事務所トピックス

医療事件日記~厚労省が定めた「三原則」を守らない電子カルテの証拠保全Part1

葵法律事務所

最近行った証拠保全で呆れかえるくらいでたらめな電子カルテに出くわしました。
いろいろと由々しき問題を含んでいると思いますので、取り上げてみたいと思います。

受任事件は整形外科の症例ですが、医師の落ち度は明白であり、かつ結果も非常に重大となった事故に関するものです。
すでに任意開示で一部の記録は入手済みだったのですが、たとえば、手術記事に肝心な経過が記載されていないなど、記載内容に疑義があって、改ざんされた可能性もあることから、証拠保全の申立に踏み切りました。
当日、病院に赴くと、すでに会議室のような場所に医療記録一式が置かれていました。
しかし、電子カルテですので、それではだめだということを告げ、パソコンの画面上でデータの更新履歴や、出力画面で漏れがないかを確認する必要があると話したのですが、事務方の担当者は、その理由がよく理解できず、しばらくは嚙み合わないやりとりが続きました。
そのやりとりの中で、事務方の担当者に、「この病院の電子カルテはどこのベンダーのものか」と尋ねてみたところ、「自前で構築したものだ」という説明がありました。
自前で構築した電子カルテに出くわしたのは2度目のことですが、この時点でちょっと嫌な予感がしたのです。
実は、電子カルテは、同じベンダーのものでも、医療機関の要求や実情に合わせて仕様がアレンジされていることがあり、保全の際にそれに応じた対応が求められ、てこずることもあるのですが、自前の電子カルテとなると、より病院側に都合のよい仕様になっている可能性があることが予想されたからです。
本来、今回の証拠保全の対象となる診療期間は実質的には3日間なので、スムーズに行けば午後4時前には終わると踏んでいたのですが、その後、この嫌な予感が的中する事態となります。

事務方の担当者では埒が明かないため、電子カルテを扱える別の担当者が対応することになりました。
ただ、ノートパソコンでは印刷ができないとのことで(それもおかしなことではあるのですが)、デスクトップパソコンが置いてある事務局スペースに案内されます。
そこで、私たちは、驚愕の事実を知ることとなります。
この病院の電子カルテのシステムでは、個々の記載の更新履歴を画面上に表示することができず、そのため、更新履歴についてはプリントアウトすることもできないというのです。
「そんなばかな」ということで、「何とか表示できないのか」と食い下がりましたが、担当者は、「そういうシステムになっているので、どうしようもありません」と答えるばかりです。
まあ、こう書くとにべもない対応のように聞こえますが、実際には、担当者の方は、とても誠実な方で、尋ねたことにもきちんと答えてくださり、要求したことにも嫌な顔をみせることもなく丁寧に対応してくださっていたのですが、仕様の問題で如何ともし難いということで申し訳なさそうな様子でした。

この「更新履歴が表示されない」「印刷できない」という不具合は、一般の方からするとピンとこないかもしれません。
しかし、私たちが証拠保全を行う目的は、その時点までのデータをすべて入手し、真相解明に役立てることですから、過去の更新履歴が保全できないのでは証拠保全を行う意味がないに等しいのです。
実際、カルテの改ざんは、日常茶飯事とまでは言いませんが、全然珍しいことではなく、そのため、更新される前の記事を検証することは必要不可欠なのです。
そうしたことを防止するため、電子カルテについては、厚労省が定めた「三原則」といわれるものがあります。
このことは前にも書きましたが、再度書きます。
そもそも、カルテは紙媒体による保存が義務付けられていたのですが、その規制が緩和され、電子保存が可能となった際に、厚労省は、「電子保存の三原則」なるものを定めました。
その三原則とは、「真正性」「見読性」「保存性」の3つです。
この内、「真正性」とは、正当な人が記録し確認された情報に関し第三者から見て作成の責任の所在が明確であり、かつ、故意または過失による、虚偽入力、書き換え、消去、及び混同が防止されていることです。
次に、「見読性」とは、電子媒体に保存された内容を、権限保有者からの要求に基づき必要に応じて肉眼で見読可能な状態にできることですが、「診療に用いるのに支障が無いこと」だけでなく、「監査等に差し支えないようにすること」も必要とされています。
また、「保存性」とは、記録された情報が法令等で定められた期間に渡って真正性を保ち、見読可能にできる状態で保存されることです。
こうしたことは厚労省のガイドラインに書かれていることですが、電子データである電子カルテの場合、容易に書き換えができ、痕跡を残さず改ざんできてしまうという代物ですので、「紙カルテと同等のもの」が確保されていなくてはならないとされたわけなのです。

今回の病院の電子カルテが、この内の「見読性」の原則に反することは明らかでした。
ただ、そうはいっても、そのまま帰るわけには行きません。
そこから、現場での悪戦苦闘が始まったのです。
最初にも書いたように、医療事故の真相究明の観点からして、これは非常に由々しき問題であり、そうしたことも含めて、Part2に続きます。

2021年07月04日 > トピックス, 医療事件日記

医療事件日記~医療事件と「プレゼン」

葵法律事務所

先日、ある医療事件において、裁判所でプレゼンテーションなるもの(以下「プレゼン」といいます)を実施して来ました。
訴訟自体は、かなり進行している状況でもあり、裁判官の前で、事件で目を向けるべきポイント、証拠のあるべき評価などについて説明すること自体は「あり」だと思ったりもしたのですが、準備をしながらいろいろ感じたこともありますし、これからこの手法が大きく取り入れられる可能性もありそうですので、検証の意味で、「プレゼン」なるものについて取り上げてみます。

まず、プレゼンとは何ぞやということからですが、要はこれまでの訴訟の経過、双方から提出された主張書面や証拠を踏まえ、如何に自分たちの主張が正しいかをアピールするということで、企業などでは企画営業、コンペなどでわりと普通にあることと思います。
しかし、プレゼンが主張、証拠に基づいて裁判所に心証を形成してもらい、白黒をつけるという訴訟において相応しいものかということになると、現時点ではやはり疑問を感じるところもあります。
何よりも訴訟上の位置付けがはっきりしません。
実際、この点については今回の裁判官も言っていたのですが、プレゼン自体は証拠でもなく主張でもないからです。
もちろん、裁判所に「なるほどそういうことか」とポンと膝を叩いて納得してもらえれば何よりだし、準備をしている時はそんなことをイメージしていました。
ただそうなると、これまで主張や証拠を散々提出してきたけれど、もしかすると、このプレゼンの巧拙によって決着がついてしまうのではないかという感じで不安や疑問が湧いて来たのです。
でもまあ、やると決めた以上、準備をして臨むしかありません。

というわけでプレゼン当日を迎えました。
でどうだったかというと、相変わらずもやっとしたままです。
その事件のプレゼンが成功したかどうかは、裁判所が心証を明らかにしていないので現時点ではよくわかりません。
なのでそれ自体は別に良いのですが、プレゼン終了後にプレゼンの位置づけ、そこで語られるべき内容について、双方の代理人間で齟齬があることがわかったのです。
被告側は争点整理表に毛の生えた程度の、もっとシンプルなものをイメージしていたようです。
こちらは逆で、これまでの訴訟で双方から提出された主張書面や証拠のポイントを丁寧に指摘して自分たちの主張の正しさを示す手続という捉え方でしたので、かなり違ったものとなります。
で、裁判所ですが、双方の捉え方の中間というような言い方をしていました。
つまりプレゼンのイメージは三者間で共有できていなかったわけです。

ともあれ、裁判所がプレゼンを取り入れることを考えている以上、その適否、実施の際の手法といったことも含め、患者側代理人弁護士の間でもしっかりとした議論が必要といえるでしょう。
しかし、考えてみると刑事事件における検察官の論告求刑、弁護人の弁論は、早い話プレゼンですし、民事、行政訴訟などでも弁論を口頭で行うことはあり、それも口頭で伝えることで、裁判所にポイントを理解してもらおうという意味がありますから、早い話プレゼンなのです。
となると、今回の手続は法廷ではなく弁論準備室という部屋でやりましたが、法廷で堂々とプレゼンを行うことは、訴訟における正攻法としてのあるべき姿なのかもしれないと思った次第です。
そうである以上、弁護士ももっと「プレゼン能力」を磨かなくてはならない、そんな時代になりつつあると感じます。

実は、別件の医療訴訟でもプレゼン実施の話が出ていますので、それに向けて技術を磨きつつ、また経過、感想等をご報告させていただきたいと思います。

2020年10月04日 > トピックス, 医療事件日記

医療事件日記~コロナ状況下の証拠保全手続

葵法律事務所

先日、当事務所で引き受けたある医療事件で、証拠保全に行ってきました。
申立自体は今年の春先に行っていた事件なのですが、その後、コロナによる緊急事態宣言の影響で、手続がストップしてしまい、申立から5か月近くが経過して、やっと証拠保全期日が実施されたわけです(通常は申し立てて1~2ヶ月以内には期日が入りますから、やはり異常事態ではあります)。
というわけで、コロナ状況下における証拠保全に関するご報告です。

コロナウイルス感染の広がりによって、最も重大な影響を被っているものの一つが医療機関であることはいうまでもありません。
個々の医療機関で実情に応じた対応を取っておられるわけですが、正直、患者の家族が見舞いに訪れることも制限されているところも多く、抜き打ちで実施する以上、当日、行ってみなければスムーズに進められるかどうかの予測がつかなかったりするわけです。
とはいえ、証拠保全は一発勝負ですので、事前のホームページのチェック、依頼者への確認などの下調べは、平常時よりは慎重に行っておかなければなりません。
それでも無事に証拠保全手続を終えることができるかについて、不安を抱えつつ臨むわけで、行く前から普段とはちょっと違う緊張感がありました。

その不安は出だしでいきなり的中します。
まず建物に入る時点で、ちょっとしたトラブルに見舞われたのです。
コロナ感染対策ということで、まず、病院の入り口で検温を受けるわけですが、なんと裁判官とカメラマンで来てくれた弁護士の体温がいずれも37度を超えていたのです。
2人ともだるさなどまったくないのですが、いきなり足止めです。
結局、普通の体温計を持ってきて正確に測り、最終的には37度を下回っていたことが確認できたので、無事手続には入れたのですが、もし、何度測っても37度以上であれば、証拠保全ができなくなっていたかもしれません(特に裁判官については、手続の主体ですから、完全にアウトだったでしょう)。
おそらく、この日は異常に暑かったので、開始前に外で待機している間に軽い脱水のような状況になっていたのではないかと思いますが、この足止めによって、初っ端からコロナおそるべしとなったわけです。

その後の手続でも、コロナの影響は続きます。
私たちが入れられた部屋には窓も何もなかったのですが、基本的にそこから出ないように、院内を移動しないようにと求められました。
続いて、作業の途中で、CT等の画像の存在が明らかとなり、それは別の場所のコンピューター内に保存されていることが明らかとなったのですが、こうした場合、通常であれば、そのコンピューターの設置してある部屋に行き、その場で操作してもらい、すべてのデータの出力を確認する手順となります。
しかし、別室への移動は避けてもらいたいとの要請があったので、それを受け入れ、医療側を信頼し、とりあえず、データをダビングしてもらうということで納得しましたが、これもコロナの影響ということになります。
もちろん、今回の事件では、画像データはさほど重要ではなかったので折り合ったわけで、もし画像が決め手の事件であれば、コンピューター本体を確認させてもらうよう強く求めたはずですが、とにかくいろんなところで通常とは違う事態に遭遇します。

今回の証拠保全で、最も支障があったのは、最後の場面で、事故が起きた部屋の内部の看視状況を確認しようとしたときのことでした。
医療側からは、不特定多数が出入りする場所なので、室内に入ることは遠慮してもらいたいと求められました。
そのため、部屋の入り口からの撮影となったのですが、奥行きのある部屋なので、内部の状況を正確に確認することはできませんでした。
事故が起きた当時とは室内の状況も変わっているという説明もあったので、それ以上固執することはしませんでしたが、ちょっと残念なことではありました。
しかし、事件のことは別として、医療現場が大変な状況にあることは、今回の手続でもひしひしと実感させられました。

実は、現在準備中の証拠保全案件もあるのですが、コロナの影響はまだまだ長引きそうで、事案の内容や保全の対象物によっては、保全手続に重大な支障が生じて、最悪、保全執行が不能となる可能性がないとも限りませんので、今の時期は、申立のタイミングも含め、慎重に準備、検討しなくてはならないと強く感じた次第です。

2020年08月17日 > トピックス, 医療事件日記

医療事件日記~肝生検後の死亡事故につき不起訴処分が確定したことに関するご報告

弁護士 折本 和司

横浜市内のある総合病院で起きた、生後11か月の乳児に対する肝生検後の死亡事故に関する、当時担当医であった被疑者に対する業務上過失致死被疑事件について、本年6月下旬に出された検察審査会における不起訴不当の議決を受けての再捜査の結果、本年8月6日に、嫌疑不十分不起訴の判断が維持される結果となりました。

私たちは、この間、多くの医療関係者、警察関係者ともお話をし、また今回の嫌疑不十分不起訴の判断を維持した担当検事ともお話をしておりますが、まもなく10年という月日が経過しようとする時点まで待たされ続けた挙句、あまりに不可解な不起訴処分が出されたことによって非常なショックを受けられたご遺族の心情を踏まえ、あらためて、本件の経緯を含めてご報告させていただくことといたしました。

 

まず、事件の実体、性質からすれば、私たちは、検察審査会における不起訴不当の議決には非常に重い意味があると考えておりました。

そこで、議決後、私たちは、新しい担当検事と面談し、この間に入手した証拠やこれまでの調査、検討に基づく、事件の真相や法的評価について資料を携えて説明をしました。

担当検事にとっては、限られた時間の中で検討しなくてはならないので、この説明は、事案のポイントについて理解してもらうための協力をしたいという考えによるものでした。

私たちは、公訴時効期間満了までわずか2ヶ月しかないという状況ではあるものの、本件事故における医師の過失は明らかで、適切に対処していれば救命できたはずであること、そして、事故後の隠ぺいなどの対応の悪質さなどからすれば、当然起訴されるべき事案であることを強く訴えました。

そして、7月末までに意見書を提出することを検事と約束し、その約束どおり意見書も提出しました。

 

ところが、担当検事は、私たちの意見書が7月中に提出されることを承知していながら、その前に、ご遺族に対し、“報告”があるので検察庁に来てほしいと連絡を入れて来たのです。

弁護士同席の上でということになり、8月6日に私たちは検事のもとに赴きました。

すると、検事は、いきなり、嫌疑不十分不起訴にしたという結論を伝えたのです(上記の“報告”があるとの連絡を受けたのが意見書提出前ですから、その時点で不起訴の結論は決めていたことになるわけで、まあ、それも失礼な話ですが・・・)。

それに対して、理由を尋ねたところ、検事は、「本件が肝生検に起因する出血死」の事件であるとの前提に立ちながら、以後の経過について「肝生検後の出血を疑う状況と評価することは難しい」などとして、容態が悪化してから数時間もの間、何の精査もせず、「経過観察」としたことにつき、起訴はできないと判断したと述べました。

しかし、元々、肝生検には出血などの合併症のリスクがある上、特に本件の肝生検は、呼吸が止められず、肝臓が上下するリスクの高い乳児が、手技中にベッド上で体動が激しく、ブリッジをして肝臓が上下している状況で鎮静もせず、小さな肝臓を複数回刺し(担当医のカルテに明確に記載されています)、都合6回の穿刺が繰り返されたという、出血の合併症を来すリスクが高い症例であり、当然ながら、術後管理はより厳重に行われなくてはならないことは明らかでした。

ところが、肝生検後、1時間半後には脈拍数が分あたり200を優に超え、呼吸数も60台に上昇し、さらには発熱、チアノーゼ、四肢冷感など、出血兆候、出血性ショックを強く疑うべき所見が現れ、その状況が延々と続いてアラームが鳴りっぱなしだったにもかかわらず、医師らは、2時間以上もの間「経過観察」を続けるのみで何らの精査をしなかったというもので、このような異常事態について、「出血を疑う状況と評価することは難しい」との検事の説明に、私たちは一瞬言葉を失いました。

 

私たちは、これだけの異常所見が揃っていながら、「肝生検後の出血を疑う状況と評価することは難しい」と判断した根拠を検事に尋ねたのですが、そこで、さらに検事は驚くべき説明を展開します。

それは、「意見を求めた2人の医師が、『私でも経過観察をしていたと思う』と言っているから」というものでした。

私たちは、医療事件を扱っていて、明らかに中立性、公正性に欠ける不合理な鑑定意見書をしばしば目にします。

本来、あってはならないことですが、現実には、医療機関や保険会社の意向に沿った、身内庇いとしかいいようのない意見書が出され、協力医の方が呆れかえるということは決して稀なことではないのです。

もちろん、患者側が提出する意見書であっても、医学的知見に基づいたものでなくてはならないわけで、結論がどちらに寄っているにせよ、大切なことは、述べられている意見が正しいものか否かが医学的な見地からきちんと検証されなくてはならないということです。

しかし、担当した検事にそのような姿勢があるようには到底感じられませんでした。

上記の2人の医師の意見については、そこで述べられている見解の医学的根拠を丁寧に検証していけば、その誤謬に容易に気づくことができるはずだし、本件はまさにそのような事案だからです。

そんな検事の説明に対して、ご遺族から「2人の医師とおっしゃいますが、その分母はいくつですか」と尋ねた場面がありました。

すると、検事は、言いにくそうに「9人です」と答えたのです。

つまり、9人のうちの2人だけが「私でも経過観察をしていたと思う」と述べたということは、ほかの7人はそうではないと言っていることになります(もっとも、話しているうちに、もう1人微妙な意見の医師がいるという説明が加わりましたが)。

もちろん、このような問題は多数決で判断することではなく、医学的知見に基づく見解としてどちらが正しいかの話ではありますが、「経過観察と判断し続けたことに問題がある」と判断した医師の方が圧倒的に多いにもかかわらず、そちらを無視して、「私でも経過観察をしていたと思う」という意見があったことをことさらに強調して、起訴はできないとの判断を正当化しようとする姿勢には違和感しかなく、強い憤りを感じざるを得ませんでした。

 

ほかにも、検事はご遺族の面前で信じがたいような発言を繰り返します。

たとえば、血液検査は結論が出るのに時間がかかるなどとして、血液検査をしなかったことを正当化するような発言をしたので(時間がかかることが、検査をやらないことを正当化する理由にならないことはいうまでもありませんが)、「しかし、腹部エコー検査はベッドサイドで簡単にできるし、出血兆候を容易に確認できるのだから、それすらやらなかったことは過失といえるではないか」と述べたところ、「エコーをすれば、体が動いて、かえって出血が増えるリスクもある」などとして、エコーをやらなかったことを正当化する説明をしたのです。

しかし、患者は乳児であり、看護師が体を抑えれば済むことですし、そもそも、異常所見の原因を精査しなければ手遅れになることだってあるわけで、およそ本末転倒というほかないのですが、とにかく、検事の説明は、万事が万事、そんな感じでした。

また、当時の研修医で被疑者の一人となっていた方が書いた陳述書には過失があったことを認める記述があるのに、なぜそれを無視するのかと聞いたところ、これに対しても、驚くべき返答が返ってきました。

まず、陳述書の中には、当時の過失を明確に認める記述があるにもかかわらず、「当時、過失があったということを認めたものとは読めないと判断した」と強弁するのです。

もし、本当にそう思うなら、研修医の方の事情聴取をすべきではないかと尋ねたところ、その必要はないと判断したと答えるばかりでした。

ちなみに、過失の前提となる出血死の予見可能性について、検事は「そこはグレー」という言い方を何度かしていたので、「予見可能性がグレーというなら、なおのこと、事故の当事者である当時の研修医に話を聴くべきではないか」と迫りましたが、「もう結論は決めたので、事情を聴くつもりはない」と開き直るような受け答えでした。

さらに驚いたのは、検事が、「当時の医療水準では、経過観察としたことに問題はない」と述べたことでした。

確かに医療過誤で「医療水準」が問題になることはありますが、出血性ショックに対する対処は、医師にとってイロハのレベルの問題で、10年前も今も、やるべきことに何ら変わりはなく、医療水準など、およそ問題になる余地はありません。

率直に言って、この検事は、医療事故をまともに扱ったことがないのではないかとすら感じました。

 

とにかく、こんなやりとりが2時間余り続いたのですが、強く感じたことは、「不起訴という結論が先にありき」だったのではないかということでした。

実は、去年の年末に不起訴と判断した検事との会話でも強くそういう印象を持ったのですが、必要な補充捜査もせず、必要な医学的な検討もろくにしないまま、不起訴不当の議決からわずか40日で「嫌疑不十分」という結論を維持した検事に対しては、心の底から、「法律家として恥ずかしくないのか」「真相を解明して正義を実現しようという覚悟はないのか」と、強い憤りを感じながら私たちは席を立ったのです。

 

率直にいえば、本件の場合、少なくとも5年以上もの間、検察官がずっと警察からの送検の受理を拒み続けたという怠慢も非常に重大な過誤なのではないかとも思いますし、不起訴不当議決後に担当することになった検事にとっては、とばっちりのような面があるようにも感じています。

実際、今回対応した検事も、私たちとのやりとりの中で、時間不足で十分検討できなかった面があることを認めていました(それを認めて不起訴とすること自体、ひどい話ではありますが)。

しかし、ご遺族にとっては、いい加減な捜査の繰り返しで幕を引かれ、幼い子を失ったことについて正義が実現されないこと、そしてそれをおよそ納得できないような説明でごまかそうとされたことは本当にショックなことであり、お二人が落胆される様子を見て、私たちも本当につらく、持って行き場のない憤りとやるせなさを感じました。

 

ともあれ、刑事事件としてはこれで一区切りとなります。

事件の真相については確信を持っておりますので、今後は、引き続き、民事裁判の手続の中で、真相解明と医療側の責任追及を図って行く覚悟です。

そして、この民事裁判の中で明らかにされることが、この先に向けて、医療事故を減らすこと、さらにはより良い医療現場の実現につながるはずだという確信もあります。

それゆえ、今後も裁判の進行に合わせ、いろいろとご報告、ご提言をさせていただくつもりですので、医療関係者の方々も含め、広く関心を持って見守っていただければと希望しております。

 

 

2020年08月12日 > トピックス, 医療事件日記

医療事件日記~肝生検後の乳児の死亡事故につき、検察審査会において「不起訴不当」の議決が出されました

弁護士 折本 和司

本年6月25日付で、横浜の検察審査会において、私たちが担当している肝生検による乳児の死亡に関する医療事故について、不起訴不当の議決が出ましたので、ちょっと長くなりますが、経緯についてご報告するとともに、私たち代理人弁護士が感じている様々な想いを述べてみたいと思います。

 

まず、本件事故の経緯ですが、このホームページで何度も取り上げているとおり、平成22年9月1日に横浜市内のある総合病院の医師らが、生後11か月の女児に対して肝生検を実施したところ、術後1時間半くらいが経過したあたりから脈拍数が分あたり200回を超え、呼吸数も分あたり50回から60回を超え、そこから約3時間後に容態が急変して死亡したというものです。

ところが、死亡直後の9月2日未明の時点で、病院側は、両親に対して、「死因は不明だが、病院に責任はない」「真相を知りたければその調査のために数百万円はかかる」などと言い放ち、そのあまりに無責任な発言にショックを受けた両親が警察への通報を求め、警察介入となります。

司法解剖の結果、女児の肝臓には6個もの穿刺痕があったことが確認され、腹腔内に貯留した出血量は体内の総血液量の2分の1を優に超える360mlに達していたことが判明し、解剖医は、肝生検後の出血性ショックによる死亡と判断します。

ところが、病院側は、女児に何らかの代謝異常が起きたのだとして、出血性ショックによって説明のつく事象を、別の病気にこじつけるような主張を行うようになり、悲しみに暮れる遺族にもいきなりそのような趣旨の手紙を送りつけます。

警察は慎重に捜査を進め、長く時間はかかりましたが、事件は昨年11月に検察庁に送致されます。

その後、被疑者の内、当時研修医だった方の医師が、自身の弁護士を通じて、私たちに連絡をして来て、事故から9年以上の月日が流れてはいましたが、昨年12月に両親との直接の面会が実現しました。

研修医だった医師は、当時、患者の容態にずっと疑問や不安を感じながらも、経験が足りなかったことに加え、彼が所属していたチームにおいては、上級医の意向と異なるような医療行為ができない関係性があったため、上級医に何度も患者の異常を伝えてはいたものの、致死的な急変に至るまで何もしてあげられなかったことをその後ずっと悔やんでいたそうです。

また、この病院では、以前にも同種の事故が起きていたという情報もあったのですが、この研修医は、その当時はこの病院におらず、以前の事故のことは全く知らなかったそうです。

謝罪に来た医師は、その後経験を積んでおり、あらためて振り返れば、この事故が肝生検後の出血によるものであること、代償性ショックの段階なので、その時点で適切に対処していれば救命できたはずの事故であったとその場で明言していました。

 

私たちは、この研修医の謝罪を受けて、検察官に申し入れをしようと思っていたのですが、この面談の日からわずか半月後、送検からわずか40日しか経っていない昨年末の時点で、突然、検事から嫌疑不十分で不起訴にするとの連絡が入ったのです。

 

いうまでもないことですが、医療過誤は、経験を積んだ弁護士にとっても、症例ごとに幅広く医学的な検討をしなくてはならない事件領域であり、特に医療側が医学的に特異な主張を行っている場合には、その主張に矛盾点や不合理な点があるか否かを見極めるためには相当な時間と労力、さらには医師の協力などを要します。

たとえば、医療側は、裁判でも、急変時のヘモグロビン値の低下は出血では説明がつかないと主張していますが、本件では輸液が行われていたことに加え、大量出血が起きると、血管外から血管内に水分が戻って来るという機序もあり、ヘモグロビン値の低下は出血によるものと見るのが医学的には合理的なのであって医療側の説明には明らかに誤りが含まれているのですが、民事、刑事を問わず、医療事件においては、このような医学的なメカニズムの検証を一つ一つの事象について行わなければならないのです。

しかし、担当した検察官は、送致からわずか1ヶ月余りで、しかも、医師の内の一人がミスを認め、救命できたはずだとの認識を遺族に示し、謝罪の手紙まで渡している中で、嫌疑不十分不起訴という結論を出したわけですから、およそ上記のような検証がなされたとは考えられませんし、結論先にありきで役割を放棄したようにしか見えず、遺族が納得できないのも当然のことでした。

また、担当検察官は、遺族に対する説明の中で、公訴時効が迫っており、検察審査会の手続に入るためにも早めに結論を出してあげた方がいいと考えたと言っており、本末転倒で何をかいわんやというほかなく、私たちがその話を聞いた時には思わず絶句してしまいました。

 

不起訴処分が出た直後は民事裁判の方の次回期日の準備が佳境に差し掛かっていたこともあり、少し準備には手間取りましたが、私たちは、内部告発をしてくれた医師や、謝罪の意思を示してくれた(不起訴処分を受けた当事者でもある)研修医の方の陳述書を付して、検察審査会に審査の申立をしました。

その後、コロナウイルス感染の広がりで、手続が遅れているのではないかという心配もあったので、上申書を提出するなどして、結論が出るのを待っていたところ、6月25日付で検察審査会から、上級医に対する不起訴処分は不当であるとの議決が出たのです。

研修医の方については、理由は特に書いてありませんでしたが、不起訴処分が維持されています。

不起訴不当の議決の判断の理由の中では、肝生検の際の6回に及ぶ穿刺により、出血が続いており、脈拍数や呼吸数の異常があったにもかかわらず、出血兆候を見逃がし、救命処置を取らなかった過失が明確に指摘されており、また、その時点で適切に輸血、輸液、止血処置などが取られていれば救命できたはずとして死亡との因果関係についても明示されており、当たり前の結論ではあるのですが、まだ途中経過ではありますが、努力が報われてよかったという気持ちになりました(もちろん、勇気を振り絞って内部告発をしてくれた医師や、葛藤を乗り越え、謝罪に赴いてくれた研修医の方の協力があればこそですが)。

 

患者側の代理人として、様々な事件を扱ってまいりましたが、本件事故は、単なるヒューマンエラーと捉えるべきでない、今の医療現場が抱える様々な問題を含んでいるように思います。

前にも取り上げたことですが、本件では警察が介入した9月2日の未明には、巧妙な電子カルテの改ざんが行われています(今年放映された現代版「白い巨塔」におけるカルテの改ざんと同じ手口です)。

研修医の方から伺ったところでは、事故後、上級医から口裏合わせ的な指示もなされていたそうです。

前述したとおり、出血によって起きたものと説明のつく事象を、およそあり得ないような別の病気によるものとこじつけるような主張も繰り返されています。

しかし、本件事故くらい、シンプルな出血死の事故はありません。

意見書を書いてくださった協力医の方もおっしゃっているのですが、こんな明白な医療ミスの事故において、なぜ不毛な争いを行うのか、信じられない気持ちになります。

 

医療過誤を扱っていると、医療者に対する感謝の気持ちはむしろ強くなります。

ミスを犯した医師に対しても、それを責めるというよりも、臨床現場でリスクと向き合っておられることに対しては敬意を表したいと思うことも少なくありません(ですので、医療事故を起こした医師について、原則的には刑事処分を求めるという対応をしてはいません)。

ですが、本件事故におけるように、あまりに不毛で見苦しい争い方をする医療者や医療機関が存在することについては、そうした対応が、さらなる医療不信を招くことになるし、臨床現場もかえっておかしくなってしまうのではないかという危惧を感じたりもします。

 

今の率直な気持ちとして申し上げれば、本件事故については、体重わずか8キログラムの乳児の小さな肝臓に太い生検針を6回も刺し、出血死に追いやり、反省も謝罪もなく、医療側がカルテの改ざんを行い、裁判においても、明らかに出血死によるものと評価できるはずの事象を別の病気にこじつけるような主張を重ねている経緯に照らしても、この上級医に対しては、起訴して裁判による裁きを受けてもらいたいし、公開の法廷で事実が明らかとされることで、このような痛ましい、あってはならない事故が繰り返されず、また医療現場で働く医療者がきちんと医療に向き合えるようにするための教訓にしてもらいたいと心から強く願っております。

2020年07月11日 > トピックス, 医療事件日記
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