医療事件日記~肝生検後の死亡事故につき不起訴処分が確定したことに関するご報告
横浜市内のある総合病院で起きた、生後11か月の乳児に対する肝生検後の死亡事故に関する、当時担当医であった被疑者に対する業務上過失致死被疑事件について、本年6月下旬に出された検察審査会における不起訴不当の議決を受けての再捜査の結果、本年8月6日に、嫌疑不十分不起訴の判断が維持される結果となりました。
私たちは、この間、多くの医療関係者、警察関係者ともお話をし、また今回の嫌疑不十分不起訴の判断を維持した担当検事ともお話をしておりますが、まもなく10年という月日が経過しようとする時点まで待たされ続けた挙句、あまりに不可解な不起訴処分が出されたことによって非常なショックを受けられたご遺族の心情を踏まえ、あらためて、本件の経緯を含めてご報告させていただくことといたしました。
まず、事件の実体、性質からすれば、私たちは、検察審査会における不起訴不当の議決には非常に重い意味があると考えておりました。
そこで、議決後、私たちは、新しい担当検事と面談し、この間に入手した証拠やこれまでの調査、検討に基づく、事件の真相や法的評価について資料を携えて説明をしました。
担当検事にとっては、限られた時間の中で検討しなくてはならないので、この説明は、事案のポイントについて理解してもらうための協力をしたいという考えによるものでした。
私たちは、公訴時効期間満了までわずか2ヶ月しかないという状況ではあるものの、本件事故における医師の過失は明らかで、適切に対処していれば救命できたはずであること、そして、事故後の隠ぺいなどの対応の悪質さなどからすれば、当然起訴されるべき事案であることを強く訴えました。
そして、7月末までに意見書を提出することを検事と約束し、その約束どおり意見書も提出しました。
ところが、担当検事は、私たちの意見書が7月中に提出されることを承知していながら、その前に、ご遺族に対し、“報告”があるので検察庁に来てほしいと連絡を入れて来たのです。
弁護士同席の上でということになり、8月6日に私たちは検事のもとに赴きました。
すると、検事は、いきなり、嫌疑不十分不起訴にしたという結論を伝えたのです(上記の“報告”があるとの連絡を受けたのが意見書提出前ですから、その時点で不起訴の結論は決めていたことになるわけで、まあ、それも失礼な話ですが・・・)。
それに対して、理由を尋ねたところ、検事は、「本件が肝生検に起因する出血死」の事件であるとの前提に立ちながら、以後の経過について「肝生検後の出血を疑う状況と評価することは難しい」などとして、容態が悪化してから数時間もの間、何の精査もせず、「経過観察」としたことにつき、起訴はできないと判断したと述べました。
しかし、元々、肝生検には出血などの合併症のリスクがある上、特に本件の肝生検は、呼吸が止められず、肝臓が上下するリスクの高い乳児が、手技中にベッド上で体動が激しく、ブリッジをして肝臓が上下している状況で鎮静もせず、小さな肝臓を複数回刺し(担当医のカルテに明確に記載されています)、都合6回の穿刺が繰り返されたという、出血の合併症を来すリスクが高い症例であり、当然ながら、術後管理はより厳重に行われなくてはならないことは明らかでした。
ところが、肝生検後、1時間半後には脈拍数が分あたり200を優に超え、呼吸数も60台に上昇し、さらには発熱、チアノーゼ、四肢冷感など、出血兆候、出血性ショックを強く疑うべき所見が現れ、その状況が延々と続いてアラームが鳴りっぱなしだったにもかかわらず、医師らは、2時間以上もの間「経過観察」を続けるのみで何らの精査をしなかったというもので、このような異常事態について、「出血を疑う状況と評価することは難しい」との検事の説明に、私たちは一瞬言葉を失いました。
私たちは、これだけの異常所見が揃っていながら、「肝生検後の出血を疑う状況と評価することは難しい」と判断した根拠を検事に尋ねたのですが、そこで、さらに検事は驚くべき説明を展開します。
それは、「意見を求めた2人の医師が、『私でも経過観察をしていたと思う』と言っているから」というものでした。
私たちは、医療事件を扱っていて、明らかに中立性、公正性に欠ける不合理な鑑定意見書をしばしば目にします。
本来、あってはならないことですが、現実には、医療機関や保険会社の意向に沿った、身内庇いとしかいいようのない意見書が出され、協力医の方が呆れかえるということは決して稀なことではないのです。
もちろん、患者側が提出する意見書であっても、医学的知見に基づいたものでなくてはならないわけで、結論がどちらに寄っているにせよ、大切なことは、述べられている意見が正しいものか否かが医学的な見地からきちんと検証されなくてはならないということです。
しかし、担当した検事にそのような姿勢があるようには到底感じられませんでした。
上記の2人の医師の意見については、そこで述べられている見解の医学的根拠を丁寧に検証していけば、その誤謬に容易に気づくことができるはずだし、本件はまさにそのような事案だからです。
そんな検事の説明に対して、ご遺族から「2人の医師とおっしゃいますが、その分母はいくつですか」と尋ねた場面がありました。
すると、検事は、言いにくそうに「9人です」と答えたのです。
つまり、9人のうちの2人だけが「私でも経過観察をしていたと思う」と述べたということは、ほかの7人はそうではないと言っていることになります(もっとも、話しているうちに、もう1人微妙な意見の医師がいるという説明が加わりましたが)。
もちろん、このような問題は多数決で判断することではなく、医学的知見に基づく見解としてどちらが正しいかの話ではありますが、「経過観察と判断し続けたことに問題がある」と判断した医師の方が圧倒的に多いにもかかわらず、そちらを無視して、「私でも経過観察をしていたと思う」という意見があったことをことさらに強調して、起訴はできないとの判断を正当化しようとする姿勢には違和感しかなく、強い憤りを感じざるを得ませんでした。
ほかにも、検事はご遺族の面前で信じがたいような発言を繰り返します。
たとえば、血液検査は結論が出るのに時間がかかるなどとして、血液検査をしなかったことを正当化するような発言をしたので(時間がかかることが、検査をやらないことを正当化する理由にならないことはいうまでもありませんが)、「しかし、腹部エコー検査はベッドサイドで簡単にできるし、出血兆候を容易に確認できるのだから、それすらやらなかったことは過失といえるではないか」と述べたところ、「エコーをすれば、体が動いて、かえって出血が増えるリスクもある」などとして、エコーをやらなかったことを正当化する説明をしたのです。
しかし、患者は乳児であり、看護師が体を抑えれば済むことですし、そもそも、異常所見の原因を精査しなければ手遅れになることだってあるわけで、およそ本末転倒というほかないのですが、とにかく、検事の説明は、万事が万事、そんな感じでした。
また、当時の研修医で被疑者の一人となっていた方が書いた陳述書には過失があったことを認める記述があるのに、なぜそれを無視するのかと聞いたところ、これに対しても、驚くべき返答が返ってきました。
まず、陳述書の中には、当時の過失を明確に認める記述があるにもかかわらず、「当時、過失があったということを認めたものとは読めないと判断した」と強弁するのです。
もし、本当にそう思うなら、研修医の方の事情聴取をすべきではないかと尋ねたところ、その必要はないと判断したと答えるばかりでした。
ちなみに、過失の前提となる出血死の予見可能性について、検事は「そこはグレー」という言い方を何度かしていたので、「予見可能性がグレーというなら、なおのこと、事故の当事者である当時の研修医に話を聴くべきではないか」と迫りましたが、「もう結論は決めたので、事情を聴くつもりはない」と開き直るような受け答えでした。
さらに驚いたのは、検事が、「当時の医療水準では、経過観察としたことに問題はない」と述べたことでした。
確かに医療過誤で「医療水準」が問題になることはありますが、出血性ショックに対する対処は、医師にとってイロハのレベルの問題で、10年前も今も、やるべきことに何ら変わりはなく、医療水準など、およそ問題になる余地はありません。
率直に言って、この検事は、医療事故をまともに扱ったことがないのではないかとすら感じました。
とにかく、こんなやりとりが2時間余り続いたのですが、強く感じたことは、「不起訴という結論が先にありき」だったのではないかということでした。
実は、去年の年末に不起訴と判断した検事との会話でも強くそういう印象を持ったのですが、必要な補充捜査もせず、必要な医学的な検討もろくにしないまま、不起訴不当の議決からわずか40日で「嫌疑不十分」という結論を維持した検事に対しては、心の底から、「法律家として恥ずかしくないのか」「真相を解明して正義を実現しようという覚悟はないのか」と、強い憤りを感じながら私たちは席を立ったのです。
率直にいえば、本件の場合、少なくとも5年以上もの間、検察官がずっと警察からの送検の受理を拒み続けたという怠慢も非常に重大な過誤なのではないかとも思いますし、不起訴不当議決後に担当することになった検事にとっては、とばっちりのような面があるようにも感じています。
実際、今回対応した検事も、私たちとのやりとりの中で、時間不足で十分検討できなかった面があることを認めていました(それを認めて不起訴とすること自体、ひどい話ではありますが)。
しかし、ご遺族にとっては、いい加減な捜査の繰り返しで幕を引かれ、幼い子を失ったことについて正義が実現されないこと、そしてそれをおよそ納得できないような説明でごまかそうとされたことは本当にショックなことであり、お二人が落胆される様子を見て、私たちも本当につらく、持って行き場のない憤りとやるせなさを感じました。
ともあれ、刑事事件としてはこれで一区切りとなります。
事件の真相については確信を持っておりますので、今後は、引き続き、民事裁判の手続の中で、真相解明と医療側の責任追及を図って行く覚悟です。
そして、この民事裁判の中で明らかにされることが、この先に向けて、医療事故を減らすこと、さらにはより良い医療現場の実現につながるはずだという確信もあります。
それゆえ、今後も裁判の進行に合わせ、いろいろとご報告、ご提言をさせていただくつもりですので、医療関係者の方々も含め、広く関心を持って見守っていただければと希望しております。
日々雑感~コロナリスクと向き合う医療者、医療機関にこそ手厚い補助を!
先日の記事で取り上げたことですが、医療事件で相談に乗っていただいている協力医が所属しておられる県内のある医療機関では、採算度外視で、コロナ感染のリスクのある発熱患者を受け入れているとのことでした。
そして、このままの状況が続けば、病院が潰れるかもしれないという危機感を訴えておられました。
一方で、同じエリアのある総合病院は、発熱があるというだけで、診療を断っているそうで、発熱患者については、コロナ感染を避けるため、救急搬送すら受け入れていないそうだということで、いろいろと思うところもあり、記事に取り上げたわけです。
しかし、その後の報道で、その協力医が所属しておられる病院内でコロナ感染が起きてしまったことが明らかとなりました。
そこで、あらためて、この問題について取り上げてみたいと思います。
最初に結論めいたことを申し上げますが、記事のタイトルにもあるとおり、政府も自治体も、「採算度外視で、コロナ感染のリスクのある発熱患者を受け入れている医療機関や医療者」に対してこそ、より手厚い補助をすべきです。
政府は、金融市場にじゃぶじゃぶと金をつぎ込んだり、別の機会の取り上げたいと思いますが、感染が治まらず、再拡大している状況下で「GO TOキャンペーン」こと「コロナ感染を全国に広めつつ、自民党の有力政治家のお仲間に美味しい思いをしてもらいましょう的キャンペーン」に巨額の資金を投入したりしていますが、ずれているとしかいいようがありません。
もちろん、すそ野の広い旅行業界、観光関連業界を活性化するための政策の必要性は否定しませんが、手法も誤りだし、何といっても優先順位を間違えていると思います。
今何よりも大切なことは、コロナ感染を抑え込むことであり、それと並行してなすべきことは、将来に向けて継続的に感染を抑え込むような仕組みを構築することです(もちろん、苦境に陥っている事業者、国民への補助は車の両輪で必須ですが)。
そうしなければ、個々の業種に対する活性化策も感染拡大を招く要因にしかならず、結局のところ、活性化どころか、コロナ感染が長期化してしまい、逆効果になってしまうからです。
であるとすると、優先すべきは、医療の最前線で、コロナリスクと向き合う医療者、医療機関に対して経済的な援助、必要な医療物資の手当てを行い、特に、コロナリスクを積極的に向き合っている医療者、医療機関に対しては、特に手厚い補助を行うことだということは火を見るより明らかです。
東京女子医大病院では、退職希望者が数百人も出ているという報道がありましたが、逆に、こんな時だからこそ、医療者にはプラスαの収入が保障されるような仕組みを作ることで(もちろんそれだけではなく、医療安全、保育所の確保など複合的な手当てが必要ですが)、医療者が医療現場で働こうと思える動機付けにつなげるべきです。
あと、コロナに感染した医療者に対する差別、偏見も起きていますが、何を考えているのかといいたくなります。
先日、医療事件で協力医に相談するため、ある都内の医療機関を訪れたところ、ちょうどそこにPCR検査を予約していた方がやってきたのですが、それだけで妙に緊張してしまいました。
しかし、よくよく考えてみれば、コロナ感染の可能性のある患者に対し、検査や診療行為を行う医療機関においては、それこそが日常です。
診察、治療、手術もそうですが、入院患者で容態が悪ければ、体位交換をしてあげたり、ふろに入れないなら、清拭をしてあげたりと、何から何まで濃厚接触そのものなわけです。
コロナ感染の可能性のある患者に対する医療に関わる医療者の人たちは、自身が感染するリスクと向き合いながら、患者の命や健康を守ろうとしているわけで、心からリスペクトされるべきだと思うのです。
もちろん、医療機関にとっては、経営上の不利益も非常に大きいといえます。
前にも書きましたが、発熱患者は他の患者と同室というわけには行きませんので、コロナ感染の可能性のある患者を受け入れるだけで、収益的にはマイナスであり、さらに感染者が出ると、外来診療をいったん止めなくてはならないわけで(協力医のおられる病院はまさにそうなりました)、ただでさえ、今の医療機関は経営的に厳しいといわれる中で、使命感をもって取り組み医療機関を破綻させるようなことは絶対にあってはならないし、今こそセーフティネットとしての医療を守るために最善を尽くすべきです。
もちろん、医療者への偏見を取り除くことも必要であり、メディアにおいても、コロナと向き合う医療者、医療機関の置かれた状況を、敬意をもってキャンペーンのようにして取り上げてもらいたいと思います。
医療事件日記~肝生検後の乳児の死亡事故につき、検察審査会において「不起訴不当」の議決が出されました
本年6月25日付で、横浜の検察審査会において、私たちが担当している肝生検による乳児の死亡に関する医療事故について、不起訴不当の議決が出ましたので、ちょっと長くなりますが、経緯についてご報告するとともに、私たち代理人弁護士が感じている様々な想いを述べてみたいと思います。
まず、本件事故の経緯ですが、このホームページで何度も取り上げているとおり、平成22年9月1日に横浜市内のある総合病院の医師らが、生後11か月の女児に対して肝生検を実施したところ、術後1時間半くらいが経過したあたりから脈拍数が分あたり200回を超え、呼吸数も分あたり50回から60回を超え、そこから約3時間後に容態が急変して死亡したというものです。
ところが、死亡直後の9月2日未明の時点で、病院側は、両親に対して、「死因は不明だが、病院に責任はない」「真相を知りたければその調査のために数百万円はかかる」などと言い放ち、そのあまりに無責任な発言にショックを受けた両親が警察への通報を求め、警察介入となります。
司法解剖の結果、女児の肝臓には6個もの穿刺痕があったことが確認され、腹腔内に貯留した出血量は体内の総血液量の2分の1を優に超える360mlに達していたことが判明し、解剖医は、肝生検後の出血性ショックによる死亡と判断します。
ところが、病院側は、女児に何らかの代謝異常が起きたのだとして、出血性ショックによって説明のつく事象を、別の病気にこじつけるような主張を行うようになり、悲しみに暮れる遺族にもいきなりそのような趣旨の手紙を送りつけます。
警察は慎重に捜査を進め、長く時間はかかりましたが、事件は昨年11月に検察庁に送致されます。
その後、被疑者の内、当時研修医だった方の医師が、自身の弁護士を通じて、私たちに連絡をして来て、事故から9年以上の月日が流れてはいましたが、昨年12月に両親との直接の面会が実現しました。
研修医だった医師は、当時、患者の容態にずっと疑問や不安を感じながらも、経験が足りなかったことに加え、彼が所属していたチームにおいては、上級医の意向と異なるような医療行為ができない関係性があったため、上級医に何度も患者の異常を伝えてはいたものの、致死的な急変に至るまで何もしてあげられなかったことをその後ずっと悔やんでいたそうです。
また、この病院では、以前にも同種の事故が起きていたという情報もあったのですが、この研修医は、その当時はこの病院におらず、以前の事故のことは全く知らなかったそうです。
謝罪に来た医師は、その後経験を積んでおり、あらためて振り返れば、この事故が肝生検後の出血によるものであること、代償性ショックの段階なので、その時点で適切に対処していれば救命できたはずの事故であったとその場で明言していました。
私たちは、この研修医の謝罪を受けて、検察官に申し入れをしようと思っていたのですが、この面談の日からわずか半月後、送検からわずか40日しか経っていない昨年末の時点で、突然、検事から嫌疑不十分で不起訴にするとの連絡が入ったのです。
いうまでもないことですが、医療過誤は、経験を積んだ弁護士にとっても、症例ごとに幅広く医学的な検討をしなくてはならない事件領域であり、特に医療側が医学的に特異な主張を行っている場合には、その主張に矛盾点や不合理な点があるか否かを見極めるためには相当な時間と労力、さらには医師の協力などを要します。
たとえば、医療側は、裁判でも、急変時のヘモグロビン値の低下は出血では説明がつかないと主張していますが、本件では輸液が行われていたことに加え、大量出血が起きると、血管外から血管内に水分が戻って来るという機序もあり、ヘモグロビン値の低下は出血によるものと見るのが医学的には合理的なのであって医療側の説明には明らかに誤りが含まれているのですが、民事、刑事を問わず、医療事件においては、このような医学的なメカニズムの検証を一つ一つの事象について行わなければならないのです。
しかし、担当した検察官は、送致からわずか1ヶ月余りで、しかも、医師の内の一人がミスを認め、救命できたはずだとの認識を遺族に示し、謝罪の手紙まで渡している中で、嫌疑不十分不起訴という結論を出したわけですから、およそ上記のような検証がなされたとは考えられませんし、結論先にありきで役割を放棄したようにしか見えず、遺族が納得できないのも当然のことでした。
また、担当検察官は、遺族に対する説明の中で、公訴時効が迫っており、検察審査会の手続に入るためにも早めに結論を出してあげた方がいいと考えたと言っており、本末転倒で何をかいわんやというほかなく、私たちがその話を聞いた時には思わず絶句してしまいました。
不起訴処分が出た直後は民事裁判の方の次回期日の準備が佳境に差し掛かっていたこともあり、少し準備には手間取りましたが、私たちは、内部告発をしてくれた医師や、謝罪の意思を示してくれた(不起訴処分を受けた当事者でもある)研修医の方の陳述書を付して、検察審査会に審査の申立をしました。
その後、コロナウイルス感染の広がりで、手続が遅れているのではないかという心配もあったので、上申書を提出するなどして、結論が出るのを待っていたところ、6月25日付で検察審査会から、上級医に対する不起訴処分は不当であるとの議決が出たのです。
研修医の方については、理由は特に書いてありませんでしたが、不起訴処分が維持されています。
不起訴不当の議決の判断の理由の中では、肝生検の際の6回に及ぶ穿刺により、出血が続いており、脈拍数や呼吸数の異常があったにもかかわらず、出血兆候を見逃がし、救命処置を取らなかった過失が明確に指摘されており、また、その時点で適切に輸血、輸液、止血処置などが取られていれば救命できたはずとして死亡との因果関係についても明示されており、当たり前の結論ではあるのですが、まだ途中経過ではありますが、努力が報われてよかったという気持ちになりました(もちろん、勇気を振り絞って内部告発をしてくれた医師や、葛藤を乗り越え、謝罪に赴いてくれた研修医の方の協力があればこそですが)。
患者側の代理人として、様々な事件を扱ってまいりましたが、本件事故は、単なるヒューマンエラーと捉えるべきでない、今の医療現場が抱える様々な問題を含んでいるように思います。
前にも取り上げたことですが、本件では警察が介入した9月2日の未明には、巧妙な電子カルテの改ざんが行われています(今年放映された現代版「白い巨塔」におけるカルテの改ざんと同じ手口です)。
研修医の方から伺ったところでは、事故後、上級医から口裏合わせ的な指示もなされていたそうです。
前述したとおり、出血によって起きたものと説明のつく事象を、およそあり得ないような別の病気によるものとこじつけるような主張も繰り返されています。
しかし、本件事故くらい、シンプルな出血死の事故はありません。
意見書を書いてくださった協力医の方もおっしゃっているのですが、こんな明白な医療ミスの事故において、なぜ不毛な争いを行うのか、信じられない気持ちになります。
医療過誤を扱っていると、医療者に対する感謝の気持ちはむしろ強くなります。
ミスを犯した医師に対しても、それを責めるというよりも、臨床現場でリスクと向き合っておられることに対しては敬意を表したいと思うことも少なくありません(ですので、医療事故を起こした医師について、原則的には刑事処分を求めるという対応をしてはいません)。
ですが、本件事故におけるように、あまりに不毛で見苦しい争い方をする医療者や医療機関が存在することについては、そうした対応が、さらなる医療不信を招くことになるし、臨床現場もかえっておかしくなってしまうのではないかという危惧を感じたりもします。
今の率直な気持ちとして申し上げれば、本件事故については、体重わずか8キログラムの乳児の小さな肝臓に太い生検針を6回も刺し、出血死に追いやり、反省も謝罪もなく、医療側がカルテの改ざんを行い、裁判においても、明らかに出血死によるものと評価できるはずの事象を別の病気にこじつけるような主張を重ねている経緯に照らしても、この上級医に対しては、起訴して裁判による裁きを受けてもらいたいし、公開の法廷で事実が明らかとされることで、このような痛ましい、あってはならない事故が繰り返されず、また医療現場で働く医療者がきちんと医療に向き合えるようにするための教訓にしてもらいたいと心から強く願っております。
事件日記~コロナ危機と「再生手続」
給与所得者や個人事業者の方が多額の負債を抱え、債務整理の相談に見えて法的な整理を選択する場合、裁判所の手続としては破産か個人再生の両方の選択肢があることについては、前にもこのホームページで取り上げたことがあります。
弁護士としては、その場合、できる限り個人再生手続での法的整理を実現してあげたいと考えるわけです。
もちろん、個人再生手続についても当然ながら一定の要件があり、要件にあてはまらず、申立自体ができないケースもあるわけですが、ハードルが高くても、依頼者とともにそのハードルを乗り越え、再生計画認可にたどり着ければ、自宅を処分しないで済むであるとか、これまでどおり事業を続けられるわけで、築き上げた生活基盤を維持できることになれば、その満足度は非常に高いものがあります。
今回のコロナ危機の実体経済、国民生活への影響は非常に重大ですので、ぎりぎりの状況における選択肢ということで、個人再生手続について取り上げてみたいと思います。
コロナ危機の影響は様々ですが、現状での急な収入減少は、住宅ローン、自動車のローン、事業の運転資金、子供の学費などの避けられない支出を抱えている方にとっては非常に大きなダメージとなります。
そして、いよいよ返済が難しくなれば、債務整理を検討しなくてはなりませんが、経験的に申し上げると、もう少し早い段階で相談に来てもらえれば別の選択肢があったのにと感じることは決して稀なことではありません。
前述のとおり、抱えた債務に対する法的整理の方法としては、大きく分けて破産と再生手続があるのですが、破産と異なって、再生手続を選択すれば、前述のとおり、不動産を残し、商売も続けて行ける可能性があります。
もちろん、再生手続にも要件があり、そもそも要件を満たしていない場合もあるのですが、要件を満たすかどうかが微妙な場合に、再生手続前提で弁護士が介入し、生活を立て直しながら、再生の要件を満たすように準備をして行くこともケースによっては十分可能なことです。
たとえば、弁護士介入により、債権者への返済をいったん止め、当面の経済的な余力を確保し、ご自身の収入増に注力してもらい、それをしばらく続けながら再生手続の最重要要件である将来の安定した収入の見込みを認めてもらえるよう実績を積み上げて行ければ、要件クリアとなります。
また、自宅の不動産を保有し続けたいのであれば、原則として住宅ローンの支払いは続けないといけませんが、滞納が続くと代位弁済がなされてしまい、そうなると再生手続における住宅ローン特別条項の適用が受けることが非常に難しくなって、不動産を手放さざるを得なくなります。
そうならないためには、代位弁済されてしまう前に、弁護士が介入して他の負債の支払いを止め、住宅ローンだけは優先的に支払えるようにし、あわせて早期に住宅ローンの債権者である金融機関との話し合いを開始しておくことが肝要となります。
再生手続の場合、清算価値チェックシートで資産評価を行った結果にもよりますが、多くの場合、住宅ローン以外の一般債務は5分の1程度に圧縮され、それを3年もしくは5年の分割払いで返済すれば足りることになりますから、この手続を利用するメリットは非常に大きいといえます。
しかし、上記のような要件の制約があり、またタイミングを逸して経済状況が厳しくなれば、活用できたはずの再生での生活確保が不可能となってしまうことになりかねません。
ですので、本当に切羽詰まるよりも前に、早め早めに再生手続を利用できる見込みについての検討を開始すべきです。
なお、手続費用ですが、弁護士が申立代理人となる場合とそうでない場合とでは裁判所に納める予納金の金額が少し違ってきます。
これは、申立代理人である弁護士が、裁判所の個人再生委員の仕事の一部を負担するため、その分予納金を低くしてくれるのです。
もちろん、弁護士に依頼するとなると弁護士費用がかかりますが、分割に応じてくれる弁護士もいますし、再生手続には前述したようなテクニカルな要素もありますので、手前味噌ではありますが、弁護士に相談することをお勧めしたいと思います。
医療事件日記~証拠保全のあれこれPART1
医療事故における証拠保全手続で、実は意外とストレスが溜まるのは、証拠保全決定が出る段階での裁判所とのやりとりです。
証拠保全段階で対応してくる裁判官は比較的若手の方が多いのですが、中に、露骨に「マニュアル」的な対応をする人がいますし、そもそも証拠保全の目的や意味を理解していない裁判官に出くわすことも決して珍しいことではありません。
もちろん、弁護士の側も、また個々の事案の中身に応じた準備をきちんとしておかなければならず、ただ申し立てればいいということではないのですが、証拠保全は、いわば「一期一会」の「一発勝負」の手続ですので、抜かりなく決定を得て、当日の手続に臨む必要があるのです。
というわけで、証拠保全に関するあれこれを取り上げてみます。
証拠保全は、原則としてその日限りの手続ですので、もし、証拠保全手続で押さえておくべき証拠資料を本番で入手し損なうと、取り返しがつかなくなります。
それだけに、どのような証拠を押さえなくてはならないかについて、申立段階でしっかり検討しておかなくてはならないのです。
たとえば、前にここでも取り上げた感染症の症例の場合、培養、同定検査、感受性検査の結果を取りこぼすわけにはいきませんし、死因が問題となる症例の場合、病理検査の結果や資料があるなら、それもまた絶対に欠かせないわけです。
あと、経験の乏しい弁護士だと、保全の対象となる期間について深く考えないということがあり得ますが、対象の期間をしっかりチェックしないで決定をもらうと、いざ手続に臨んだ時に、その期間から外れた時期の診療記録は、任意提出に応じてもらうよう交渉してもらわなくてはならなくなり、目の前にあるのに、みすみす保全し損なうという失態になりかねないのです。
ただ、さらに問題なのは、弁護士が、いくらそのあたりをしっかり検討して申し立てても、裁判所がいろいろと注文を付け、制限しようとして来ることがあるということです。
最近でも、保全の対象期間についておかしな注文を付けて来た裁判官がいました。
いわく、事故当日だけで十分ではないかというのです。
さすがにこれには呆れ、前後の経過が重要であり、それが真相の解明に不可欠だという上申書を提出しましたが、上申書を作成しながら、医療過誤事件における証拠保全の意味についてここまで無知な裁判官がいることに非常な危惧を感じました。
医療事故において、どのような経過で事故が起き、事故後、どのような経過を辿ったかを検証することは、法的な過失、因果関係の問題を検討する上で必須であり、普通に法的思考を身に着けていれば容易に理解できるはずだからです。
にもかかわらず、このような注文が出てくるというのは、やはり「マニュアル化の弊害」があるともいえますし、また、その根底には、証拠保全手続を短時間でいかに要領よく済ませるかという発想が潜んでいるようにも感じます。
実際、ここ数年の傾向なのですが、証拠保全当日、裁判所が、やたらと終了時間を気にしているという場面に出くわします。
午後5時近くなると、裁判所が、提示が完了していない保全対象資料について「任意開示でどうか」と持ち掛けて来たりすることもあり、実際、裁判官や書記官が先に帰り、代理人が医療機関側から資料を受け取って帰るなんてことがしばしば起きています。
前はそんなことはありませんでした。
対象資料が出てこなければ、午後7時、8時になっても裁判所がその場で待ち続けるということが普通だったのです。
最初に書いたように、証拠保全手続は一発勝負の手続ですが、患者側が現場に踏み込むということは、戦闘モードに入っていることを医療機関側に知らせることにもなります。
そうなると、以後は、証拠保全で押さえ損なった証拠資料について、改ざん、廃棄のリスクが一気に高まるともいえるわけです。
ですから、裁判所が、対象資料を極端に絞ろうとしたり、対象資料が全部出てくる前に帰るなどということはナンセンスで職務怠慢の極みであり、患者の権利の重大な侵害にもなり得るわけで、あまりに極端なケースでは国賠請求の対象となってもおかしくありません。
ただ、もう一つ問題なのは、裁判所がそのような対応をしてきた時の弁護士側の対応です。
経験が乏しく、時に裁判所と闘う覚悟のない弁護士だと、裁判所の理不尽な対応に出くわしても、疑問を抱くことすらなく従ってしまう可能性がないとはいえません。
証拠保全に限らず、裁判所が過ちを犯さないなんてことはないわけで、裁判所の対応がおかしいと思ったら、時に激しく裁判所とやりあうことを厭わないという姿勢は、弁護士が当然備えておかなければならない必須の能力の一つともいえます。
もしそれを怠れば、最も重要な証拠を入手し損なって、真相解明を求める依頼者の権利を実現できなくなってしまうことにもなりかねません。
ですので、弁護士たるもの、常に緊張感をもって証拠保全手続に臨まなくてはならないのです。
証拠保全に関するお話はもう少し続きます。