事件日記~調停に代わる審判のお話
離婚事件に限りませんが、裁判実務というものは日々変化していますので、私たち弁護士も法律自体だけでなく、実務の傾向や状況についても情報をアップデートして行く必要があります。
しかし、難しいのは、この実務に関する情報のアップデートは、知識としての補充だけでは足りないということです。
やはり、裁判所に行って、調停委員、裁判官と直にやりとりをして、経験を重ねながら身に着けていくしかない部分があります。
それを身に着けることで、事件の見通しを立てやすくなり、また節目節目での判断がより的確にできるようになるのです。
その一例として知っておく価値があるのが「調停に代わる審判」という制度なので、今日はそれを取り上げてみます。
調停に代わる審判とは、ある程度調停が進んだ段階で、裁判所が相当と認める場合に、調停を打ち切りつつ、審判、つまり、裁判所として解決案を提示するもので、家事事件手続法284条に定められている制度です。
通常、離婚関連事件では、たとえば離婚調停がまとまらず、不成立になると、訴訟に移行することになりますし、面会交流などの事件は、調停から審判に移行することになります。
いずれもそこから新たに別の手続が始まり、双方が主張立証を重ねて、裁判所の判断を仰ぐことになるわけです。
たとえば、離婚調停と併せて、子の面会交流の調停が同一の調停期日で実施されているとした場合、争点の大部分についてほぼ合意ができていながら、任意の合意形成がどうしても困難な状況になったとします(実際、感情的な軋轢が伴う離婚関連事件ではしばしばあることです)。
ここで双方の調停を不成立で打ち切ると、前述のとおり、離婚事件は訴訟、子の面会交流は審判という非公開の手続へと切り替わりますので(厳密にいえば、離婚は、当事者が新たに訴えを提起しなくてはなりませんが)、当事者は、それぞれ別々の手続で争い続けることになるわけです。
ところが、ここで裁判所が、調停に代わる審判を出して、双方がそれを受け入れれば、そこで事件の全体解決を図ることができるわけです(もっとも、いずれかが異議申立をすれば、本来の流れに戻ることになりますが)。
当事務所で扱っている家事事件においても、調停に代わる審判を出されたケースがありますし、手続中に、裁判所が調停に代わる審判を出す方向で強く押してくるケースも少なからずあり、ここに来てれその比率が高くなっているという印象があります。
ただ、率直に申し上げると、代理人の立場から見て、調停に代わる審判がふさわしい事例とそうでない事例があるように思います。
この辺りは、最初に書いたように、現場で経験しないとわからないことですが、実務では、調停に代わる審判も、裁判所にお任せでいきなりポンと出てくるわけではなく、調停の席上で、裁判官や調停委員とやりとりをしながら、個々の争点について、どのあたりであれば当事者が納得できそうかの擦り合わせを行ったうえで出してくるという印象を受けました。
夫婦関係の紛争ですので、内容的には合意できそうなところまで来ていても、感情的に受け入れられないというような場合、代理人としても、あとほんのちょっとなのに惜しいなと思うことがあるわけで、そのような場合に、裁判所が、当事者が折り合えそうな着地点を丁寧に模索して、調停に代わる審判を出してくれるのであれば、事件によってはとても良い解決法だと感じます。
もっとも、一方で、当事者が重視しているポイントや心情を軽視してやや強引に裁判所が調停に代わる審判に持っていこうとして依頼者がかえって不信感を抱いてしまったケースもありました。
ここらあたりは裁判官による違いもあるのでしょうが、条文にもあるとおり、具体的に事案に応じて、「当事者双方のために衡平に考慮し」「一切の事情を考慮し」た内容をどうすれば実現できるか模索しながら、手続を進めて行く姿勢が、弁護士の側にも求められることになります。
いずれにしても、調停に代わる審判には、合意成立まであと一歩までこぎつけたような事件での不毛な紛争の長期化が防げるというメリットもあるので、今後さらに裁判所が「調停に代わる審判」をより積極的に活用してくるはずですので、私たち弁護士も準備を怠らず、手続に臨んで行かなくてはならないと思います。
事件日記~成年後見と医療同意
成年後見人として活動していると、時に重大な判断を迫られることがあります。
その中でも、非常に悩ましいのは、医療機関から、手術などの侵襲的な医療行為をするにあたって、あるいは延命医療を行うかどうかといった局面で同意を求められた場合の対応です。
成年後見人の主たる仕事は、財産管理と身上介護ですが、いったん成年後見人に就任すると、時に家族と変わらないくらい長くお付き合いすることになりますので、当然、医療機関の受診が必要となることもまた珍しいことではありません。
もちろん、身近なご親族がおられる場合は、そちらにお話が行くので、診療契約といった手続きを除いて成年後見人の出番はほとんどないのですが、そのような身近な親族がおられない、あるいは事情があって協力が得にくい状況では、具体的な医療行為や延命治療の要否について成年後見人に連絡が来て同意を求められることがあるわけです。
今日は、そのことについて述べてみます。
この問題に関する実務における基本的な考え方は、「成年後見人は本人が受ける医療行為について同意するか否かを判断する立場にはない」というものです。
確かに、私たち弁護士は、職業として被後見人と接しており、元々、本人のことをよく知らないことが多く、もちろん近親者ではないわけですから、そのような立場の人間が、本人の尊厳に関わる、手術をするか否か、延命医療を拒否するか否かについて、軽々に判断できないことはそのとおりでしょう。
ただ、現実的には、ことはそんなに単純ではなく、時に避けて通れない問題になります。
医療行為に関するデリケートな選択をしなくてはならない状況は様々であり、緊急性があったり、親族に十分な判断力がないこともあり、また非協力的であったりなどいろいろですので、命にかかわる問題で、たらいまわしになって判断が遅れてしまいかねないことも少なからずあるからです。
この問題の本質は、なぜ医療機関が医療行為、医療の方針について同意を求めてくるのか、逆に言えば、医療同意の法的な意味をどう捉えるかというところにあります。
一つには、インフォームドコンセントの問題で、医療行為について患者に対するきちんとした説明と同意が必要とされる、つまり患者の自己決定権が重視されなくてはならないということがあるでしょう。
一方で、医療側の刑事責任の存否に関わる問題もあります。
医療行為は大なり小なり侵襲を伴うので、患者の同意を得ないでそれを行えば、刑事責任が生じる可能性があり、本人や家族の同意が得られれば、正当な行為として違法性が阻却され、刑事責任を問われないことになるとされており、そのため、医療側としては、患者側の同意に拘らざるを得ないという事情があります。
ただ、よくよく考えてみると、たとえば、本人が意識不明でかつ緊急性が高い場合には同意なんて得られないわけで、そうした場合には、「推定的承諾」、つまり、本人に意識があれば医療行為に承諾したであろうということで、医療行為に踏み切ることがありますが、その場合は、常識的な医療行為であれば、正当なものと評価されるのです。
一方、身近な親族がいたとしても、本人ではないわけですから、厳密に考えれば、第三者による承諾でもって、患者の自己決定権が充足されたとか、違法性が阻却されると言い切れるのだろうかという疑問もあります。
詰まるところ、医療同意の問題については、限界的な状況を想定してみると、何が正解なのか判然としませんし、成年後見の場合だけではなく、元々の位置づけからして曖昧なところがあります。
したがって、医療同意のあり方については、成年後見の実務的な問題ということのみならず、もっと広く、患者が時機を逸することなく適切な医療行為を受けることと、医療者の刑事的な免責の問題を、いかにして整合させていくかが議論されなくてはならないと思います。
とはいえ、成年後見人であれ、親族や施設の責任者であれ、そうした局面に置かれることがある以上、本人が適切な医療を時機を逸することなく受けられるようにするためには、何らかの方策が必要に違いありません。
以前、医療と人権部会の責任者を勤めていた時に、日弁連から単位会(弁護士会)の意見の取りまとめを行うようにと言われたことがあったのですが、第三者委員会のような審査機関でのチェックを行うような方策が議論されていました。
もちろん、時間的な猶予がない場合には、事後的なチェックとなりますが、それはそれで意味のあることと思います。
ただ、私個人としてはこう考えています。
示された医療行為を行うか否かについては、緊急性が高い場合で、身近な親族の判断が仰げない場合に限って、推定的承諾の法理があるわけですから、成年後見人と医師が協議して判断することは現実的には容認されるべきと思います。
そもそも、インフォームドコンセントの法理は、患者本人が適切な医療を受けられるようにするためのもので、それに形式的に拘って、適切な医療の機会が奪われるほうが本末転倒だからです。
もっとも、成年後見人がそのような判断をするためには、医療同意について、成年後見人になる人に対してきちんとした研修を実施するなどして、成年後見人が医療同意をすることの意味、同意するか否かの判断基準について共通の理解、問題意識を持てるようにしておくことが前提として必要だと思います。
事件日記~ある成年後見事件で起きたこと
当事務所の弁護士にとっての主要な業務の一つといえるのが成年後見です。
高齢となられた方の成年後見もありますし、様々な障害を抱えた方の成年後見もあります。
成年後見人の役目はケースバイケースですが、最近、ある成年後見事件で起きたことをご報告します。
知的障害を抱えた息子さんと一緒に暮らしておられたお母さんが昨年6月に急に亡くなられ、成年後見人を引き受けたのですが、周囲の手厚いサポートによって、去年の秋口までに生活の本拠となるグループホームで共同生活支援を受けられることとなり、本人も徐々にそこでの生活に慣れて来てくれて胸を撫で下ろしていたところにとんでもない事態が起きました。
まず、今年9月に、本人をサポートしてくださっているケースワーカーの方から、緊急に会議を行いたいので時間を取ってほしいとの連絡がありました。
何事かと思って駆け付けたところ、本人が暮らすグループホームを運営する法人が、急に施設の運営方針を変更すると連絡してきて、困っているといわれました。
その内容は、確かにひどいもので、これまでは、施設の職員がグループホームに寝泊まりし、食事の世話や、作業所に行く際のバス停までの送り迎え、病院の付き添いなどを行っていたのをすべてやめ、「食事はレトルトのものを運んで来るだけ」「職員は、1日に1回見回りに来るだけ」「送り迎え、付き添いなどはやらない」「何か困ったことがあった時の連絡は、備えおいた携帯電話で本人が行う」といったもので、本人の障害レベルからすると、作業所に行くこともできないし、日常生活の中で不測の事態が起きた時に対処できなくなってしまう危険が非常に高いため、とてもそのままにしておけないということになりました。
また、雇用の関係でも、直接、本人の面倒を見てくださった職員の方々がみんな会社を辞めざるを得なくなるということで、きわめて安易なコストカットが行われているという印象を強く持ちました。
その話が出て来てから、このままでは本人が安心して暮らせないということで、施設の職員、作業所の担当者、市の職員、ケースワーカーといった大勢の方々が何度も集まってくださり、善後策について協議が繰り返されました。
結論的には、この事業者には任せられないということになり、早急に別の施設を探そうということになったのですが、本人にしてみると、やっと慣れて落ち着いて暮らせるようになったばかりですから、なかなか他の施設への転居にうんと言ってもらえません。
もちろん、別の施設を探すことも決して容易ではなく、どうしても空白が生じるため、その期間中、どうすれば本人の支援に漏れがないようにできるかといったことも並行して考えなければならず、本当に大変だったのですが、ケースワーカーや市の職員の人たちが制度の制約の中で最大限の工夫を重ねつつ、本人にも納得してもらって、なんとか共同生活支援の枠組みを維持してサポートを続けていけるようにしてくださいました。
尽力していただいた関係各位には心から感謝申し上げたいと思います。
あとは、本人が新しい環境に一刻も早く慣れて、落ち着いて生活できるようになればと心から願っています。
しかし、返す返すも腹立たしいのは、利用者のことを微塵も考えていないとしか思えない事業者の対応です。
先月中に、今回のような異常な対応を非難する書面を送りましたが、行政にも報告して、このような安易な福祉の切り捨てのようなことが起きないようにしていかなければならないと考えています。
また、この国では、事業者の下で働く被用者も含め、弱い立場の権利が簡単に踏みにじられてしまっている、それが日常的に起きているのが偽らざる現実です。
福祉が簡単に切り捨てられてしまうような国に明るい未来なんてないし、そうならないために何をすべきかを一人一人の市民、国民がもっと真剣に考えなくてはいけないと強く思います。
事件日記~ある独居のご老人の成年後見を終えて
去年の11月に、当事務所の弁護士が担当していた成年後見事件の被後見人が天寿を全うされました。
振り返れば、その事件は、身内の方からの依頼があったわけでもなく、被後見人本人とも全く面識がない中で、後見申立を行い、そのまま成年後見人に就任したという経緯でした。
日本が超高齢化社会となったことで、今後、このような事件が増えて行くことが予想されますので、その経過をお伝えしつつ、いろいろと考えたことを述べてみたいと思います。
ご本人は神奈川県内のアパートで暮らす独居の老人男性で、頼る親族もいない状況でした。
おそらくは認知機能や体力の衰えの影響で食事も十分に摂ることができなくなり、その後、なんとか地元の病院にはかかることができたものの、治療費に充てる預貯金は多少はあるけれど、それを下ろすことすらできない状況で、地元の地域包括支援センターの方からの法律相談を経て、後見手続を取ることになったのです。
調査をしてみると、兄妹姉妹が数人おられることはわかったのですが、いずれも遠方におられ、しかも高齢で、本人とは疎遠になっていることもあって、協力を申し出てくれる方はいませんでした。
役所の手続を使う方法もありますが、将来的なことも考えれば、何とか親族にお願いしてもらった方がいいと考え、静岡県内におられるご兄弟に、申立人になってもらうようお願いし、経済的なことも含め、一切ご迷惑はおかけしないと約束して、後見の申立にこぎつけました。
そんな経緯でしたので、申立までの費用は、すべて自腹でした。
その後、申立を経て、成年後見人に就任し、本人の預貯金を医療費に充てつつ、本人の落ち着き場所を探すための苦労が始まりました。
最初は、地元のグループホームに入ってもらいましたが、本人がまだ精神的に非常に不安定であったため、グループホームから、「これ以上は無理」と泣きつかれ、最初に入院した病院に逆戻りとなりました。
医師と話し合いましたが、自宅に戻るのは絶対にやめた方がいいとの助言もあり、まずは精神的なところを落ち着かせる必要があるということで、精神病院への入院を勧められました。
しかし、この方の場合、精神病院に入院となると、そのまま出て来られなくなるのではないか、出会ったばかりの後見人がそのような決断をしていいものかと悩みましたが、薬の調整で落ち着く可能性はあるという医師の助言を受けて、神奈川県内の精神病院への入院を決め、それと並行して、将来の落ち着き先となる老人ホームの確保にもあたりました。
結果は大成功で、精神病院での治療が効を奏して、本人の精神状態は飛躍的に落ち着き、昔の話を楽しそうに話されるくらいまで安定してきたのです。
そして、ちょうどその時期に運よく入所先の老人ホームを見つけることができました。
遠方であったため、老人ホームに入ってからは、あまりお会いする機会はなくなりましたが、施設側とは必要な衣類や補助栄養ドリンクなどの差し入れや必要に応じた治療、医療機関への通院のこと等で定期的に連絡を取り合って、本人が穏やかに生活できていることを確認しながら、後見業務を遂行しておりました。
去年11月に亡くなられたとの連絡を受けましたが、最初の受任時点の、ひどく衰弱され、混乱されていたところから、終の棲家で穏やかな日々を過ごして天寿を全うされるところまで関われたことは、本当に良い仕事ができたなと思いました。
そして、それはこの間に関わっていただいた福祉、医療の関係者のご尽力のおかげでもあるので、心から感謝申し上げたいと思っています。
ただ、本件の場合、本人が亡くなられた後に、後見人として、なかなかデリケートな業務が残っていました。
後見業務は、本人が亡くなられたところで終わりではなく、相続人に引き継いだところで終了となります。
ところが、本件の場合、元々、親族の協力が受けられなかったという経緯があり、しかも法定相続人にあたる5名の方はいずれも遠方にお住まいであり、かつ高齢であるため、その引き継ぎは容易ではないことは元々予想できておりました。
結局、本人が亡くなられて以降の手続のみならず、火葬場にも一人で行って遺骨の引き取りからその後の諸々の段取りもすべてこちらで行うことになりました(実際は、かなりの煩わしいところは事務局に負担をかけてしまったのですが)。
難しいのは、後見業務の一環として行える部分と相続人でないとできない部分があるため、相続人との連携ができていればいいのですが、そうでない場合は、大変な手間となってしまうところがあります。
そのため、まだ多少やるべきことは残っていますが、最後に施設でお会いした時、車いすに乗られて、にこにこと笑っておられた姿が思い出されますし、寄る辺なき独居のご老人が、最後に福祉的援助を受けながら、穏やかに暮らせる手助けができたことは、弁護士冥利に尽きるところでもありました。
超高齢化社会になり、しかも、勤労者世代が経済的にも不安定となりつつある日本の実状からすると、独居で老後の不安を抱えて暮らしておられる方も多いと思いますが、後見という制度はそのような方の老後を支えるための杖になれると思います。
また、いきなり要後見状態に陥ってしまうよりも、できることならば、お元気なうちに、任意後見契約を締結する等して、いつか来るかもしれないその日に備えておかれればなおいいのではないかとも思った次第です。
事件日記~突然の成年後見人選任の申立
20年以上も交流のあった依頼者の女性が癌の余命宣告を受けられ、相談したいことがあるという連絡をいただいたのは今年5月のことでした。
実はこの方には、障害を抱え、後見を要する状況にあるお子さんがおられ、また多少込み入った事情もありました。
亡くなられた方は、お子さんのことを最後まで気にかけておられましたので、6月にはご自宅まで伺い、いくつか助言を差し上げるなどしたのですが、彼女の訃報が届いたのは、それからわずか10日後のことでした。
お会いした時は、気丈に明るく振舞っておられましたので、まさかこんなに早くお亡くなりになられるとはと驚きましたが、死後への備えのために、きっと最後の力を振り絞られたのだと思います。
その突然の訃報から数日後、私は、後見を要するお子さんのために10人近い福祉関係者が集まる地元の会合に出席しました。
お子さんといっても、すでに成人されているのですが、おひとりで暮らすのは到底無理な状況でした。
これまではずっとお母さんと二人暮らしで、お母さんが日ごろの面倒を見ておられましたが、とにかくご本人が安心して暮らせる環境を構築してあげる必要があるということで、すでに仮入所された施設の担当者も含め、様々な関係者が集っておられたのですが、福祉関係者の方々の真摯なやりとりをそばで見ていて非常な感銘を受けました。
ご本人が安心して暮らせるよう、寄り添って生活を支えてあげるということは、これからずっと継続して行かなければならないわけでそれ自体本当に大変なことと思いますが、日々の細かいところまでご本人にとって負担にならない方法を考えながら、役割分担を決めて行く福祉関係者の方々の努力には本当に頭が下がります。
もちろん、弁護士には弁護士の役割があります。
やはり、今回の場合は、突然に近い亡くなられ方だったので、重要な書類一つとっても、どこに何があるかすらわからない状況でしたが、当面の目標は、とにかく、早く成年後見人の選任申立を行い、契約や金銭の支払いなど、法律的な手続が進められるようにして行くことなので、緊急性の低いものや、現時点では処理できそうにないものはすべて後回しにして、申立の準備を急ぎました。
厄介だったのは、「要後見状態」であることの証明で医師の診断意見書が必要となるのですが、今回のご本人の場合、かなり以前にそれに類する診断は受けているものの、以後、特に主治医にあたるような医師がいないため、イチから診断意見書を書いて下さる医師を確保しなければいけないという事情もありました。
そのため、本人に関わっていた複数の医療機関にあたり、事情を話してなんとか診断意見書を書いてもらい、その間に戸籍謄本などを揃えるなどいろいろな手はずを整えて成年後見人選任申立の手続を行うことができました。
裁判所も事情を理解してくださり、ほどなく後見人選任に至りましたので、これから順次法的手続に取り掛かることになります。
考えてみると、私は、ご本人とも20年以上の面識がありますので、お母さんに頼まれ、ご本人の人生に関わって行くということについては、すごく不思議な縁を感じています。
何よりも、ご本人が安心して暮らして行けるように福祉の方をバックアップしていくことが亡くなられたお母さんに対する何よりの供養であると肝に銘じて、これから成年後見人の職務を遂行して行きたいと決意を新たにしています。