話題の映画「ボヘミアン・ラプソディー」を観て来ました。
リアルタイムでクイーンのファンだった私ですが、そういうことを抜きにしても、本当に素晴らしい映画でしたので、久々に映画の感想を書いてみたいと思います。
実は、映画鑑賞に先立ち、とある避け難い事情があって、偶然、クイーンの名曲「キラー・クイーン」をカバーして演奏するという羽目になり、ちょっとの間ですが、仕事の合間に「キラー・クイーン」を聴きまくるという生活をしておりました。
しかも、その間には、生まれて初めて体にメスが入るという経験も重なり、なんだか大変な時期で、「いったい自分は何をやっているのだろうか?」と自問自答する日々でもあったわけです。
「キラー・クイーン」の演奏も何とか終わり、手術も無事終えたところで、待望の映画鑑賞と相成ったのですが、期待にたがわない最高の映画(&ライブ)体験でした。
あちこちで紹介されている通り、この映画は、クイーンの歴史を、リードボーカリストだったフレディー・マーキュリーを中心に描いた作品であり、彼の45年間のドラマチックな人生が重ねて投影されていることによって、映画そのものも非常に感動的な内容となっているわけです。
あちこちで指摘されているとおり、時系列的なところで史実とは違うなと感じるところもありますし、その脚色が納得できない人もいるのかもしれませんが、個人的には観ていてまったく気になりませんでした。
映画の流れが自然だということが一番ですが、まったくの第三者が作ったものではなく、フレディーをそばで見ていたギタリストのブライアン・メイとドラマーのロジャー・テイラーが中心になって作ったものですから、フレディーの心情がリアルに映し出されているはずで、それが何より大切なことのように思えたからです。
まあ、その他、諸々ありますが、この映画についてはあちこちに詳しい批評が出ていますので、興味のある方はそちらを見ていただくとして、以下は個人的な思いを書いてみようと思います。
クイーンはデビュー時から聴いてはいましたが、衝撃を受けたのは、「キラー・クイーン」を聴いた時でした。
フレディーのフェロモンたっぷりのボーカルと、それまでおよそ聴いたことのないような独特の艶のあるブライアンのリードギターが絡み合い、微妙にタイミングをずらすような曲調と合わさって、ぞくぞくしたのを覚えています。
今回、あらためて「キラー・クイーン」を聴きまくった時にも実感したのですが、この曲は絶対にノリや即興ではできない、でもって出来上がった曲の完成度は非常に高いという、本当に不思議な魅力に溢れた曲だし、これを作ったフレディーやクイーンのメンバーの才能は、やっぱりすごいと再認識したのです。
残念ながら、映画の中では「キラー・クイーン」の制作秘話は語られていませんが、「ボヘミアン・ラプソディー」を作った時のように、作り上げられる過程においては、メンバー間でクリエイティブなバトルが繰り広げられたに違いないと思うのです。
ちょっとネタバレになりますが、映画の中で、フレディーがソロになり、そして再びクイーンとして活動を再開するときに、その動機を語るシーンがあります。
キーワードとしては「不協和音」ということになりますが、メンバー間の不協和音が、「キラー・クイーン」や「ボヘミアン・ラプソディー」等の名曲を生み出す重要な動力源になっていたのかなと感じました。
それはたとえば、ビートルズのポール・マッカートニーと他のメンバーの確執があって、「アビーロード」という傑作アルバムが出来上がったことであるとか、解散寸前のサイモンとガーファンクルが「明日に架ける橋」という名曲を生み出したこととかとも一脈通じるようなところがあって、優れたクリエイター同士の我のぶつかり合いによって、創造性に溢れた作品が生み出されるのではないかと思うのです。
ちょっと話が逸れましたが、映画には、生涯、彼を支えたメアリーという女性が登場します。
映画の中では、彼女との関係が変化していく中で「ラブ・オブ・マイ・ライフ」という曲が使われているのですが、非常に示唆的です。
実は、クイーンの曲の中で最も好きな曲の一つで、「ボヘミアン・ラプソディー」が入っている「オペラ座の夜」というアルバムの中の一曲です。
普通に訳すと、この曲のタイトルの「ラブ」は、「愛する人」となりそうですが、この映画での使われ方もそうですし、フレディーの生きて来た過程を振り返ってみても、ここでの「ラブ」の意味は「愛する人」ではなく、「愛そのもの」なのではないかという気がしてきます。
つまり、愛する人が去ろうとしていることを悲しむ歌ではなく、彼にとっての「愛」という概念が変化して行くことへの恐れや葛藤を歌ったものではないかと思えるのです。
それだけ、フレディーは、内面で苦しみ、それを最初の内は、他人には分からない形で表現するようにしていたのではないでしょうか。
そう考えると、同時期に作った「ボヘミアン・ラプソディー」の歌詞の中にある「killed a man」も別の意味に捉えることができるのかもしれません。
フレディーが次々と、心を揺さぶるような名曲を生み出し続けることができたのは、彼がそうした葛藤の中で生きて来たことと決して無関係ではなく、まさにそうした苦しみこそが名曲が生み出される源泉になっていたのではないか、映画を観ていてつくづくそんなことを思ってしまいました。
この映画は、当初の予想をはるかに超えて大ヒットしており、すでに日本だけでなんと70億円以上の興行収入をたたき出しているそうですが、リピーターの多さも特徴のようで、確かに何度でも「映画館で」観たくなる映画です。
特にこの映画の場合、映画館で一緒になって歌ったりできるという応援上映というのがあるそうなので、今度はぜひ応援上映のある映画館で鑑賞したいと思います。
同じ映画で複数回映画館に足を運ぶのは、「この世界の片隅に」以来となりますが、「ボヘミアン・ラプソディー」は、(音響の良い)映画館で観ることで感動が2倍、3倍になるに違いない作品なので、DVD発売を待つのではなく、興味のある人は、映画館に足をお運びあれ!