局所麻酔薬中毒の医療事故の件で、最終回となります。
最後に取り上げたいのは、医療過誤訴訟における鑑定の問題です。
今回の医療事件では、同じペインクリニックの専門医の方に、計5通の鑑定意見書の作成をお願いしました。
あらためて振り返ってみても、極めて的確な意見を伺えたと思いますし、この専門医の協力なくしては本件の解決には至らなかったと実感しておりますので、あらためて心から感謝申し上げたいと思っております。
ただ、裁判の中で難しいのは、裁判官によっては、一方から出される私的鑑定意見書については、どうしても色眼鏡で見る傾向があることです。
重要なことは、私的鑑定か公的鑑定かではなく、内容の信用性であり、きちんとした医学的根拠に基づいた意見が述べられているかのはずなのですが、裁判所は、形式的なところに囚われる傾向があります。
本件でも、PART3で述べたアドレナリンについて、被告側の鑑定医は、「アドレナリンは有用ではない」と堂々と意見を述べているわけで、それのみで見ても、如何に信用性に乏しいかは一目瞭然のはずなのに、長期にわたって裁判所がそれを明言することはありませんでした。
前にも書いたとおり、医療過誤訴訟は、まだ試行錯誤が繰り返されている発展途上の領域であると思っていますが、中には、前のやり方に戻すべきであると強く考えていることがあります。
それは、鑑定医に対する法廷での尋問(鑑定人質問)です。
今の裁判所は、私的であれ、公的であれ、まず、鑑定医への尋問はやろうとしません。
しかし、この「端から尋問をやらない」というスタンスが、いろいろな意味で弊害を生んでいると思います。
たとえば、被告側の鑑定医(中には保険会社のお抱えもいたりします)が、言いたい放題のことを書いても、尋問に呼ばれて反対尋問に晒されることがないとわかっているので、求められるままに虚偽の鑑定意見書を作成して来ます。
翻って、患者側は、意見書をお願いできる医師は、ご自身の見解を曲げて患者側に寄せて書いてくれることはまずもってあり得ないのですが、被告側の鑑定意見書を見せると、「なんで医者がこんなことを書けるのだろう」と絶句されることも決して珍しくはないのです。
医療側から出て来る鑑定意見書のでたらめぶりは、裁判所が「鑑定医に対する尋問をやらない」という流れになって以降、加速している印象があります。
もう一つ、今回の裁判でダメ押しになったと思われる展開があります。
それは、医療事故情報センターが出している「鑑定書集」に、本件の類似案件が掲載されており、それに気づいた私たちが、その事件の原告代理人弁護士に連絡を取ったところ、その裁判が行われていたころは、まだ鑑定医への尋問が実施されていて、この原告代理人弁護士の手元に、当該鑑定医の尋問調書が残っており、それが入手できたということでした。
私たちは、その事件の代理人の好意により入手した尋問調書を分析した上で、証拠として提出することにしました。
この鑑定医は、ペインクリニックの世界ではベテランにあたる方で、私たちがお世話になっているペインクリニックの専門医の方もよくご存じの方でしたが、その方の尋問の中での発言は、私たちが専門医から伺ったこととまったく同じ内容でしたが、やはり尋問で生の言葉で語られているとより説得力が増すように思われました。
私たちの協力医は、最初から、「局所麻酔薬中毒による心停止は、たまに起きることだけれど、慌てないで救命処置を施せば、ほどなくケロッとした感じで蘇生し、何事もなかったように帰宅される」と話していたのですが、尋問調書でも、アドレナリンの有用性を明確に指摘した上で、「「十分な血圧の維持と、人工呼吸などの救命処置を適切に実施し、体内に酸素が行きさえすれば、局所麻酔の作用が消失するにつれ、元通り数時間で回復して、その日のうちに帰宅できている」と、鑑定医自身の臨床経験も踏まえ、明確に証言されていたのです。
今回、あらためて、裁判を振り返ってみた時、この鑑定医の尋問調書は、非常に有用な証拠であるということを強く実感しました。
当然ながら、双方の代理人、そして裁判所からも質問が出され、医師がそれに答えるというやりとりが重ねられているわけで、医師が述べた医学的意見が、尋問に晒され、検証がなされることの有用性は何物にも代え難い価値、説得力があるからです。
あとなんといっても、鑑定医は基本的には真面目な方が多いので、きちんとした医学的知見を踏まえて質問をすると、法廷の場では率直に結論を変えて来られることもあります。
実際のところ、裁判所は、一方では鑑定意見書を重視するような言い方をしますが、そうであれば、その信用性が法廷の場で検証される機会が一定程度は保障される必要があります。
もちろん、すべてのケースでとまでは言いませんが、鑑定医への尋問をやらないことが原則になっているような今の裁判所のやり方は改められるべきと思います。
裁判は、真相を解明し、責任の所在を明らかにするための手続ですから、過度に手続に制約を設けて、その機会を奪うこと等、本末転倒だからです。
医療過誤訴訟のあり方が変われば、医療現場にも良い影響が与えられると信じて止みません。