事務所トピックス

医療事件のお話~医療系の事件に関するセカンドオピニオンの勧め

葵法律事務所

前にもちょっと書いたことがありますが、医療系の事件を数多く扱っていると、ほかの弁護士さんからの相談を受けたりすることがしばしばあります。
私たち自身も経験がありますが、医療系の事件では、どうしても機序や過失の評価を検討する場面で医学的な難問にぶつかったり、問題点はわかっているのにその問題について適切な助言をもらえる協力医がなかなか見つからないなど、難しい状況に陥るということが少なからずあるからです。
実際には医療事件だけでなく、たとえば、交通事故における障害の評価や因果関係の問題といった場面でも医学的な検討が必要になるといったこともあります。
そんなわけで、そうした医療が関わる事件におけるセカンドオピニオンのことをちょっと書いてみたいと思います。

医療系の事件の大変さの一つは、医学の森の奥深さというか、真相に辿りつき、解決に至るまでの道のりで、幾度も幾度も、医学的な難問にぶち当たり、行き詰ってしまうという局面に出くわすということです。
当事務所では、原則として医療事件を複数受任とする主たる理由はそこにあります。
局面打開のためには、議論して知恵を出し合うことが必要だからです。
また、通常事件では、生の事実を把握すれば、それに対する法的評価を加えて行けばいいのですが(それでも判例や法解釈の検証が必要であり、簡単な事案ばかりではありませんが)、特に医療事件の場合、生の事実から医学的な事実(機序)を明らかにしていくことが必要なため、実際には、ミスの有無より前に、この医学的事実を解明していく場面での医学的な検討が最も大変な作業になります。
たとえば、お腹が痛いとか発熱があるといった生の症状だけでは、何に起因しているかは直ちに判断できません。
X線やCTなどの画像についてもそうですし、白血球などの検査所見も同様です。
また、原因疾患がある程度特定されても、必ずしも、典型的な症状が現れないこともあり、そうした典型的なケースとの「ずれ」をどう見るのか、矛盾なく説明できるかといったことも検証しなくてはなりません(実際、訴訟になると、医療側がそうした「ずれ」を指摘して、医学論争に持ち込まれることもあります)。
とにかく、個々の症例において、医学的な意味でいったい何が起きていたのか、結果に至るまでにどのようなプロセスをたどったのかを明らかにして行くことが大変なのです。
もちろん、過失や因果関係についても、同様に医学的な知見に基づく検討が必要となりますので、一山超えてもその先にいくつもの山が立ちはだかっているという気分になることは少なくありません。
そんなわけで、ある程度経験を積んでいても、医療系の事件は奥深く、本当に難しいと感じます。

さらに、手続的な局面局面での対応の難しさも、通常の民事事件とは異なるところがあります。
たとえば、カルテの証拠保全であるとか、鑑定意見書の作成の手順、協力医に確認すべきポイントのまとめ方、提訴後も、診療経過一覧表の作成方法、医療側の争い方に対する対峙方法、裁判所の訴訟指揮に対する向き合い方等、医療事件ならではの難しさがあります。
失礼な言い方かもしれませんが、裁判官が医療事件の扱い方を理解していないと感じることも少なくないし、手続の進め方においては、通常事件以上に緊張感を持って臨まないといけない場面に幾度も出くわすのです。
実際、カルテの証拠保全で裁判官とバトルになることはしょっちゅうです。
また、最近でも、ある裁判で医療側が明らかにおかしな診療経過一覧表を作ってくるので、「やり方が間違っている。それでは診療経過一覧表作成の目的にそぐわない」と何度も指摘したのですが、裁判官がまったく反応してくれないということがありました。
ところが、裁判官が交代したら、新しい裁判官は手続をよく理解していて、医療側にその点を指摘し、作成方法を改めるように指示してくれました。
とにかく、手続の各場面でどのように対処すべきかということで悩む頻度が高いのも医療事件の特徴の一つであるといえます。

ですので、もし、この記事を読んだ方で、事案の調査検討や手続のことで行き詰ったり悩んだりされている方がおられましたら、医療事件の経験豊富な弁護士への相談をすることをお勧めしますし、もし心当たりがないようでしたら遠慮なく当事務所までご相談ください。
遠方の方の場合、どのような形で助言ができるかということはありますが、微力ながらお力になれればと思っております。

医療事件のお話~コロナ危機の中で医療機関で起きていること

弁護士 折本 和司

先日、当事務所で扱っている医療事件につき、症例検討のため、県内の医療機関に所属されている協力医の方が、多忙な中、時間を割いて当事務所に来てくださりました。

いくつかの症例について、非常に丁寧にお話を聞いてくださり、こちらで用意した資料を確認しながら、的確な助言をいただくことができたのですが、その中で、今の医療現場の状況について衝撃的なお話を伺いました。

そこには、看過し難い不条理な現実があると感じましたので、医療事件そのもののお話ではありませんが、そのことを取り上げてみます。

 

コロナウイルス感染が広がる中、最も影響を受けている領域の一つが医療であることについては異論のないところでしょう。

もちろん、航空、観光、旅行、外食、風俗、自動車産業など、コロナウイルスの影響を受け、非常に苦しく、先が読めなくなっている産業は数多くあり、製造の現場から末端の消費者まで大多数の国民が深刻な影響を受けているわけですが、その中においても、医療はまた違った意味の大変さを抱えています。

なぜなら、医療機関の臨床現場は、コロナウイルスに感染したか、感染の可能性のある人たちが訪れ、診断、治療を受けるという、まさにコロナウイルスと向き合う最前線となっているからです。

そこでは、コロナウイルスに感染した患者を救うべく、医療者の人たちは、日々、自らが感染するリスクと背中合わせに、命を削るようにして闘い続けています。

もし、医療者、そして医療機関がコロナウイルス感染との闘いに敗れてしまえば、実体経済の回復どころではなく、社会そのものが崩壊してしまいかねないわけです。

ところが、今、その最前線はのっぴきならない状況に置かれています。

実際、面談の際に協力医の方にコロナウイルスの影響についてお尋ねしたところ、「それはもう大変です。もしかしたら、うちの病院も潰れるかもしれません。本当に厳しいですよ」とおっしゃられたのです。

その病院は、長く続いている地域の基幹病院の一つで、コロナウイルス感染の可能性のある患者を積極的に受け入れる方針なのだそうですが、現場では、たとえば、発熱の患者を受け入れる際、大部屋を使う場合でも、感染を避けるため、同じ部屋にほかの患者を入れないという対応をしているそうです。

この病院では、差額ベッド代は取らないという方針を取っているとのことで、ベッドが効率的に利用できないことによるダメージも大きいし、とにかく、コロナ感染のリスクを抱えることの負担は、経済的な面でも非常に深刻であるとのことでした。

 

ただ、それ以上に驚いたのは、この病院のことではなく、同じエリアにある、さらに大きな総合病院の対応を伺った時でした。

その総合病院では、発熱患者はそもそも受診すらできないということで、つまり、コロナ感染リスクのある患者は一切受け入れないという方針を取っているというのです。

そのため、市内の保健所、消防署も、それを承知しているため、発熱兆候のある患者については端からその病院には送らないという判断をするそうで、当然ながら、そのしわ寄せは発熱患者を受け入れてくれる病院のみに来ることになります。

確かに、ひとたび、院内感染が起きると、病棟閉鎖、外来中止といった対応を迫られるし、風評被害的なことを含め、病院にとって経営上も深刻なダメージとなるため、病院がそれを避けようとする発想自体は理解できなくもありません。

しかし、その結果、患者本位の良心的な病院は、発熱患者を受け入れることで院内感染のリスクを抱える上、非効率的な運営を強いられて赤字に陥らざるを得なくなるという落差はあまりに理不尽なことだと思います。

このままでは、コロナウイルス感染のリスクのある患者を受け入れた病院はつぶれ、リスクのある患者を受け入れない病院ばかりが生き残るという、あってはならない事態になりかねないのです。

 

先日見たインタビュー記事で、聖路加国際病院の院長も述べておられましたが、コロナウイルス感染の最前線で懸命に闘っている、医療者、医療機関にこそ、政府から手厚い補助がなされるべきです(リスクのある患者を受け入れない病院を非難する趣旨ではありません)。

それに引き換え、今の安倍政権がやっていることの醜悪さは目に余ります。

アベノマスクに数百億円を無駄に費やし、金融市場ばかりにじゃぶじゃぶと金を注ぎ込み、コロナ危機のどさくさにまぎれて、検察庁法や種苗法の改正案などの不要不急かつ国民にとって有害無益な法案を国会に提出し、強行突破しようとし、さらには、コロナ対策と称して、電通やパソナ等に便宜を図り、しかも、国との間にトンネル会社らしきものを挟むことでピンハネが横行しているらしき実態までもが明るみに出ています。

私たち国民は、今こそ、しっかり目を見開き、コロナ危機に正面から対峙して損得抜きに闘っている人や機関に対してこそ、きちんとした補助、下支えがなされるように、大きく声を上げるべきだと思うのです。

 

これまでも繰り返し述べていますが、医療は、私たち国民にとって命を守るための欠くべからざるセーフティネットなのです。

医療事件に関わっていると、セーフティネットであるはずの医療を軽んじるような政策が続けられた結果、医療機関の経営はひっ迫し、その結果、医療現場が疲弊してしまっていると感じることがしばしばあります(それが実際の医療事故の要因となっていることも決して少なくありません)。

すでにそんな状況になっている中で、さらに、今のコロナ危機において最前線で闘う医療者、医療機関を犬死にさせていいわけがないし、セーフティネットとしての医療が健全に機能するような政策対応を真剣に考えるべき時だと思うのです。

心ある政治家の人たちがおられるなら、コロナウイルス感染に対して、身を呈して闘う医療機関が経営破綻することのないよう、そこで働く医療者の労苦が報われるよう、重点的に保障される政策に方向性を変えるべく、体を張って頑張ってもらいたいし、次の選挙では、真に国民を守るための政策を立案、実行できる人を私たちの代表者として選ばなくてはなりません。

そうしなければ、この国を支えて来た医療が変質し、崩壊しかねないと、強く危惧しています。

日々雑感~岡江久美子さんが亡くなられたことについて思うこと

弁護士 折本 和司

女優の岡江久美子さんが、コロナウイルスに感染して亡くなられました。

ドラマや、クイズ番組、朝のワイドショー等でずっと活躍されていて、明るく親しみやすいキャラクターで多くの方に愛された女優でもあり、先の志村けんさん同様、本当にとても残念でなりません。

しかし、岡江さんの亡くなられるまでの経緯を知るにつけ、この死は避けることができたのではないか、人災なのではないかという気がしてなりませんので、そのことについて書いてみたいと思います。

 

コロナ危機が表面化して以降、政府や厚労省は、医療崩壊を招きかねないなどとして、検査実施につき、実質的にも手続的にも要件のハードルを上げており、安倍首相自らが一日2万件の検査が可能と言っていたにもかかわらず、未だに一日数千件の実施にとどまっていますが、この政策は間違いだということは、このホームページでもずっと指摘してまいりましたので、過去の記事を読んでいただければと思います。

実際、この間、全国各地で院内感染によるクラスターの発生が確認されていますが、誰が感染者かわからない状態で、病院内を人がうろつけば院内感染が避けられないことは、ちょっと考えれば子供でもわかるような話であり、院内感染の広がりは、検査の実施が不徹底であったことの結果といっても過言ではありません。

何度も書いていますが、コロナウイルスは、インフルエンザよりも発症までの潜伏期間が長く、しかもその間に感染するリスクが高いという特徴を持っているので、検査を徹底して感染者の洗い出しをしない限り、感染の終息は容易に見込めず、その間に国民生活も疲弊、劣化してしまうことは避けられません。

政府も、ここに来てやっと検査のためのハードルとなっていた指針を変更すると言い出していますが、これまで検査が十分に実施できていなかった理由について、安倍首相も加藤厚労大臣もまるで他人事のような言い逃れをしており、呆れてものが言えません。

このたびの岡江さんの死も、一人一人の国民の命を軽視し続けた政府の誤った政策による犠牲であり、同様の犠牲者がほかにも大勢いるに違いないと感じていますが、そのことについて、医療事件における法的な視点に加え、「感染症のリスク」という医学的な視点も交えて指摘したいと思います。

 

まず、報道によりますと、岡江さんの場合、4月3日に発熱があり、その時点では、主治医から「自宅で4~5日様子を見るように」との指示を受けたので、その指示に従い、検査を受けることなく、自宅で静養していたところ、3日後の朝までに急激に症状が悪化し、病院に搬送され、検査で陽性反応が出て、人工呼吸器をつけるなどの治療を受けたものの、治療の甲斐なく帰らぬ人となられたということのようです。

この中で最も重要な情報は、岡江さんが乳癌を患っておられ、直前まで放射線治療を受けておられたという事実です。

もっとも、問題は放射線治療より癌そのものにあります。

一般的に、糖尿病や癌などの持病を持っておられる方は、医学的には「易感染症患者」に分類されます。

「易感染症患者」とは、その字のとおり、健常な人に比べて感染のリスクが高く、また感染した場合に重篤化するリスクが高いとされる患者です。

癌について述べますと、元々、人間の体内ではごく普通に癌細胞が生まれて来るのですが、それが癌の発症に結び付かないのは、白血球中のナチュラルキラー細胞(NK細胞)などの免疫系細胞が癌細胞を退治してくれているからです。

ところが、免疫系は複雑なバランスの上に成り立っていて、大まかにいうと、体内に存在し、免疫系が暴走しないようにバランスを取っている免疫抑制細胞が、癌細胞の増殖とともに増加し、免疫系細胞の活動を強く抑制して、癌細胞への攻撃をブロックするため、結果として癌細胞がさらに増殖するという機序が存するとされています。

つまり、癌患者の体内では、免疫抑制細胞が多く存在しているため、体内の免疫は十分に機能しない状態に陥っていることになるのです。

現在、私は、感染症に関する医療事故案件を複数抱えており、コロナ危機が起きる少し前に、国内で著名な感染症の専門医に鑑定意見書を作成していただいていたのですが、癌患者が易感染症患者に分類されることについて、「癌患者や糖尿病患者などの易感染症患者の場合は、感染症を起こしやすく、さらにいったん感染症になるとより重篤化しやすいということが基本的な医学的知見である」「それゆえ、易感染症患者については、感染症の発症、増悪につきより厳重な診察と感染症対応が必要である」と明確な指摘を受けています。

 

翻って、今回の岡江さんの場合を見てみると、詳細な事情は不明ながら、主治医がもし岡江さんの癌のことを知っていたのであれば、易感染症患者に該当する以上、何はともあれ、検査の実施と病院内における厳重な観察へとリードしてあげるべきであったと思うのですが、その時点のPCR検査実施の実態からすると、それは医師の落ち度というよりは、検査の実施を拒否しているに等しいほどの高いハードルを設けていた国の誤った方針が招いた結果といえるように思います。

つまり、順序が逆であり、易感染症患者に該当する患者については、仮に症状的には軽かったとしても、まずは検査を実施し、陽性か否かの判断をすべきなのです。

そこで陽性の結果が出た場合には(岡江さんの場合は経緯からして当然に陽性となったはずですが)、仮に、その時点の症状が比較的穏やかであったとしても、「感染症を起こしやすく、さらにいったん感染症になるとより重篤化しやすい」易感染性患者である以上、何を措いても、入院を指示し、しっかりと感染症対策を取らなくてはならないことは自明の理であり、それは決して結果論ではなく、上記の感染症に関する基本的知見を踏まえれば、当然の論理的帰結なのです。

もちろん、検査の結果が陽性であったとしても、「易感染症患者」に分類されるような持病を有しない人、呼吸器系に問題がない患者は自宅待機もしくは相応の施設内での観察でいいわけですが、その判断のスタートラインは検査の実施であるべきなのです。

とにかく、岡江さんの場合もそうですし、同様に検査さえ受けれずに自宅待機のまま亡くなられた易感染症患者に該当する人たちについては、国の誤った指針によって「入院して適切な治療を受ける機会を奪われた」ことになるわけです。

 

コロナ危機の克服について、様々な形の活動の自粛であるとかいった努力の意味を否定するつもりはありませんが(ただ、そのやり方については異論もありますが)、検査のハードルを無用に高くしておいて感染者の扱いについて曖昧な方針を頑なに維持し続ける今の政府や厚労省のやり方ではいつまで経っても感染が終息しないでしょうし、岡江さんのような犠牲者がこれからも増えて行くのではないかということが強く危惧されます。

現時点でも岡江さんのケースは氷山の一角にすぎず、本当なら死を避けられたはずの方が国の政策の誤りによって、すでに相当多数犠牲になっている可能性が高いのではないでしょうか。

もちろん、検査が速やかに実施されていれば確実に助けられたかについてはケースバイケースかもしれませんが、弁護士の立場から見ると、検査の実施に関する誤った指針を頑なに続けたことで適切な治療の機会を奪った国や自治体の国家賠償責任が問われてもおかしくない、そのような実例が少なからずあるのではないかと思います。

 

医療事件を扱っていると、単なるヒューマンエラーというよりは、その背景にある疲弊した医療現場の実態であるとか、さらに医療を巡る様々の環境的な制約であるとかに目を向けなくてはならないと痛感することがしばしばありますし、そのさらなる背景として、医療費削減に偏った国の誤った政策が根っこにあると感じることも少なくありません。

今回のコロナ危機においても、検査実施の不徹底にとどまらず、医療者の不足、集中治療室、人工呼吸器などの必要な設備の不足という事態の改善を図ることなく、また、保健所の役割を軽視され、減らし続けてきたことなど、国が、国民にとって最も重要なセーフティネットの一つである医療を軽んじて来たという背景があり、そのしわ寄せで、患者が適切な医療を受けられなくなってしまっていることを私たちは決して見過ごしてはいけないと思います。

岡江さんのような被害者をこれ以上増やさないために、まずは検査実施の徹底、そして、この機会にこそ、一人一人の国民が適切な医療を受けられるべく医療の仕組みを再構築し、医療者が患者のために医療に打ち込める環境が実現されることを強く願わずにはいられません。

日々雑感~「白い巨塔」で描かれた「電子カルテ」の改ざん方法

葵法律事務所

テレビ朝日で「白い巨塔」のリメイク版が放映されていましたが、その中で電子カルテが出て来てちょっとびっくりしたことがありますので、ここで取り上げてみたいと思います。

「白い巨塔」といえば、言わずと知れた山崎豊子原作の名作医療ドラマですが、原作で描かれていたのは、はるか昔の昭和の時代における医療現場でした。
ですので、原作を忠実に描けば、電子カルテが登場してくること等あり得ないことになりますが、今回のリメイク版は、現代にあわせたアレンジがなされており、大学病院が舞台ということもあって電子カルテが出ており、しかも、ドラマの中でかなり重要な使われ方をしています。
かいつまんで書くと、主人公の財前医師が医療ミスを犯し、部下の医師に口裏合わせを指示するのですが、それとあわせて、すでに作成されていた手術記録が改ざんされることになります。
この改ざんの方法が、おそらく一般の方だと何のことかよくわからないに違いない、電子カルテの仕組みを悪用したものなのですが、それが、まさに当事務所で関わっている事件の中で悪用された改ざん手法とまったく同一だったので、ちょっとびっくりしてしまった次第です。

ドラマにおけるカルテの改ざん方法は、以下のようなものでした。
ドラマでは、まず電子カルテ上に部下の医師が書いた手術に関する記載があり、それが医療側に不利な内容となっているため、記載した医師を財前医師が呼びつけ、その記載が、電子カルテの「仮登録」という段階にとどまっていることから、「仮登録なら、書き換えが可能」として、その部分の記述の書き換え(改ざん)を迫るのです。
部下の医師は、苦悩しながら、その指示に従い、不利な記載を書き換えてしまい、真相の解明が難しくなります。
この、仮登録段階にとどまっている状況で不都合な記事を書き換えるという行為が、当事務所が関わっている事件の場合とまったく同一の手口なのです。
もちろん、医療現場において、記事を途中まで書いて、その後に書き足したり、訂正したりすることができるということ自体は、急に別の患者対応をしなくてはならないことからして、必ずしも全否定すべきことではないのかもしれません。
しかし、問題は、この「仮登録」という手法を悪用されてしまうと、医療事件で、証拠保全を行って、電子カルテの更新履歴を入手しても、仮登録中に書き換えられたり、削除されたりした記載が、更新履歴中には出て来ないため、元々何が記載されていたか、そして事故で何があったのかがまったくわからなくなってしまうということなのです。
これが、いったん「本登録」された後の書き換えであれば、更新履歴として残っているので、検証が可能なわけで、仮登録中の書き換えとの違いは医療事故の真相解明を行う上で極めて重大な意味を持ちます。
ベンダーによる仕組みの違いはあるのかもしれませんが、たとえば、もしずっと仮登録の状態を続けられる仕組みであった場合、事故後、いつまでも改ざんが可能ということになりますし、当事務所のケースはそうでしたので、そうなると、仮登録というシステムは、事故の真相を隠ぺいするための隠れ蓑になっているのではないかとの疑念を抱かざるを得ません。

ついでに触れると、このドラマでは、仮登録段階のカルテ改ざんについて、裁判シーンで医療側代理人が、改ざんした証拠があるのかと反論し、改ざんを行った明白な証拠がないということで裁判所の判断にゆだねられるというシーンがありましたが、この点については、電子カルテの仕組みということからすると、ちょっと異論があります。
というのは、私たちが扱っている事件では、仮登録段階の改ざんは更新履歴上にはまったく表れないものの、データベース上では、仮登録段階のものであれ、改ざん前後のデータが、改ざんの時刻も含め、すべて記録として残されており、しつこく求めた結果、あとになって、改ざんの痕跡が明らかとなったからです。

ただ、いずれにしても、この仮登録段階における改ざんという問題は、医療事故を検証する立場に立てば、非常に由々しき問題であるといわざるを得ません。
「白い巨塔」において、この悪質な手口が取り上げられたことは、多くの人に認知してもらえるきっかけになったかもしれないという意味で良かったと思う反面、もしかしたら、私たちが思っている以上に、医療現場でこの手法が横行しているのではないかという意味で、非常にショックなことでもありました。
前にも書いた記事があり、そこでも指摘したことですが、電子カルテには、「真正性」「見読性」「保存性」という三原則が策定されています。
詳細はそちらを読んでいただければと思いますが、要は、後できちんと検証できるような仕組みでなくてはいけないということなのです。
しかし、この仮登録段階の改ざんは、明らかにこの三原則を逸脱するものです。

ではどうしたらよいのかですが、早い話、仮登録という仕組みはさっさと無くすべきではないでしょうか。
医療者は、記載途中でも、緊急対応しなくてはならないということもあるでしょうが、記載途中でも、本登録をしておいて、加筆訂正が必要なら、更新すれば足りるからです。
現場での使い勝手ということはあるのかもしれませんが、事故の検証がないがしろにされるようなことはあってはならないことはいうまでもないことです。
こうやってドラマの中で、ある意味、公然とこのような改ざんの方法が存在することが指摘されたわけですから、国民の健康、生命につき責任を負っている厚労省が率先して電子カルテの欠陥に対し、抜本的な改善を義務付けるような手を打つべきだと強く思います。

ドラマに関する感想はそっちのけになってしまいましたが、非常に興味深く鑑賞させていただきました。

医療事件のお話~局所麻酔薬中毒の事故について

葵法律事務所

つい先日、2歳の子供の虫歯治療で、歯科医師が歯茎にリドカインという局所麻酔薬を注射したところ、痙攣を起こし、低酸素脳症となって死亡したという痛ましい事故の報道がありました。
実は、当事務所においてもほぼ同一内容の死亡事故を扱っており、現在訴訟係属中ですので、局所麻酔薬中毒の問題について、医療者や一般の方への注意喚起の意味も込めてここで取り上げてみたいと思います。

当事務所で扱っている事故の事実経過は、概略以下のとおりです。
若い男性患者が肩凝りの治療のために行きつけの整形外科クリニックに行くのですが、そこで、首から背中にかけて局所麻酔薬リドカインを注射されます。
すると、その直後、患者は医師の目の前で意識を消失し、心停止の状態となります。
その後、患者は、同じ行政区内にある大学病院に救急搬送され、いったん蘇生しますが、すでに重篤な低酸素脳症に陥っており、結局亡くなられてしまったのです。
ニュース報道された事故との違いは、歯科医と整形外科の違いくらいで、その他の点は非常に類似しています。

本件で整形外科の医師が行った注射は、圧痛点に局所麻酔薬を注入するトリガーポイント注射と呼ばれるもので、ペインクリニックや整形外科においては、神経ブロック注射と同様に一般的に行われている治療法ですが、局所麻酔薬を脳につながる動脈に誤注入してしまうと、急激な意識消失、心停止となり、対処を誤ると命に関わります。
そのため、事故の発生を未然に防ぐことがまず重要であり、たとえば、穿刺後、局所麻酔薬を注入する前に、バックフロー、つまり、注射針をいったん引き戻し、血が混じっていないかを確認する手技を実施するであるとか(血が混じっていれば注射針は血管内に入っていることになります)、局所麻酔薬を少量ずつ入れながら様子の変化を確認するであるとか(症状は急激に出て来ます)といった慎重な手順を踏むことが必要とされています。
しかし、万一事故が起きて、患者の容態が急変した場合は、今度は慌てずに速やかな救命処置を取ることが何よりも肝要となります。
急変した場合の具体的対処としては、引き金となった局所麻酔薬の血中濃度を下げるための処置も必要ではありますが、患者が心停止に陥っている以上、何よりも優先して実施すべきなのは、胸骨圧迫、人工呼吸、アドレナリン投与といった救急蘇生処置ということになります。
人間の体では脳が酸素の4割を消費しますので、脳への酸素供給が一定時間以上途絶えてしまうと、脳に障害が残り、低酸素脳症となりますから、それを防ぐためにただちに脳への酸素供給のための手技を実施しなくてはならないのです。
実際、私たちが相談したペインクリニックの専門医が経験談として語っておられたところでは、局所麻酔中毒による心停止に陥っても、すぐに胸骨圧迫、人工呼吸、アドレナリン投与等の蘇生処置と急速な輸液等を行えば、患者は、ほどなく、あっけないほどすんなりと、まるで何事もなかったように目覚めたそうです。

私たちが扱っている症例も、今回の報道の症例も、それぞれの日常の診療の領域が、命に関わるものではないという点や市中のクリニックでの事故という点で共通しており、おそらくそれまでに患者が目の前で心停止するといった経験がなかったのだと思いますが(少なくとも私たちが扱っている症例の場合はそうです)、ペインクリニックの専門医は、局所麻酔薬を使用する医師に使用法を誤ると命に関わる薬剤を扱っているという危機感が乏しい医師が少なからずいるということを非常に危惧していると話されていました。
つまり、私たちが扱っている事故や今回の報道の事故のように、局所麻酔薬の投与には命に関わる事態を招くリスクが内在しているのですから、局所麻酔薬を麻酔処置や神経ブロック治療などのために日常的に使う医療機関においては、何よりも慎重な手技のトレーニングの徹底と、救命蘇生が必要となる事態への備えが必須であるにもかかわらず、そうした患者の命を守るための備えや危機意識がないまま、安易に局所麻酔薬が使われているという実態があるというのです。

実際、私たちの扱っている症例でも、整形外科医は、救命蘇生の第一選択薬とされているアドレナリンを常備していながら、心停止後、なぜかそれを使っていません。
アドレナリンには心拍を増強し、末梢の血管を締める作用機序があるので、脳などの主要臓器への血液循環(つまり酸素供給)が優先的に確保されるということで、現在は、救急隊員でも投与可能となっているものです。
裁判の前に事故を起こした整形外科医に会った時、アドレナリンを投与しなかった理由について尋ねると、「血流がないから意味がない」と述べていましたが、だとすると、胸骨圧迫を実施する意味すらわかっていないことになります。
胸骨圧迫や人工呼吸等は、「救急蘇生のABC」と呼ばれ、大学や臨床の実習で学んでいるはずのごく初歩的な知識ですが、現実には、それすら理解していない医師が心停止の危険を孕んでいる局所麻酔薬をごく日常的に使っているという現状には空恐ろしさすら感じます。

およそ命に関わらないはずの、「肩凝り」や「虫歯」の治療でなぜ大切な命が奪われたのか、亡くなられた患者やそのご遺族の無念さを思うと、救急蘇生処置すらまともにできないような医師は、そもそも局所麻酔薬を扱う資格がないのではないかとすら思わざるを得ません。
あなたの通っているクリニックは大丈夫でしょうか?
医療者、そして一般の方々に、そのような注意喚起をしたいと思って、ちょっと長くなりましたが、今回の記事を書かせていただきました。
参考にしていただければ幸いです。

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