日本被団協(日本原水爆被害者団体協議会。以下、「被団協」といいます)が今年のノーベル平和賞を受賞することになりました。
そのこと自体は、本当に称賛されるべきと思いますし、広島で生まれ育った被爆二世であり、原爆症認定訴訟にも関わった私にとっても感慨深いものがあります。
被団協の長年にわたる活動は、後遺症に苦しむ被爆者に対する救済にとどまらず、被爆の実相を広く訴え続けたことが世界の反核兵器活動に与えた影響は大きいといえますし、今や「被爆者」という言葉は、「ヒバクシャ」あるいは「Hibakusha」と表記されるようになり、「ノーモアヒバクシャ」という反戦の叫びは世界に広まってもいます。
原爆症認定訴訟において、国側は政府も被爆者救済に尽力してきたというような主張をしていましたが、実際は逆で、消極的な国の姿勢に対し、被団協をはじめとする様々な人たちの粘り強い運動によって被爆者援護法による救済の仕組みが実現され、被爆の実相が広く社会に知られるようになって行ったというのが本当のところです(このあたりの被爆者の人たちの苦闘の歴史については、広島の産婦人科医である河野美代子さんという方のブログ記事が詳しいので、興味のある方はぜひお読みいただければと思います)。
唯一の被爆国の政府が、未だに被爆の実相から目を背け、核兵器廃絶に後ろ向きの姿勢を持ち続けていることは本当に情けなく恥ずかしいことですが、そこに抗い、闘い続け、国際社会にも核兵器の恐ろしさを訴え続けてきた被団協の活動は、人類の歴史上において最も意味のある社会運動の一つだと思いますし、今回のノーベル平和賞はその活動の意義が評価されたもので受賞に相応しいと思います。
しかし、なぜ今このタイミングで被団協がノーベル平和賞を受賞したのかを考えると、その受賞を手放しで喜ぶことはできません。
なぜならば、ノーベル平和賞はその時々の世界情勢を反映する傾向があるといわれていますが、第二次世界大戦後、今ほど核戦争の危機が身近に迫ったことはなく、今回の受賞にはそれが影響しているのかもしれないからです。
実際、今の世界情勢を見ると、ウクライナを侵攻したロシアのプーチン大統領は平然と核兵器使用の可能性に言及していますし、中東情勢も混とんとしており、イスラエルのガザ侵攻はその後レバノンへの侵攻、無差別攻撃、イランとの間でも双方が爆撃を繰り返すなど、中東全体に広がってさらにエスカレートしており、根っこに宗教的価値観の対立があるだけに、いずれかが壊滅的な被害を受けるような状況に陥れば、対抗手段として核兵器が放たれる可能性は否定できないし、その危険性は日に日に高まっているのではないでしょうか。
さらには、アメリカでトランプ大統領が誕生することが決まりました。差別や偏見を声高に語り、分断、対立を煽るトランプのような人物が大統領になれば、それこそ何かの弾みで核兵器が使用されるのではないか、さらには彼が日ごろからロシアやイスラエル寄りの発言をしていることからして、ロシアやイスラエルの核兵器使用が容認されてしまうのではないかとの危惧も拭えません。
こうした核兵器の使用の危険性の高まりについて現実的にはピンとこないというか他人事のように感じる人もおられるかもしれませんが、歴史を振り返ってみれば、かつての広島、長崎への原爆投下も、当時の愚かな指導者の、自身の持っている偏見と当時の世界情勢への近視眼的な考え方が合わさって決定された面があり、非常に短絡的な政策決定であったといえます。
詳しくはPart2で述べますが、時系列でみても、原爆投下を決定したトルーマンが大統領に就任したのは1945年4月、爆発実験の成功は同年7月、そして広島への原爆投下は8月6日であり、極めて短期間の政治決定だったことは明らかです。
私たちは、常に過去の歴史を教訓にしながら未来を考えて行かなくてはなりませんが、人類を破滅に導きかねず、また戦争を仕掛ける国が他国を威嚇する手段としてもてあそんでいるともいえる核兵器の問題を考えるうえで、広島、長崎への原爆投下がどのように決定されたか、その歴史にきちんと目を向けておくべきだとあらためて強く思います。
その意味では、昨年話題になった「オッペンハイマー」という映画は、原爆を投下した側のアメリカで作られたものとしてはタブーに踏み込んだ作品といえるかもしれませんが、オッペンハイマー自身の内心の苦悩を中心とした描写に偏っていて、なぜあの時原爆が広島や長崎に投下されたのかという最も描かれるべき歴史の深層に切り込んだ作品にはなってはいません(そこがハリウッド映画の限界といえるかもしれませんが)。
Part2では、そのことを取り上げてみます。