
事件日記~労災の再審査請求で不支給処分が取り消されました!
当事務所で扱っております労災の再審査請求で、不支給処分が取り消されましたので、その事件のことについてご報告したいと思います。
まず、事件の概要をご説明します。
事件は、あるナイトクラブで起きました。
従業員である東南アジア系の外国人女性は、同僚の女性が接客中に常連客の男性から絡まれてしまい、助けを求められたため、常連客を止めようとします。
しかし、それに怒った常連客が女性従業員をソファーで押し倒し、彼女の足関節を思い切りねじったのです。
その結果、女性従業員は膝の前十字靭帯を損傷し、その後手術を受けましたが、1年半以上経った今も普通に歩くことはできません。
事件は、労災事故であるとともに民事の損害賠償請求事件であることから、当初、示談交渉事件として受任することになりました。
民事の損害賠償請求は、当然ながら加害者の男性に対して行うことになります。
この時点では、よもや労災が認められないこと等あり得ないと考えていました。
ところが、その後、労災と認定されず、不支給決定が出ます。
その理由を見て、私たちは驚きました。
「自招行為」であり、業務上災害と評価できないという結論だったからです。
つまり、怪我は自ら招いたものなので業務に起因せず労災にはあたらないという判断だったわけです。
調べてみると、労基署の調査では、常連客だけではなく、被害者に助けを求めた女性従業員が、その常連客の言い分に沿う供述をしていることがわかりました。
しかしこの判断は明らかに不合理なものでした。
実は、この事件では、当時現場でその場面を目撃していた人物が何人もいたのですが、労基署の担当官はそれらの人たちから全く事情を聞いていませんでした。
加害者が真実を話すとは限らないことはいうまでもないことですが、その人物は常連客であり、その言い分に沿う供述をした女性は店の従業員ですから、店側に指示されて虚偽の証言をすることは十分にあり得ることです。
にもかかわらず、労基署の担当者は、その場に居合わせた複数の目撃者の話を聞こうともせず、加害者の言い分を鵜呑みにし、被害者の主張を虚偽だと判断したのです。
もう一点、これが決定的なのですが、加害者は、被害者の怪我について、自分に突っかかって来たので、振り払ったところ、足をひねったという言い分を述べていました。
しかし、被害者が負った膝の前十字靭帯の損傷は振り払われて足を捻った程度で生じること等絶対にあり得ません。
この一点のみで、加害者の言い分が嘘だということは明らかでした。
私たちは、目撃者の証言の録音、録画を添えて、審査請求をしました。
ただ、この時点では審査請求で判断は覆ると楽観視していました。
なぜかというと、業務中の第三者による負傷の場合は、業務起因性を推定するという通達もありますので、複数の目撃者がおり、医学的評価からしても自招行為の認定は維持されるはずはないと踏んでいたからです。
ところが、審査請求の結果は前と変わりませんでした。
正直、愕然としました。
また、同時に、依頼者の落胆は非常に大きなものがありました。
そこで、私たちは、再審査請求を行うか、訴訟に切り替えるかを検討したのです。
事案の内容からして、訴訟に切り替えれば、まず間違いなく判断は覆るという確信はありました。
しかし、訴訟となると、相手は国ですので、相当な労力と時間を要することは容易に想像できました。
その一方、再審査請求は、早期に判断が得られますが、結果が覆る可能性は裁判に比べると低いといわれていることもあり、もし、再審査請求で判断が覆らなければ、そこから訴訟となり、二度手間となってしまいます。
いろいろと迷いましたが、依頼者とも相談し、結局再審査請求を選択しました。
再審査請求の手続では、指示されたいくつかの書面を提出し、さらに希望があれば労働保険審査会に出頭して質疑に応じたり口頭で意見を述べることができます。
ちょうど、コロナの影響が拡大し始めた時期でしたが、審査会は開かれ、その場で審査員の方々と対面でやりとりをすることができました。
この審査会の手続は、わりとあっさり終わってしまうこともあるのですが、今回は審査員からいろいろと尋ねられ、また追加資料の提出を求められるといったやりとりもあって、審査会が終わった時点では、それなりの手応えを感じていました。
ところが、その後コロナ危機が拡大したことから、夏前には出るのではと思っていた結論は、秋になっても届きませんでした。
依頼者のことを思うと、じりじりした日々が続いていましたが、10月後半になって、やっと吉報が届きました。
原処分を取り消すという内容で、嬉しいというよりは、一山超えたということで、ホッとしたというのが正直なところでした。
事件はまだ続くのですが、ここまでの経緯を振り返るといろいろ思うことがあります。
まず、はっきり言って、労基署の判断と審査請求の判断については、およそプロの仕事とはいえませんし、非常に腹立たしく思います。
本件の場合、事実を自然にとらえて客観的に証拠を評価すれば、加害者側の言い分は筋が通らず、虚偽であることは一目瞭然でした。
中でも決定的なことは、前述したとおり、振り払われて、足を捻っただけで、膝の前十字靭帯を損傷するはず等ないということでした。
そうした医学的な不合理さは、手術を行った医師に確認すればすぐにわかることなのに、調査にあたった担当者らは医師への聞き取りすら行っていませんでした。
また、原処分では加害者の供述に沿う証言をした女性従業員について、「嘘をつく理由がない」としてその証言は信用できると認定しているのですが、常連客をかばおうとする店側が従業員に虚偽の証言をさせる可能性を洞察する想像力すらないのかと言いたくなります。
さらに、調査の過程で、複数いた目撃者からもまったく話を聞いていないこともおよそ信じ難い手抜きといえます。
また、本件の場合、前述した通達もあるわけで、それを無視するがごとく不利益な認定がなされているわけでなおさらです。
ここまでひどいと、もしかしたら労基署の担当者は、本件について端から労災にしないつもりだったのではないかという疑念さえ湧いてくるほどです。
もう一つ思うのは、このような不当な処分が出された場合に、それを覆すための被害者の負担の大きさについてです。
今回はなんとか再審査請求で判断をひっくり返すことができましたが、労災に遭った被害者にとって、ここまでの手間暇をかけなくてはならないというのは大変な負担ですし、それも弁護士の助力なしでは極めて困難なことだったに違いありません。
特に、外国人労働者にとっては言葉の問題もありますので、さらに大変なことです。
となると、労災として権利救済されるべき事案について不支給の処分が出てしまった場合、泣き寝入りせざるを得なくなった人が多く存在しているのかもしれません。
労災の場合、その後に民事賠償を控えていることもありますので、この場面で杜撰な不利益認定を受けてしまうと、民事賠償にも重大な影響が及びかねませんので、その不利益はさらに大きなものとなります。
労災は、判例の蓄積もあり、かつてに比べると認定基準は広がっていますが、個々の認定に関しては、恣意的ともいえる不合理かつ不利益な判断がなされることは決して稀なことではありません。
ですので、事故に遭われて、労災にあたる可能性がある場合、あるいはいったん不支給の処分が出たとしても納得できない場合には、諦めず、お住いの地域で労災が扱える弁護士に相談してみるようお勧めいたします。
日々雑感~「半沢直樹」の心に沁みた言葉たちPART3
「半沢直樹」の心に沁みた言葉たちの「最終回」です。
前の2回と併せて、合計3つを取り上げるわけですが、「心に残った言葉」という視点であれば、いくらでもあるというか、面白かったり至極名言だと思えたりするような言葉は溢れ返っており、言葉という点だけでも「宝箱」のような作品でした
「感謝と恩返し」「施されたら施し返す。恩返しです」「おしまいDEATH」「おかげでファイト満々よ!」「記憶にないは国会でしか通用しません」など、脳裏に刻み込まれた言葉は拾い上げたらきりがないくらいです。
もちろん、原作からそのまま使われたものもあれば、脚本で加えられたもの、さらには現場で俳優の方たちがアドリブで付け加えたものもあったそうですので、その意味でも、原作者、監督、脚本家、プロデューサー、俳優の人たちの総力が結集され、化学反応を起こしてできた奇跡のようなドラマだったといっても過言ではないでしょう。
そんな中で、今回取り上げる「心に沁みた言葉」は、何といっても第10話、最終回のクライマックスシーンにおける半沢直樹の、魂の叫びともいえるようなあの言葉たちです。
最終回、半沢直樹は、簑部幹事長が設定し、テレビで実況中継され、大勢の記者が待ち構える場所に中野渡頭取に代わって赴きます。
そして、債権放棄の要請を拒否すると伝え、それに引き続いて、簑部幹事長の不正な錬金術を暴くのですが、その場から逃げようとする簑部幹事長を白井大臣が引き留めたところでその言葉は放たれます。
「政治家の仕事とは人々がより豊かに、より幸せになるよう政策を考えることのはずです」「今、この国は大きな危機に見舞われています。航空業界だけでなく、ありとあらゆる業界が厳しい不況に苦しんでいる。それでも人々は必死に今を耐え忍び、苦難に負けまいと歯を食いしばり、懸命に日々を過ごしているんです。それは、いつかきっとこの国にまた誰もが笑顔になれるような明るい未来が来るはずだと信じてるからだ」「そんな国民に寄り添い、支え、力になるのがあなた方政治家の務めでしょう」「あなたはその使命を忘れ、国民から目をそらし、自分の利益だけをみつめてきた」「謝ってください。この国で懸命に生きるすべての人に。心の底から詫びてください」
リアルタイムで視聴しながら、これは本当にすごい言葉だと感じました。
もちろん、半沢直樹のこの発言は直接には本作のラスボスである簑部幹事長に対するものですが、同時にそれは、今まさにコロナ禍で苦しみながら必死でそれを乗り切ろうとしている私たち国民の状況を目の当たりにしながら、およそ国民に寄り添った政治に取り組もうとしない今の腐りきった政治家たちに向けて、その姿勢を痛烈に批判する強烈なメッセージとなっていたからです。
正直、このドラマを見始めた時、7年間の空白により時代背景が少しずれてしまっているので今の時代にフィットするのだろうかという一抹の不安がありましたが、観ている内にその不安はものの見事に吹き飛びました。
しかし、この最終回のこの場面を観た時には、それどころか、このドラマは、まさに今の日本国民、日本の政治家たちに向けて作られたものだし、ここで放たれたメッセージはその集大成であると感じ、強い感銘を受けました。
半沢のセリフの内容を順にじっくり見て行くとその素晴らしさがわかります。
「今、この国は大きな危機に見舞われています。・・・ありとあらゆる業界が厳しい不況に苦しんでいる」とは、明らかに長引くコロナ禍で苦しむ今の日本の現状を念頭に置いたものでしょう。
続く「それでも人々は必死に今を耐え忍び、苦難に負けまいと歯を食いしばり、懸命に日々を過ごしているんです。それは、いつかきっとこの国にまた誰もが笑顔になれるような明るい未来が来るはずだと信じてるからだ」も同様で、それは紛れもなく今のコロナ禍で明日が見えない嵐の中で、必死に頑張っている人たちを励まし、鼓舞するメッセージとなっています。
そこから、半沢の言葉は為政者に向けられます。
「そんな国民に寄り添い、支え、力になるのがあなた方政治家の務めでしょう」「あなたはその使命を忘れ、国民から目をそらし、自分の利益だけをみつめてきた」は、今の政治家たちに対する、よりリアルで強烈な批判となっています。
翻って現実を見れば、この国で懸命に生きる人たちを守るために誰よりも額に汗しなければならないはずの政治家たちはいったい何をやっているのでしょうか。
政治のトップにいる人間が、政治を私物化し、国の行事を選挙のために利用し、お友達のために不可解な国有地の払い下げや学部の設立に手を貸したりとか、コロナ対策で意味不明のマスクを怪しげな選考経過で実績のない業者に発注したりとか、コロナ対策事業をおかしな法人を介して電通あたりに丸投げしたりする様は、まさに半沢直樹が指摘する「使命を忘れ、国民から目をそらし、自分の利益だけをみつめる」ものとしか見えません。
ほかにも、金で買ったとの疑惑もあるオリンピックやJR東海や土建屋のためとしか見えないリニア新幹線に膨大な国費をつぎ込み、さらにはカジノというギャンブル事業に入れ込む様は、もはや骨の髄まで・・・なのではないかと絶望的な気持ちになります。
また、本来、政治家とは一線を画すべき立場にあるはずの官僚たちも、その大部分は政治家の言いなりとなり、それに歯向かう勇気さえ失っているようです(ここでも「黒崎を見習え!」と声を大にして言いたいところです)。
実際、総理大臣の不正が疑われる事件で公文書の改ざんを指示し、部下を自殺に追い込んだ恥知らずな官僚や、総理大臣に近い人間の犯罪容疑で裁判所が発した逮捕状を執行しなかった腐った警察官僚が、ぬくぬくと出世しています。
ついでにいえば、安倍政権から菅政権に代わっても、その政権の本質は変わっていないと断言しておきます。
安倍政権下で起きた数々の不正に関する疑惑が解明に向かう気配はなく、また、菅政権では官僚に対する支配をさらに強めようとしているように見えるからです。
本の表紙を変えても、中身が変わらなければ意味がないのに、こんな目くらましでいとも簡単に支持率が大きく上昇することには強烈な違和感があります。
話が少し逸れましたが、半沢直樹の言葉は、まさにそういう政治家を断罪し、心ある政治家、あるいはそれを志そうとする人たちに勇気を与えるものです。
ドラマの最後で、白井大臣が幹事長に反旗を翻し、無所属でやり直そうとする様がさわやかに描かれていましたが、そのような覚悟を持った政治家が多数派になれば、間違いなく未来は明るいものになるのだと信じます。
逆に、無所属となった白井大臣が孤立し、簑部幹事長の同類が国政を牛耳り、利権をむさぼるという状況が、衣替えをしただけで続くようであれば、未来も暗く腐ったものに違いありません。
そう考えると、半沢直樹の言葉は、国民の不満や日ごろ感じているうっ憤を晴らすためなんかではなく、このドラマを見たひとりひとりの国民が、今の政治を変えるべく、自身の意識を変え、行動することを強く促すもので、私たち視聴者に向けられたもののように思えます。
おそらく、このドラマは録画され、またいずれDVDが発売、レンタルされることから、今後も長く多くの人が繰り返し視聴することになるでしょうが、半沢直樹の言葉に何かを感じた人たちが、この国の未来を良い方向に変える力を得るための起爆剤になるのではないかとさえ期待してしまいます。
こうやって振り返ってみても、このドラマには至言といえるような言葉が煌めいています。
このような作品を生み出してくださった原作者、プロデューサー、脚本家、監督、そして堺雅人をはじめとする俳優の方々に心から感謝したいと思います。
医療事件日記~医療事件と「プレゼン」
先日、ある医療事件において、裁判所でプレゼンテーションなるもの(以下「プレゼン」といいます)を実施して来ました。
訴訟自体は、かなり進行している状況でもあり、裁判官の前で、事件で目を向けるべきポイント、証拠のあるべき評価などについて説明すること自体は「あり」だと思ったりもしたのですが、準備をしながらいろいろ感じたこともありますし、これからこの手法が大きく取り入れられる可能性もありそうですので、検証の意味で、「プレゼン」なるものについて取り上げてみます。
まず、プレゼンとは何ぞやということからですが、要はこれまでの訴訟の経過、双方から提出された主張書面や証拠を踏まえ、如何に自分たちの主張が正しいかをアピールするということで、企業などでは企画営業、コンペなどでわりと普通にあることと思います。
しかし、プレゼンが主張、証拠に基づいて裁判所に心証を形成してもらい、白黒をつけるという訴訟において相応しいものかということになると、現時点ではやはり疑問を感じるところもあります。
何よりも訴訟上の位置付けがはっきりしません。
実際、この点については今回の裁判官も言っていたのですが、プレゼン自体は証拠でもなく主張でもないからです。
もちろん、裁判所に「なるほどそういうことか」とポンと膝を叩いて納得してもらえれば何よりだし、準備をしている時はそんなことをイメージしていました。
ただそうなると、これまで主張や証拠を散々提出してきたけれど、もしかすると、このプレゼンの巧拙によって決着がついてしまうのではないかという感じで不安や疑問が湧いて来たのです。
でもまあ、やると決めた以上、準備をして臨むしかありません。
というわけでプレゼン当日を迎えました。
でどうだったかというと、相変わらずもやっとしたままです。
その事件のプレゼンが成功したかどうかは、裁判所が心証を明らかにしていないので現時点ではよくわかりません。
なのでそれ自体は別に良いのですが、プレゼン終了後にプレゼンの位置づけ、そこで語られるべき内容について、双方の代理人間で齟齬があることがわかったのです。
被告側は争点整理表に毛の生えた程度の、もっとシンプルなものをイメージしていたようです。
こちらは逆で、これまでの訴訟で双方から提出された主張書面や証拠のポイントを丁寧に指摘して自分たちの主張の正しさを示す手続という捉え方でしたので、かなり違ったものとなります。
で、裁判所ですが、双方の捉え方の中間というような言い方をしていました。
つまりプレゼンのイメージは三者間で共有できていなかったわけです。
ともあれ、裁判所がプレゼンを取り入れることを考えている以上、その適否、実施の際の手法といったことも含め、患者側代理人弁護士の間でもしっかりとした議論が必要といえるでしょう。
しかし、考えてみると刑事事件における検察官の論告求刑、弁護人の弁論は、早い話プレゼンですし、民事、行政訴訟などでも弁論を口頭で行うことはあり、それも口頭で伝えることで、裁判所にポイントを理解してもらおうという意味がありますから、早い話プレゼンなのです。
となると、今回の手続は法廷ではなく弁論準備室という部屋でやりましたが、法廷で堂々とプレゼンを行うことは、訴訟における正攻法としてのあるべき姿なのかもしれないと思った次第です。
そうである以上、弁護士ももっと「プレゼン能力」を磨かなくてはならない、そんな時代になりつつあると感じます。
実は、別件の医療訴訟でもプレゼン実施の話が出ていますので、それに向けて技術を磨きつつ、また経過、感想等をご報告させていただきたいと思います。
日々雑感~「半沢直樹」の心に沁みた言葉たちPART2
前回に続いて、「半沢直樹」の中から、心に沁みた言葉を取り上げます。
今回は、第4話の中で半沢直樹が東京セントラル証券の部下たちに語り掛けた熱いメッセージです。
堺雅人がすごいのは、難しい長台詞を、本当に役になりきって画面を飛び越えるほどに力強く伝えきるところで、その真骨頂は、「リーガルハイ」でも観ることができます。
しかも聞くところでは、それをNGなしにやり遂げるというのですから、本当に信じられません。
才能もあるのでしょうが、何より見えないところで準備を重ねておられるに違いないわけで、心から敬服するしかありません。
とにかく、この第4話の長台詞でも、そんな堺雅人の演技の素晴らしさを堪能することができます。
この第4話は前半のクライマックスですが、取り上げるのは、あくどい連中に倍返しを成し遂げた半沢直樹が、いよいよ東京セントラル証券を去るにあたって、部下たちから促され、彼らにメッセージを残すというシーンです。
半沢直樹が伝えるメッセージは、バブル期以降の日本で何が起きていたかを知らない人たちにとっても強く心に響くはずですが、あの馬鹿げたバブルで何が起きていたか、その顛末を知っていれば、より深く伝わると思うので、前半部分と後半部分に分けて取り上げます。
最初、半沢直樹は、「勝ち組負け組」の話をします。
「勝ち組負け組という言葉がある。私はこの言葉が大嫌いだ」「だが、ここに赴任した時によく耳にした。銀行は勝ち組、俺たち子会社の社員は負け組だってな」「それを聞いて反発するものもいたが、大半は自分はそうだと認めてた」「大企業にいるからいい仕事ができるわけじゃない」「どんな会社にいても、どんな仕事をしていても、自分の仕事にプライドを持って、日々奮闘し、達成感を得ている人のことを本当の勝ち組というんじゃないか」
アメリカ的な新自由主義的な方向に舵を切った今の日本は、貧富の差が拡大し、階層が固定化してしまう、そんな社会になりつつあります(もちろん、そうした方向性そのものを変えるべきなのですが)。
ドラマの中で語られたこの「勝ち組負け組」という言葉は、一見すると企業社会におけることのように聞こえますが、今や社会全般で否応なく使われている分類用語ともいえます。
この言葉は自分がどこにいるかを意識づけさせてしまう悪魔の呪文なのです。
半沢直樹は、プロパーと呼ばれ、親会社の社員から蔑まれる子会社の人間たちに、その意識を振り払い、プライドを持って生きるよう勇気づけるのですが、「勝ち組負け組というカテゴライズに囚われてはいけない」というメッセージは、すべての世代に、すべての人たちに通じるに違いありません。
ドラマの中で、半沢直樹はさらに続けてこのような話をします。
「君たちは、大半は就職氷河期で苦労をした人間だ」「そうした事態を招いた馬鹿げたバブルは、自分たちのためだけに仕事をした連中が顧客不在のマネーゲームを繰り広げ、世の中を腐らせてできた」「その被害を被った君たちは、俺たちの世代とはまた違う見方で組織や社会を見ているはずだ。そんな君たちは10年後、世の中の真の担い手になる」「君たちの戦いはこの世界をより良くしてくれるはずだ」「どうかこれからは胸を張って、プライドを持って、お客様のために働いてほしい」
ここはさらに深い発言だと思います。
私が弁護士になった平成元年、日本はまさにバブルの絶頂期でした。
急激な円高に対する極端な金融緩和によってあり余った金が不動産や株式市場に流れ込み、異常な不動産価格の上昇、株高を招き、気が狂ったような異様なマネーゲームが繰り広げられます。
しかし、行き過ぎたバブルを調整するために取られた金融引き締め策の影響もあり、いびつに膨れ上がったバブルはいきなり崩壊します。
そして山が高かった分、谷はいつまで経っても底が見えないほどに深く、以後、バブル、そしてバブル崩壊の後遺症は重く日本社会にのしかかるのです(実際、弁護士の仕事の現場では、その後遺症はまだ終わっていないと感じることがしばしばです)。
ロスジェネ世代やゆとり世代は、紛れもなくその被害者です。
しかし、時代が変わり、彼らが世の中の担い手になる時が必ず来ます。
このドラマの中で、主人公が、バブルを招き、マネーゲームに狂奔した世代を痛烈に批判しつつ、次の世代に対して、「胸を張って、プライドを持って、お客様のために働いてほしい」と訴えかけるそのメッセージは、あの時代を演出した人間たちの愚かさを知れば、より重く、より深いものだといえるでしょう。
かつてのバブルは極端な金融緩和によって後押しされて起きたものですが、今の日本は、安倍政権における「異次元の金融緩和」なるものによって、多くの国民は実感できないものの、一部の大企業は間違いなく、不公正、不公平な形でその恩恵を受け、上げ底の株高、東京などの主要都市における不動産バブルをもたらしています(ドラマの中の「伊勢志摩空港」のような腐った錬金術は、まさに今の日本で現在進行形で起きている現実ともいえます)。
かつて見たあの景色と似たデジャブと感じるのは私だけではないはずです。
そうなると、次に起きるのは、異次元の金融緩和の反動であり、遅かれ早かれ必ずやって来る近未来です。
公正な所得の再分配がなされなくてはならないと強く思いますが、少なくとも、あの馬鹿げたバブルとその崩壊から何かを学び、二度と同じ過ちを繰り返さないようにしなくてはならない、そのためには自分たちの利益の追求のみに奔走するのではなく、お客様(他者)のために働くという姿勢をすべての人が共有する価値観にすることが大切なのです。
半沢直樹の作者である池井戸潤氏は、まさにそんな狂ったバブルとその崩壊を目の当たりにして来た元銀行員ですので、きっとそんなことを思いながら、この作品を作られたのでしょう。
原作のタイトルである「ロスジェネの逆襲」とはきっとそういうことなのだと思います。
「半沢直樹」のお話はまだ続きます。
日々雑感~「半沢直樹」の心に沁みた言葉たちPART1
「半沢直樹」が終わりました。
個人的に堺雅人の大ファンということもあり、また前のシリーズが非常に面白かったので、今回は逃さずリアルタイム視聴しました。
一つのドラマすべてをリアルタイム視聴したのは生まれて初めてのことかもしれません。
始まる前は、前の作品の出来があまりに素晴らしかったこともあり、それを超えた作品に仕上げるのは大変なのではないかとも思っていたのですが、予想をはるかに上回る面白さで、ご多分に漏れず、現在は「半沢ロス」状態となっています。
面白かった要因は、原作が持つストーリーの重厚さと脚本の巧みさによるエンターテインメント性の高さ、そして個々の俳優の演技の素晴らしさにあるのだと思いますが、もう一つ心を惹かれたのは、節目節目で語られる「言葉の力」です。
主として、その言葉は堺雅人の口から発せられるもので、彼の演技力によってその言葉がより強く心を打つとも思うのですが、とにかく、この作品はきっと観る人の心に何かを残すに違いないと思えるのです。
というわけで、「半沢直樹」の中から、いくつか心に沁みた言葉を取り上げてみたいと思います。
まず、その一つ目は、最終回で、半沢直樹の妻である花が半沢直樹を励ます時のセリフです。
追い詰められ、いよいよ最後の行動に出る前の夫婦の会話の中で、花が、これまで懸命に闘ってきた半沢を励ますために発したものですが、その途中からを取り上げます。
「何があったか知らないけど、もう頑張らなくていいよ」「直樹は今まで十分すぎるくらい頑張った」「いつもいろんなものを抱えてボロボロになるまで戦って、必死で尽くした銀行にそれでもお前なんかいらないなんて言われるならこっちから辞表たたきつけてやりなさいよ。サラリーマンの最後の武器でしょ」「今までよく頑張ったね。ありがとう、お疲れ様」「ていう気持ちでいればとりあえず少し気が楽になるでしょ」「仕事なんてなくなったって、生きてればなんとかなる」「生きていれば、なんとかね」
この言葉に心を打たれた人は多かったと思います。
何といっても、この放映日の朝、女優の竹内結子さんが亡くなり、どうやら自殺ではないかとのニュースが流れたばかりでした。
お子さんを二人抱えながら、また女優として立派に成功したと見られている中で、なぜ彼女は死を選んでしまったのか、多くの人はショックを受けたと思います。
竹内結子さんに限らず、ここのところ、著名な俳優の方たちが続けて自殺しているということもありますが、おそらくこの花のセリフは、今の国民に向けられた励ましのメッセージだったに違いありません。
今回のこのドラマは、まさにコロナ禍の真っ最中にいろいろな制約を受けながら制作されたわけで、2~3か月のクールの作品でありながら製作期間は7ヶ月にも及んでいます。
このドラマではずっと撮影と並行してドラマの脚本が仕上げられていたとの情報もありますが、制作者たちは、コロナの影響が長引き、より深刻化して行く状況下で撮影と同時進行で作り上げて行かれたこのドラマの脚本に、コロナの影響で経済的に苦境に追い込まれ、苦しむ国民への想い、願いを籠めたのだと思うのです。
竹内結子さんについていえば、もし、彼女がもう一日思いとどまって「半沢直樹」を観て、花さんの言葉を聞いていれば、自殺せず、生きることを選んでくれていたのではないかという気すらしますが、花さんが発する言葉に勇気づけられ、また竹内結子さんのことと重ね合わせて涙した視聴者は多いと思います。
それほど、花さんの「生きてさえいればなんとかなる」という、一見何気ない言葉には力と深さが感じられるのです。
実は、このドラマの放映の後、友人と会っている時にも同じような話が出ました。
その時にこんな話をしています。
「実感としては、生きている内の99%の時間は苦しいけれど、残りの1%で報われると、『ああ、生きていてよかった』と思う。だから苦しい時間の方が圧倒的に長いかもしれないけれど、あきらめさえしなければその先には労苦が報われる時がきっとやって来る、そう信じればなんとかやっていける」
花さんの言葉の意味とは少しニュアンスは違うかもしれませんが、生きることの苦しさの向こう側にきっと明るい未来があると信じたいし、そのためには、もし今の場所がだめなら、命を絶つのではなく、逃げ出せばいいと思うのです。
花の言葉はちょっと長いセリフなので流行語大賞になることはないかもしれませんが、観た人に踏みとどまって前を向くきっかけを与える名言だと思います。
まだ取り上げたい言葉がありますので、続きはまた書きます。