事件日記~刑事事件で忙殺された年末年始のこと
いろいろと記事にしたいことがあるのですが、しばらく何もできないでおりました。
その最大の理由は、年末、それも大みそかに刑事事件を受任したためでした。
正直、あれこれと宿題が溜まっており、年末年始のお休みの間にそれを片付けようと思っていたのですが、その目論見はものの見事に外れました。
実は、年末が迫る中で、周りの人から、「今年はいつまで働くのか?」と問われ、「大みそかまで」と答え、さらに「新年はいつから働くのか?」と訊かれ、「元旦から」と冗談で答えていたのですが、よもやよもや(最近の流行り言葉)で、現実になってしまったのです。
というわけで、充実(!?)した年末年始を与えてくれた刑事事件のお話をします。
まず、大みそかに接見に行くと、事件の中身もさることながら、それ以上に、ご本人の関係者に連絡をしてあげなければならない緊急の事情があったため、弁護人に就任することとなりました。
そこで、その日(大みそか)の内に、本人の希望を受けて、家族や関係者と連絡を取ったのですが、逆に、本人にいろいろと確認しなければならないことが出て来て、翌日、つまり、元旦のお昼頃、警察に接見に出かけたのです。
それからは、毎日のように、急ぎで連絡をする必要のある件が生じて、本人と関係者の間で伝言係を務めざるを得なくなりました。
結局、1週間ぶっ通しで警察に接見に行ったわけです。
こうした個人的な連絡については、刑事弁護そのものではないし、弁護士によってはやらないという人もいるようですが、常々、私はそのような考え方は間違いだと思っています。
なぜならば、刑事事件の被疑者、被告人になる、とりわけ身柄拘束をされてしまう人にとっての不利益とは、無実の罪を着せられたり、起訴されたり、実刑とされたりすることだけではなく、自由を奪われることによって社会的な面で受ける不利益も含まれるはずであり、時にはその不利益の方がより重大な場合もあるからです。
そうである以上、社会正義に反するようなものでない限り、そうした不利益をできる限り回避してあげることも弁護士の役目だと信じるからです。
という私なりの信条もあり、実際、その事件では、関係者に連絡をしてあげなければ、本人だけでなく、周りにも重大な不利益が生じることが避けられない状況だったため、正月休みを返上して、警察通いの毎日を過ごしたのでした。
一方、事件そのものについて差支えのない範囲で触れますと、なぜこの件で警察が逮捕に踏み切ったのか、大いに疑問を感じるところがありました。
また、1月4日の御用始め以降は、検察官とも何度か話し合ったのですが、率直に言って、警察のおかしな捜査をチェックすべき検察官の役目がまったく果たされていないと感じましたし、警察が、被疑者を欺くような取り調べ手法を取っていたりすることについても、それを諫めるような姿勢が感じられず、検察官に対する失望を禁じ得ませんでした。
さらに、裁判所も、勾留延長請求の時点で、こちらから意見書を提出したのに対して、「逃亡の恐れがある」などとして6日間の勾留延長を認めてしまいましたが、この判断もひどいもので、その後、勾留延長に対して準抗告を行ったところ、勾留延長は取り消されることになりました(詳細は省きますが、本件の場合、被疑者が逃亡することなど絶対にあり得ない状況だったにもかかわらず、それが勾留延長の理由の一つになっていました)。
国外逃亡したカルロス・ゴーンの肩を持つ考えはさらさらありませんが、日本の刑事手続の実務には、間違いなく「人質司法」と非難されても仕方のないような実態があります。
実際、今回の事件では勾留延長のところでぎりぎり勝負できましたが、途中では、早期に釈放してもらうために全面的に非を認める供述をした方が、トータルな意味では被疑者の利益になるのではないかという考えが何度も頭を掠めました。
刑事司法の現実を知らない人からすると、いったん自白し、裁判で無罪を争う被告人について、無実なら自白しないはずではないかと思ったりするかもしれませんが、実際に逮捕、勾留されている人にとっては、そんな単純な話ではないのです。
検察官が警察に対するチェック機能を怠り、裁判所が、安易に勾留を認めてしまうという現実が改められるような方策が採られない限り、「人質司法」と非難される、この国の歪んだ刑事司法の健全化は期待できないのではないかと痛感します。
そんなことをいろいろと考えながら、警察通いを重ねた年末年始でした。
そして、今も、その後遺症で休日返上で仕事に追われております。
皆様も、コロナで大変な状況が続きますが、くれぐれもご自愛ください。
事件日記~労災の再審査請求で不支給処分が取り消されました!
当事務所で扱っております労災の再審査請求で、不支給処分が取り消されましたので、その事件のことについてご報告したいと思います。
まず、事件の概要をご説明します。
事件は、あるナイトクラブで起きました。
従業員である東南アジア系の外国人女性は、同僚の女性が接客中に常連客の男性から絡まれてしまい、助けを求められたため、常連客を止めようとします。
しかし、それに怒った常連客が女性従業員をソファーで押し倒し、彼女の足関節を思い切りねじったのです。
その結果、女性従業員は膝の前十字靭帯を損傷し、その後手術を受けましたが、1年半以上経った今も普通に歩くことはできません。
事件は、労災事故であるとともに民事の損害賠償請求事件であることから、当初、示談交渉事件として受任することになりました。
民事の損害賠償請求は、当然ながら加害者の男性に対して行うことになります。
この時点では、よもや労災が認められないこと等あり得ないと考えていました。
ところが、その後、労災と認定されず、不支給決定が出ます。
その理由を見て、私たちは驚きました。
「自招行為」であり、業務上災害と評価できないという結論だったからです。
つまり、怪我は自ら招いたものなので業務に起因せず労災にはあたらないという判断だったわけです。
調べてみると、労基署の調査では、常連客だけではなく、被害者に助けを求めた女性従業員が、その常連客の言い分に沿う供述をしていることがわかりました。
しかしこの判断は明らかに不合理なものでした。
実は、この事件では、当時現場でその場面を目撃していた人物が何人もいたのですが、労基署の担当官はそれらの人たちから全く事情を聞いていませんでした。
加害者が真実を話すとは限らないことはいうまでもないことですが、その人物は常連客であり、その言い分に沿う供述をした女性は店の従業員ですから、店側に指示されて虚偽の証言をすることは十分にあり得ることです。
にもかかわらず、労基署の担当者は、その場に居合わせた複数の目撃者の話を聞こうともせず、加害者の言い分を鵜呑みにし、被害者の主張を虚偽だと判断したのです。
もう一点、これが決定的なのですが、加害者は、被害者の怪我について、自分に突っかかって来たので、振り払ったところ、足をひねったという言い分を述べていました。
しかし、被害者が負った膝の前十字靭帯の損傷は振り払われて足を捻った程度で生じること等絶対にあり得ません。
この一点のみで、加害者の言い分が嘘だということは明らかでした。
私たちは、目撃者の証言の録音、録画を添えて、審査請求をしました。
ただ、この時点では審査請求で判断は覆ると楽観視していました。
なぜかというと、業務中の第三者による負傷の場合は、業務起因性を推定するという通達もありますので、複数の目撃者がおり、医学的評価からしても自招行為の認定は維持されるはずはないと踏んでいたからです。
ところが、審査請求の結果は前と変わりませんでした。
正直、愕然としました。
また、同時に、依頼者の落胆は非常に大きなものがありました。
そこで、私たちは、再審査請求を行うか、訴訟に切り替えるかを検討したのです。
事案の内容からして、訴訟に切り替えれば、まず間違いなく判断は覆るという確信はありました。
しかし、訴訟となると、相手は国ですので、相当な労力と時間を要することは容易に想像できました。
その一方、再審査請求は、早期に判断が得られますが、結果が覆る可能性は裁判に比べると低いといわれていることもあり、もし、再審査請求で判断が覆らなければ、そこから訴訟となり、二度手間となってしまいます。
いろいろと迷いましたが、依頼者とも相談し、結局再審査請求を選択しました。
再審査請求の手続では、指示されたいくつかの書面を提出し、さらに希望があれば労働保険審査会に出頭して質疑に応じたり口頭で意見を述べることができます。
ちょうど、コロナの影響が拡大し始めた時期でしたが、審査会は開かれ、その場で審査員の方々と対面でやりとりをすることができました。
この審査会の手続は、わりとあっさり終わってしまうこともあるのですが、今回は審査員からいろいろと尋ねられ、また追加資料の提出を求められるといったやりとりもあって、審査会が終わった時点では、それなりの手応えを感じていました。
ところが、その後コロナ危機が拡大したことから、夏前には出るのではと思っていた結論は、秋になっても届きませんでした。
依頼者のことを思うと、じりじりした日々が続いていましたが、10月後半になって、やっと吉報が届きました。
原処分を取り消すという内容で、嬉しいというよりは、一山超えたということで、ホッとしたというのが正直なところでした。
事件はまだ続くのですが、ここまでの経緯を振り返るといろいろ思うことがあります。
まず、はっきり言って、労基署の判断と審査請求の判断については、およそプロの仕事とはいえませんし、非常に腹立たしく思います。
本件の場合、事実を自然にとらえて客観的に証拠を評価すれば、加害者側の言い分は筋が通らず、虚偽であることは一目瞭然でした。
中でも決定的なことは、前述したとおり、振り払われて、足を捻っただけで、膝の前十字靭帯を損傷するはず等ないということでした。
そうした医学的な不合理さは、手術を行った医師に確認すればすぐにわかることなのに、調査にあたった担当者らは医師への聞き取りすら行っていませんでした。
また、原処分では加害者の供述に沿う証言をした女性従業員について、「嘘をつく理由がない」としてその証言は信用できると認定しているのですが、常連客をかばおうとする店側が従業員に虚偽の証言をさせる可能性を洞察する想像力すらないのかと言いたくなります。
さらに、調査の過程で、複数いた目撃者からもまったく話を聞いていないこともおよそ信じ難い手抜きといえます。
また、本件の場合、前述した通達もあるわけで、それを無視するがごとく不利益な認定がなされているわけでなおさらです。
ここまでひどいと、もしかしたら労基署の担当者は、本件について端から労災にしないつもりだったのではないかという疑念さえ湧いてくるほどです。
もう一つ思うのは、このような不当な処分が出された場合に、それを覆すための被害者の負担の大きさについてです。
今回はなんとか再審査請求で判断をひっくり返すことができましたが、労災に遭った被害者にとって、ここまでの手間暇をかけなくてはならないというのは大変な負担ですし、それも弁護士の助力なしでは極めて困難なことだったに違いありません。
特に、外国人労働者にとっては言葉の問題もありますので、さらに大変なことです。
となると、労災として権利救済されるべき事案について不支給の処分が出てしまった場合、泣き寝入りせざるを得なくなった人が多く存在しているのかもしれません。
労災の場合、その後に民事賠償を控えていることもありますので、この場面で杜撰な不利益認定を受けてしまうと、民事賠償にも重大な影響が及びかねませんので、その不利益はさらに大きなものとなります。
労災は、判例の蓄積もあり、かつてに比べると認定基準は広がっていますが、個々の認定に関しては、恣意的ともいえる不合理かつ不利益な判断がなされることは決して稀なことではありません。
ですので、事故に遭われて、労災にあたる可能性がある場合、あるいはいったん不支給の処分が出たとしても納得できない場合には、諦めず、お住いの地域で労災が扱える弁護士に相談してみるようお勧めいたします。
事件日記~「保佐」の勧め
高齢者の財産や老後の生活を守るために、成年後見の利用が定着していますが、関連するものとして「保佐」という手続があります。
平たくいえば判断能力の違いなのですが、細かく見て行くと後見とはいろいろな違いがあり、要件さえ満たすのであれば、現実的な選択肢として「保佐」を利用すべきと感じることは決して珍しくありません。
そこで、後見との異同を踏まえつつ、どういう場合に保佐を利用すべきかについて述べてみたいと思います。
まず後見との違いですが、後見は裁判所において「精神上の障害により判断能力が欠いている」と判断された時に付されるのに対し、保佐は「精神上の障害により事理弁識能力が著しく不十分」と判断された時に付されるということで、両者の間には判断能力という点で明白な違いがあります。
ですので、後見人が選任されるということは、本人=後見人ということになり、契約などの法律行為については全面的な代理権を持つ後見人にしかできません。
一方、保佐の場合、保佐人は、選任の際に定めておく「重要な法律行為」に関する同意権や一定の手続を踏んだ上での代理権を持つという仕組みになっています。
また、選任手続の関係では、後見の場合と異なり、本人に一定の判断能力があるため、裁判所において本人の意思確認の手続が取られることになります。
もっとも、実際に保佐人に就任した後の保佐人のやるべき仕事は、日常的なところでは後見とほとんど変わりません。
年に1度の裁判所への報告や、不動産の処分や遺産相続の手続等、重要な局面での対応も、実際のところ、関わっていて違いを感じることはありません。
では、保佐利用のメリットはどこにあるかですが、一つは取消権です。
保佐人は、本人が単独で、たとえば騙されて不動産を処分するなどの不利益な契約を締結してしまったような場合、詐欺や脅迫といったことがあったかをいちいち問題とすることなくその契約を取り消すことができるのです。
つまり、保佐は、本人の財産を保全するための備えとして非常に有用であるといえます。
高齢者の方とお話をすると、意思疎通は普通にできても、近い時期のやりとりに関する記憶が曖昧であったり、複雑な部分の判断ができず、混乱されてしまうといった場面にしばしば出くわします。
そうした方の場合、契約に関する具体的な損得や適否の判断は難しいのですが、であるからこそ、高齢者を狙った詐欺や詐欺的商法が横行しているのです。
高齢者を狙った詐欺商法を防ぐためには、この種の犯罪に関与した人間は、末端の人間でも厳罰に処するような制度改革がなされるべきと思うのですが、とにもかくにも高齢者が被害に遭わないようにするための最も現実的な備えの一つとして「保佐」は有効といえます。
ところで、少し局面は異なりますが、保佐と後見の違いはほかにもあります。
たとえば、本人が一定の財産を保有しておられて、相続税対策が必要であったり、遺言を作成することが必要であったりという場合です。
後見人が選任されて以降だと、相続税対策での贈与などの法律行為はできませんし、遺言作成も基本的には難しくなります。
しかし、保佐であれば、そうしたことも可能です。
もちろん、これは判断能力に対する評価(具体的には医師の意見)によって定まることであり、メリットデメリットという観点でお話することではありませんが、ご本人や親族にとっては、タイミングによって後見ではなく保佐を選択肢に加えることは検討してみる価値があるといえるでしょう。
今や日本は超高齢化社会を迎えていますので、財産保全やいずれ来るであろう相続への備えといった観点から、後見の前段階ともいえる「保佐」の利用を検討する意味は大きいと思います。
ぜひご検討ください。
事件日記~コロナ危機と「再生手続」
給与所得者や個人事業者の方が多額の負債を抱え、債務整理の相談に見えて法的な整理を選択する場合、裁判所の手続としては破産か個人再生の両方の選択肢があることについては、前にもこのホームページで取り上げたことがあります。
弁護士としては、その場合、できる限り個人再生手続での法的整理を実現してあげたいと考えるわけです。
もちろん、個人再生手続についても当然ながら一定の要件があり、要件にあてはまらず、申立自体ができないケースもあるわけですが、ハードルが高くても、依頼者とともにそのハードルを乗り越え、再生計画認可にたどり着ければ、自宅を処分しないで済むであるとか、これまでどおり事業を続けられるわけで、築き上げた生活基盤を維持できることになれば、その満足度は非常に高いものがあります。
今回のコロナ危機の実体経済、国民生活への影響は非常に重大ですので、ぎりぎりの状況における選択肢ということで、個人再生手続について取り上げてみたいと思います。
コロナ危機の影響は様々ですが、現状での急な収入減少は、住宅ローン、自動車のローン、事業の運転資金、子供の学費などの避けられない支出を抱えている方にとっては非常に大きなダメージとなります。
そして、いよいよ返済が難しくなれば、債務整理を検討しなくてはなりませんが、経験的に申し上げると、もう少し早い段階で相談に来てもらえれば別の選択肢があったのにと感じることは決して稀なことではありません。
前述のとおり、抱えた債務に対する法的整理の方法としては、大きく分けて破産と再生手続があるのですが、破産と異なって、再生手続を選択すれば、前述のとおり、不動産を残し、商売も続けて行ける可能性があります。
もちろん、再生手続にも要件があり、そもそも要件を満たしていない場合もあるのですが、要件を満たすかどうかが微妙な場合に、再生手続前提で弁護士が介入し、生活を立て直しながら、再生の要件を満たすように準備をして行くこともケースによっては十分可能なことです。
たとえば、弁護士介入により、債権者への返済をいったん止め、当面の経済的な余力を確保し、ご自身の収入増に注力してもらい、それをしばらく続けながら再生手続の最重要要件である将来の安定した収入の見込みを認めてもらえるよう実績を積み上げて行ければ、要件クリアとなります。
また、自宅の不動産を保有し続けたいのであれば、原則として住宅ローンの支払いは続けないといけませんが、滞納が続くと代位弁済がなされてしまい、そうなると再生手続における住宅ローン特別条項の適用が受けることが非常に難しくなって、不動産を手放さざるを得なくなります。
そうならないためには、代位弁済されてしまう前に、弁護士が介入して他の負債の支払いを止め、住宅ローンだけは優先的に支払えるようにし、あわせて早期に住宅ローンの債権者である金融機関との話し合いを開始しておくことが肝要となります。
再生手続の場合、清算価値チェックシートで資産評価を行った結果にもよりますが、多くの場合、住宅ローン以外の一般債務は5分の1程度に圧縮され、それを3年もしくは5年の分割払いで返済すれば足りることになりますから、この手続を利用するメリットは非常に大きいといえます。
しかし、上記のような要件の制約があり、またタイミングを逸して経済状況が厳しくなれば、活用できたはずの再生での生活確保が不可能となってしまうことになりかねません。
ですので、本当に切羽詰まるよりも前に、早め早めに再生手続を利用できる見込みについての検討を開始すべきです。
なお、手続費用ですが、弁護士が申立代理人となる場合とそうでない場合とでは裁判所に納める予納金の金額が少し違ってきます。
これは、申立代理人である弁護士が、裁判所の個人再生委員の仕事の一部を負担するため、その分予納金を低くしてくれるのです。
もちろん、弁護士に依頼するとなると弁護士費用がかかりますが、分割に応じてくれる弁護士もいますし、再生手続には前述したようなテクニカルな要素もありますので、手前味噌ではありますが、弁護士に相談することをお勧めしたいと思います。
事件日記~ある刑事事件における勾留請求却下決定
それまで平穏な日々を送っていたのに、ある日突然刑事事件の被疑者になってしまうということは、実際、誰にでも起き得ることです。
弁護士なんて因果な商売をやっているとつくづくそう思うのです。
実際、最近当事務所で扱ったある刑事事件はまさにそのような事件であり、正直なぜこれが刑事事件になり、身柄拘束にまで至ったのかということも疑問ですし、捜査のプロセスにおける捜査機関の手法にも非常に問題があると感じました。
その事件では、努力の甲斐あって勾留請求が却下され、被疑者は早期に自由の身となれたのですが、時間的制約もある中での弁護活動は非常に難儀なものです。
というわけで、捜査のあり方に警鐘を鳴らす意味も含め。ここで取り上げてみます。
事件は、男女間のトラブルがきっかけで起きたものです。
最近親しくなった女性から、いきなり自宅に呼びつけるような連絡が入り、被疑者となる男性が女性の自宅に行ったのです。
ここからは双方の言い分が食い違うので、いったん端折りますが、男女は口論からもみ合いになり、男性が女性の首を絞めてけがをさせたということで刑事事件になります。
男性は後日自宅を訪れた警察官により傷害罪でいきなり逮捕されます。
その日、すぐに連絡が入り、接見に行き、男性の言い分を確認しました。
男性によると、女性宅に呼びつけられて自宅に行ったところ、酔っぱらっていた女性に絡まれ、興奮した女性が平手で暴力を振るって来たそうです。
そこから女性が今度は手拳で殴り掛かって来たので、さすがにそれを制止しようとして体を抑えたりしたところ、女性はさらに興奮し、足で蹴りつけるなどしたとのことでした。
そこからもみあいになって、倒れこんだものの、女性がさらに暴行しようとしたので、やめさせようとして首のあたりを抑えようとしたものの、女性がますます激昂し、怖くなったのでそのまま逃げ帰った、これが被疑者である男性側の言い分でした。
刑事事件になってしまっている以上、女性の言い分はまったく逆なのでしょうが、事件は室内で起きたものであり、直接その場面を目撃した第三者はいませんので、おそらく、女性の言い分だけでいきなり警察に逮捕されたことになります。
勾留請求が迫っているので、すぐに検察官に連絡を取り、面談しました。
「双方の言い分しかなく、正当防衛の可能性もある事件だし、男性は横浜市内で真面目に商売をしている人物なのだから、少なくとも勾留の理由、必要性はないはずだ」という意見を述べ、勾留請求を行わないよう求めました。
さらに、その日は、東京で仕事があったので、意見書作成の準備の時間的余裕が必要なため、念のためと思い、「もし勾留請求に踏み切るなら、裁判所に勾留請求の却下を求めたいので、勾留請求すると決めた時点で連絡してほしい」と頼んだところ、検察官は「連絡します」と答えていました。
しかし、午後4時を過ぎても検察官から連絡がないため、こちらから連絡をしたところ、担当事務官から、すでに勾留請求をしたとだけ伝えられました。
検察官に代わってもらい、「約束違反ではないか」と抗議しましたが、検察官からは「そんな約束はしていない」と開き直られてしまいました。
日々の業務の中では、このように足元を掬われることも時折ありますが、勾留がついてしまうと少なくとも10日間近くは身柄拘束されてしまうわけで、被疑者にとっては仕事上も非常なダメージがありますから、検察官のアンフェアな対応に本当に怒り心頭でした。
ただ、こうなった以上、裁判官との交渉にかけるしかないので、すぐ裁判所に電話し、面接を申し入れ、並行して意見書を作成しました。
面接では、裁判官に事案に関する被疑者の言い分や被疑者の抱えている事情を伝え、勾留請求を却下してもらうよう口頭でも意見を述べ、その日急いで準備した親族の身元引受書を提出しました。
その日の夜になって裁判所から勾留請求却下の連絡が入り、午後8時頃でしたが、被疑者は釈放され、身元引受人とともに無事自宅に帰ることができたのです。
早期に身柄拘束を解き、自由にしてあげることは、刑事事件を担当する弁護士にとっては非常に重要な役割の一つですが、実際、身柄拘束による被疑者の社会的不利益は非常に重大なものがあります。
被疑者段階の勾留は原則として10日間であり、さらに通常事件ではもう10日間延長ができますので、逮捕からいうと3週間以上にも及ぶことになりますし、大体が予想できていない事態ですので、この身柄拘束が社会的な意味で致命傷となることも決して稀なことではありません。
また、逮捕から勾留請求までにはわずかな時間しかないので、その間に勾留をさせないようにするための弁護活動を行うことはそう容易なことではなく、弁護士にとっても相当な瞬発力を求められます(当事務所の場合、そのような状況になれば、複数弁護士で対応することもあります)。
逆に、捜査の現状を見ると、逮捕にせよ、勾留にせよ、お役所におけるルーティーンというか、流れ作業のように手続が進められているのではないかと感じることも少なくありません。
それは、決して、捜査機関の問題のみならず、裁判所においてもしかりで、実質的に見て勾留の理由があるのか、また、勾留によって身柄拘束をする必要性があるのかを、事案ごとに裁判所がきちんとチェックしてくれていないのではないかと思うこともあります。
すべての事件で弁護士が適切かつ機を逸することなく対応できるわけでもありませんが、検討されるべき事情を裁判所に気づいてもらうという意味で弁護士の役割は大きいといえますし、弁護士が捜査機関の問題性を裁判所に知ってもらうことは、勾留制度が適切に運用されるという意味でも非常に重要なことだと思います。
とにかく、もし何らかのトラブルによって逮捕されることがあったら、いえ、もしかすると逮捕されるかもしれないという状況になったら、できるだけ早めに弁護士の助言を仰ぐことを強くお勧めします。
いったん強制捜査のレールに乗ってしまうと、そこから降りることは必ずしも容易なことではないからです。