだ先輩弁護士に助言を求めることができるわけで、今も昔も、それが弁護士の熟練の技を磨くための「王道」であることに変わりはないはずです。
そういった意味では、医師養成の仕組みとも似ていますが、間違いなく、弁護士の世界は「スキルワーカーの世界」であり、それを守り、継承するために「ギルドの世界」であり続ける必要があります。
司法制度改革の名のもとに行われた「検証なき合格者の増員」は、新人若手弁護士が技を身に着けるためのギルドの仕組みを根こそぎ破壊する暴挙だったとつくづくそう思うのです。
最近見たニュースでは、またぞろ、おかしな制度改革の議論が起きているようですが、「ギルドの仕組み」を守り育て、弁護士の熟練の技がきちんと継承されるような仕組みが健全、有効に機能するようにして行くためにはどのようにすればよいのかという発想こそが必要不可欠なのだと強く思います。