
事件日記~「保佐」の勧め
高齢者の財産や老後の生活を守るために、成年後見の利用が定着していますが、関連するものとして「保佐」という手続があります。
平たくいえば判断能力の違いなのですが、細かく見て行くと後見とはいろいろな違いがあり、要件さえ満たすのであれば、現実的な選択肢として「保佐」を利用すべきと感じることは決して珍しくありません。
そこで、後見との異同を踏まえつつ、どういう場合に保佐を利用すべきかについて述べてみたいと思います。
まず後見との違いですが、後見は裁判所において「精神上の障害により判断能力が欠いている」と判断された時に付されるのに対し、保佐は「精神上の障害により事理弁識能力が著しく不十分」と判断された時に付されるということで、両者の間には判断能力という点で明白な違いがあります。
ですので、後見人が選任されるということは、本人=後見人ということになり、契約などの法律行為については全面的な代理権を持つ後見人にしかできません。
一方、保佐の場合、保佐人は、選任の際に定めておく「重要な法律行為」に関する同意権や一定の手続を踏んだ上での代理権を持つという仕組みになっています。
また、選任手続の関係では、後見の場合と異なり、本人に一定の判断能力があるため、裁判所において本人の意思確認の手続が取られることになります。
もっとも、実際に保佐人に就任した後の保佐人のやるべき仕事は、日常的なところでは後見とほとんど変わりません。
年に1度の裁判所への報告や、不動産の処分や遺産相続の手続等、重要な局面での対応も、実際のところ、関わっていて違いを感じることはありません。
では、保佐利用のメリットはどこにあるかですが、一つは取消権です。
保佐人は、本人が単独で、たとえば騙されて不動産を処分するなどの不利益な契約を締結してしまったような場合、詐欺や脅迫といったことがあったかをいちいち問題とすることなくその契約を取り消すことができるのです。
つまり、保佐は、本人の財産を保全するための備えとして非常に有用であるといえます。
高齢者の方とお話をすると、意思疎通は普通にできても、近い時期のやりとりに関する記憶が曖昧であったり、複雑な部分の判断ができず、混乱されてしまうといった場面にしばしば出くわします。
そうした方の場合、契約に関する具体的な損得や適否の判断は難しいのですが、であるからこそ、高齢者を狙った詐欺や詐欺的商法が横行しているのです。
高齢者を狙った詐欺商法を防ぐためには、この種の犯罪に関与した人間は、末端の人間でも厳罰に処するような制度改革がなされるべきと思うのですが、とにもかくにも高齢者が被害に遭わないようにするための最も現実的な備えの一つとして「保佐」は有効といえます。
ところで、少し局面は異なりますが、保佐と後見の違いはほかにもあります。
たとえば、本人が一定の財産を保有しておられて、相続税対策が必要であったり、遺言を作成することが必要であったりという場合です。
後見人が選任されて以降だと、相続税対策での贈与などの法律行為はできませんし、遺言作成も基本的には難しくなります。
しかし、保佐であれば、そうしたことも可能です。
もちろん、これは判断能力に対する評価(具体的には医師の意見)によって定まることであり、メリットデメリットという観点でお話することではありませんが、ご本人や親族にとっては、タイミングによって後見ではなく保佐を選択肢に加えることは検討してみる価値があるといえるでしょう。
今や日本は超高齢化社会を迎えていますので、財産保全やいずれ来るであろう相続への備えといった観点から、後見の前段階ともいえる「保佐」の利用を検討する意味は大きいと思います。
ぜひご検討ください。
医療事件のお話~医療系の事件に関するセカンドオピニオンの勧め
前にもちょっと書いたことがありますが、医療系の事件を数多く扱っていると、ほかの弁護士さんからの相談を受けたりすることがしばしばあります。
私たち自身も経験がありますが、医療系の事件では、どうしても機序や過失の評価を検討する場面で医学的な難問にぶつかったり、問題点はわかっているのにその問題について適切な助言をもらえる協力医がなかなか見つからないなど、難しい状況に陥るということが少なからずあるからです。
実際には医療事件だけでなく、たとえば、交通事故における障害の評価や因果関係の問題といった場面でも医学的な検討が必要になるといったこともあります。
そんなわけで、そうした医療が関わる事件におけるセカンドオピニオンのことをちょっと書いてみたいと思います。
医療系の事件の大変さの一つは、医学の森の奥深さというか、真相に辿りつき、解決に至るまでの道のりで、幾度も幾度も、医学的な難問にぶち当たり、行き詰ってしまうという局面に出くわすということです。
当事務所では、原則として医療事件を複数受任とする主たる理由はそこにあります。
局面打開のためには、議論して知恵を出し合うことが必要だからです。
また、通常事件では、生の事実を把握すれば、それに対する法的評価を加えて行けばいいのですが(それでも判例や法解釈の検証が必要であり、簡単な事案ばかりではありませんが)、特に医療事件の場合、生の事実から医学的な事実(機序)を明らかにしていくことが必要なため、実際には、ミスの有無より前に、この医学的事実を解明していく場面での医学的な検討が最も大変な作業になります。
たとえば、お腹が痛いとか発熱があるといった生の症状だけでは、何に起因しているかは直ちに判断できません。
X線やCTなどの画像についてもそうですし、白血球などの検査所見も同様です。
また、原因疾患がある程度特定されても、必ずしも、典型的な症状が現れないこともあり、そうした典型的なケースとの「ずれ」をどう見るのか、矛盾なく説明できるかといったことも検証しなくてはなりません(実際、訴訟になると、医療側がそうした「ずれ」を指摘して、医学論争に持ち込まれることもあります)。
とにかく、個々の症例において、医学的な意味でいったい何が起きていたのか、結果に至るまでにどのようなプロセスをたどったのかを明らかにして行くことが大変なのです。
もちろん、過失や因果関係についても、同様に医学的な知見に基づく検討が必要となりますので、一山超えてもその先にいくつもの山が立ちはだかっているという気分になることは少なくありません。
そんなわけで、ある程度経験を積んでいても、医療系の事件は奥深く、本当に難しいと感じます。
さらに、手続的な局面局面での対応の難しさも、通常の民事事件とは異なるところがあります。
たとえば、カルテの証拠保全であるとか、鑑定意見書の作成の手順、協力医に確認すべきポイントのまとめ方、提訴後も、診療経過一覧表の作成方法、医療側の争い方に対する対峙方法、裁判所の訴訟指揮に対する向き合い方等、医療事件ならではの難しさがあります。
失礼な言い方かもしれませんが、裁判官が医療事件の扱い方を理解していないと感じることも少なくないし、手続の進め方においては、通常事件以上に緊張感を持って臨まないといけない場面に幾度も出くわすのです。
実際、カルテの証拠保全で裁判官とバトルになることはしょっちゅうです。
また、最近でも、ある裁判で医療側が明らかにおかしな診療経過一覧表を作ってくるので、「やり方が間違っている。それでは診療経過一覧表作成の目的にそぐわない」と何度も指摘したのですが、裁判官がまったく反応してくれないということがありました。
ところが、裁判官が交代したら、新しい裁判官は手続をよく理解していて、医療側にその点を指摘し、作成方法を改めるように指示してくれました。
とにかく、手続の各場面でどのように対処すべきかということで悩む頻度が高いのも医療事件の特徴の一つであるといえます。
ですので、もし、この記事を読んだ方で、事案の調査検討や手続のことで行き詰ったり悩んだりされている方がおられましたら、医療事件の経験豊富な弁護士への相談をすることをお勧めしますし、もし心当たりがないようでしたら遠慮なく当事務所までご相談ください。
遠方の方の場合、どのような形で助言ができるかということはありますが、微力ながらお力になれればと思っております。
医療事件日記~コロナ状況下の証拠保全手続
先日、当事務所で引き受けたある医療事件で、証拠保全に行ってきました。
申立自体は今年の春先に行っていた事件なのですが、その後、コロナによる緊急事態宣言の影響で、手続がストップしてしまい、申立から5か月近くが経過して、やっと証拠保全期日が実施されたわけです(通常は申し立てて1~2ヶ月以内には期日が入りますから、やはり異常事態ではあります)。
というわけで、コロナ状況下における証拠保全に関するご報告です。
コロナウイルス感染の広がりによって、最も重大な影響を被っているものの一つが医療機関であることはいうまでもありません。
個々の医療機関で実情に応じた対応を取っておられるわけですが、正直、患者の家族が見舞いに訪れることも制限されているところも多く、抜き打ちで実施する以上、当日、行ってみなければスムーズに進められるかどうかの予測がつかなかったりするわけです。
とはいえ、証拠保全は一発勝負ですので、事前のホームページのチェック、依頼者への確認などの下調べは、平常時よりは慎重に行っておかなければなりません。
それでも無事に証拠保全手続を終えることができるかについて、不安を抱えつつ臨むわけで、行く前から普段とはちょっと違う緊張感がありました。
その不安は出だしでいきなり的中します。
まず建物に入る時点で、ちょっとしたトラブルに見舞われたのです。
コロナ感染対策ということで、まず、病院の入り口で検温を受けるわけですが、なんと裁判官とカメラマンで来てくれた弁護士の体温がいずれも37度を超えていたのです。
2人ともだるさなどまったくないのですが、いきなり足止めです。
結局、普通の体温計を持ってきて正確に測り、最終的には37度を下回っていたことが確認できたので、無事手続には入れたのですが、もし、何度測っても37度以上であれば、証拠保全ができなくなっていたかもしれません(特に裁判官については、手続の主体ですから、完全にアウトだったでしょう)。
おそらく、この日は異常に暑かったので、開始前に外で待機している間に軽い脱水のような状況になっていたのではないかと思いますが、この足止めによって、初っ端からコロナおそるべしとなったわけです。
その後の手続でも、コロナの影響は続きます。
私たちが入れられた部屋には窓も何もなかったのですが、基本的にそこから出ないように、院内を移動しないようにと求められました。
続いて、作業の途中で、CT等の画像の存在が明らかとなり、それは別の場所のコンピューター内に保存されていることが明らかとなったのですが、こうした場合、通常であれば、そのコンピューターの設置してある部屋に行き、その場で操作してもらい、すべてのデータの出力を確認する手順となります。
しかし、別室への移動は避けてもらいたいとの要請があったので、それを受け入れ、医療側を信頼し、とりあえず、データをダビングしてもらうということで納得しましたが、これもコロナの影響ということになります。
もちろん、今回の事件では、画像データはさほど重要ではなかったので折り合ったわけで、もし画像が決め手の事件であれば、コンピューター本体を確認させてもらうよう強く求めたはずですが、とにかくいろんなところで通常とは違う事態に遭遇します。
今回の証拠保全で、最も支障があったのは、最後の場面で、事故が起きた部屋の内部の看視状況を確認しようとしたときのことでした。
医療側からは、不特定多数が出入りする場所なので、室内に入ることは遠慮してもらいたいと求められました。
そのため、部屋の入り口からの撮影となったのですが、奥行きのある部屋なので、内部の状況を正確に確認することはできませんでした。
事故が起きた当時とは室内の状況も変わっているという説明もあったので、それ以上固執することはしませんでしたが、ちょっと残念なことではありました。
しかし、事件のことは別として、医療現場が大変な状況にあることは、今回の手続でもひしひしと実感させられました。
実は、現在準備中の証拠保全案件もあるのですが、コロナの影響はまだまだ長引きそうで、事案の内容や保全の対象物によっては、保全手続に重大な支障が生じて、最悪、保全執行が不能となる可能性がないとも限りませんので、今の時期は、申立のタイミングも含め、慎重に準備、検討しなくてはならないと強く感じた次第です。
医療事件日記~肝生検後の死亡事故につき不起訴処分が確定したことに関するご報告
横浜市内のある総合病院で起きた、生後11か月の乳児に対する肝生検後の死亡事故に関する、当時担当医であった被疑者に対する業務上過失致死被疑事件について、本年6月下旬に出された検察審査会における不起訴不当の議決を受けての再捜査の結果、本年8月6日に、嫌疑不十分不起訴の判断が維持される結果となりました。
私たちは、この間、多くの医療関係者、警察関係者ともお話をし、また今回の嫌疑不十分不起訴の判断を維持した担当検事ともお話をしておりますが、まもなく10年という月日が経過しようとする時点まで待たされ続けた挙句、あまりに不可解な不起訴処分が出されたことによって非常なショックを受けられたご遺族の心情を踏まえ、あらためて、本件の経緯を含めてご報告させていただくことといたしました。
まず、事件の実体、性質からすれば、私たちは、検察審査会における不起訴不当の議決には非常に重い意味があると考えておりました。
そこで、議決後、私たちは、新しい担当検事と面談し、この間に入手した証拠やこれまでの調査、検討に基づく、事件の真相や法的評価について資料を携えて説明をしました。
担当検事にとっては、限られた時間の中で検討しなくてはならないので、この説明は、事案のポイントについて理解してもらうための協力をしたいという考えによるものでした。
私たちは、公訴時効期間満了までわずか2ヶ月しかないという状況ではあるものの、本件事故における医師の過失は明らかで、適切に対処していれば救命できたはずであること、そして、事故後の隠ぺいなどの対応の悪質さなどからすれば、当然起訴されるべき事案であることを強く訴えました。
そして、7月末までに意見書を提出することを検事と約束し、その約束どおり意見書も提出しました。
ところが、担当検事は、私たちの意見書が7月中に提出されることを承知していながら、その前に、ご遺族に対し、“報告”があるので検察庁に来てほしいと連絡を入れて来たのです。
弁護士同席の上でということになり、8月6日に私たちは検事のもとに赴きました。
すると、検事は、いきなり、嫌疑不十分不起訴にしたという結論を伝えたのです(上記の“報告”があるとの連絡を受けたのが意見書提出前ですから、その時点で不起訴の結論は決めていたことになるわけで、まあ、それも失礼な話ですが・・・)。
それに対して、理由を尋ねたところ、検事は、「本件が肝生検に起因する出血死」の事件であるとの前提に立ちながら、以後の経過について「肝生検後の出血を疑う状況と評価することは難しい」などとして、容態が悪化してから数時間もの間、何の精査もせず、「経過観察」としたことにつき、起訴はできないと判断したと述べました。
しかし、元々、肝生検には出血などの合併症のリスクがある上、特に本件の肝生検は、呼吸が止められず、肝臓が上下するリスクの高い乳児が、手技中にベッド上で体動が激しく、ブリッジをして肝臓が上下している状況で鎮静もせず、小さな肝臓を複数回刺し(担当医のカルテに明確に記載されています)、都合6回の穿刺が繰り返されたという、出血の合併症を来すリスクが高い症例であり、当然ながら、術後管理はより厳重に行われなくてはならないことは明らかでした。
ところが、肝生検後、1時間半後には脈拍数が分あたり200を優に超え、呼吸数も60台に上昇し、さらには発熱、チアノーゼ、四肢冷感など、出血兆候、出血性ショックを強く疑うべき所見が現れ、その状況が延々と続いてアラームが鳴りっぱなしだったにもかかわらず、医師らは、2時間以上もの間「経過観察」を続けるのみで何らの精査をしなかったというもので、このような異常事態について、「出血を疑う状況と評価することは難しい」との検事の説明に、私たちは一瞬言葉を失いました。
私たちは、これだけの異常所見が揃っていながら、「肝生検後の出血を疑う状況と評価することは難しい」と判断した根拠を検事に尋ねたのですが、そこで、さらに検事は驚くべき説明を展開します。
それは、「意見を求めた2人の医師が、『私でも経過観察をしていたと思う』と言っているから」というものでした。
私たちは、医療事件を扱っていて、明らかに中立性、公正性に欠ける不合理な鑑定意見書をしばしば目にします。
本来、あってはならないことですが、現実には、医療機関や保険会社の意向に沿った、身内庇いとしかいいようのない意見書が出され、協力医の方が呆れかえるということは決して稀なことではないのです。
もちろん、患者側が提出する意見書であっても、医学的知見に基づいたものでなくてはならないわけで、結論がどちらに寄っているにせよ、大切なことは、述べられている意見が正しいものか否かが医学的な見地からきちんと検証されなくてはならないということです。
しかし、担当した検事にそのような姿勢があるようには到底感じられませんでした。
上記の2人の医師の意見については、そこで述べられている見解の医学的根拠を丁寧に検証していけば、その誤謬に容易に気づくことができるはずだし、本件はまさにそのような事案だからです。
そんな検事の説明に対して、ご遺族から「2人の医師とおっしゃいますが、その分母はいくつですか」と尋ねた場面がありました。
すると、検事は、言いにくそうに「9人です」と答えたのです。
つまり、9人のうちの2人だけが「私でも経過観察をしていたと思う」と述べたということは、ほかの7人はそうではないと言っていることになります(もっとも、話しているうちに、もう1人微妙な意見の医師がいるという説明が加わりましたが)。
もちろん、このような問題は多数決で判断することではなく、医学的知見に基づく見解としてどちらが正しいかの話ではありますが、「経過観察と判断し続けたことに問題がある」と判断した医師の方が圧倒的に多いにもかかわらず、そちらを無視して、「私でも経過観察をしていたと思う」という意見があったことをことさらに強調して、起訴はできないとの判断を正当化しようとする姿勢には違和感しかなく、強い憤りを感じざるを得ませんでした。
ほかにも、検事はご遺族の面前で信じがたいような発言を繰り返します。
たとえば、血液検査は結論が出るのに時間がかかるなどとして、血液検査をしなかったことを正当化するような発言をしたので(時間がかかることが、検査をやらないことを正当化する理由にならないことはいうまでもありませんが)、「しかし、腹部エコー検査はベッドサイドで簡単にできるし、出血兆候を容易に確認できるのだから、それすらやらなかったことは過失といえるではないか」と述べたところ、「エコーをすれば、体が動いて、かえって出血が増えるリスクもある」などとして、エコーをやらなかったことを正当化する説明をしたのです。
しかし、患者は乳児であり、看護師が体を抑えれば済むことですし、そもそも、異常所見の原因を精査しなければ手遅れになることだってあるわけで、およそ本末転倒というほかないのですが、とにかく、検事の説明は、万事が万事、そんな感じでした。
また、当時の研修医で被疑者の一人となっていた方が書いた陳述書には過失があったことを認める記述があるのに、なぜそれを無視するのかと聞いたところ、これに対しても、驚くべき返答が返ってきました。
まず、陳述書の中には、当時の過失を明確に認める記述があるにもかかわらず、「当時、過失があったということを認めたものとは読めないと判断した」と強弁するのです。
もし、本当にそう思うなら、研修医の方の事情聴取をすべきではないかと尋ねたところ、その必要はないと判断したと答えるばかりでした。
ちなみに、過失の前提となる出血死の予見可能性について、検事は「そこはグレー」という言い方を何度かしていたので、「予見可能性がグレーというなら、なおのこと、事故の当事者である当時の研修医に話を聴くべきではないか」と迫りましたが、「もう結論は決めたので、事情を聴くつもりはない」と開き直るような受け答えでした。
さらに驚いたのは、検事が、「当時の医療水準では、経過観察としたことに問題はない」と述べたことでした。
確かに医療過誤で「医療水準」が問題になることはありますが、出血性ショックに対する対処は、医師にとってイロハのレベルの問題で、10年前も今も、やるべきことに何ら変わりはなく、医療水準など、およそ問題になる余地はありません。
率直に言って、この検事は、医療事故をまともに扱ったことがないのではないかとすら感じました。
とにかく、こんなやりとりが2時間余り続いたのですが、強く感じたことは、「不起訴という結論が先にありき」だったのではないかということでした。
実は、去年の年末に不起訴と判断した検事との会話でも強くそういう印象を持ったのですが、必要な補充捜査もせず、必要な医学的な検討もろくにしないまま、不起訴不当の議決からわずか40日で「嫌疑不十分」という結論を維持した検事に対しては、心の底から、「法律家として恥ずかしくないのか」「真相を解明して正義を実現しようという覚悟はないのか」と、強い憤りを感じながら私たちは席を立ったのです。
率直にいえば、本件の場合、少なくとも5年以上もの間、検察官がずっと警察からの送検の受理を拒み続けたという怠慢も非常に重大な過誤なのではないかとも思いますし、不起訴不当議決後に担当することになった検事にとっては、とばっちりのような面があるようにも感じています。
実際、今回対応した検事も、私たちとのやりとりの中で、時間不足で十分検討できなかった面があることを認めていました(それを認めて不起訴とすること自体、ひどい話ではありますが)。
しかし、ご遺族にとっては、いい加減な捜査の繰り返しで幕を引かれ、幼い子を失ったことについて正義が実現されないこと、そしてそれをおよそ納得できないような説明でごまかそうとされたことは本当にショックなことであり、お二人が落胆される様子を見て、私たちも本当につらく、持って行き場のない憤りとやるせなさを感じました。
ともあれ、刑事事件としてはこれで一区切りとなります。
事件の真相については確信を持っておりますので、今後は、引き続き、民事裁判の手続の中で、真相解明と医療側の責任追及を図って行く覚悟です。
そして、この民事裁判の中で明らかにされることが、この先に向けて、医療事故を減らすこと、さらにはより良い医療現場の実現につながるはずだという確信もあります。
それゆえ、今後も裁判の進行に合わせ、いろいろとご報告、ご提言をさせていただくつもりですので、医療関係者の方々も含め、広く関心を持って見守っていただければと希望しております。
日々雑感~コロナリスクと向き合う医療者、医療機関にこそ手厚い補助を!
先日の記事で取り上げたことですが、医療事件で相談に乗っていただいている協力医が所属しておられる県内のある医療機関では、採算度外視で、コロナ感染のリスクのある発熱患者を受け入れているとのことでした。
そして、このままの状況が続けば、病院が潰れるかもしれないという危機感を訴えておられました。
一方で、同じエリアのある総合病院は、発熱があるというだけで、診療を断っているそうで、発熱患者については、コロナ感染を避けるため、救急搬送すら受け入れていないそうだということで、いろいろと思うところもあり、記事に取り上げたわけです。
しかし、その後の報道で、その協力医が所属しておられる病院内でコロナ感染が起きてしまったことが明らかとなりました。
そこで、あらためて、この問題について取り上げてみたいと思います。
最初に結論めいたことを申し上げますが、記事のタイトルにもあるとおり、政府も自治体も、「採算度外視で、コロナ感染のリスクのある発熱患者を受け入れている医療機関や医療者」に対してこそ、より手厚い補助をすべきです。
政府は、金融市場にじゃぶじゃぶと金をつぎ込んだり、別の機会の取り上げたいと思いますが、感染が治まらず、再拡大している状況下で「GO TOキャンペーン」こと「コロナ感染を全国に広めつつ、自民党の有力政治家のお仲間に美味しい思いをしてもらいましょう的キャンペーン」に巨額の資金を投入したりしていますが、ずれているとしかいいようがありません。
もちろん、すそ野の広い旅行業界、観光関連業界を活性化するための政策の必要性は否定しませんが、手法も誤りだし、何といっても優先順位を間違えていると思います。
今何よりも大切なことは、コロナ感染を抑え込むことであり、それと並行してなすべきことは、将来に向けて継続的に感染を抑え込むような仕組みを構築することです(もちろん、苦境に陥っている事業者、国民への補助は車の両輪で必須ですが)。
そうしなければ、個々の業種に対する活性化策も感染拡大を招く要因にしかならず、結局のところ、活性化どころか、コロナ感染が長期化してしまい、逆効果になってしまうからです。
であるとすると、優先すべきは、医療の最前線で、コロナリスクと向き合う医療者、医療機関に対して経済的な援助、必要な医療物資の手当てを行い、特に、コロナリスクを積極的に向き合っている医療者、医療機関に対しては、特に手厚い補助を行うことだということは火を見るより明らかです。
東京女子医大病院では、退職希望者が数百人も出ているという報道がありましたが、逆に、こんな時だからこそ、医療者にはプラスαの収入が保障されるような仕組みを作ることで(もちろんそれだけではなく、医療安全、保育所の確保など複合的な手当てが必要ですが)、医療者が医療現場で働こうと思える動機付けにつなげるべきです。
あと、コロナに感染した医療者に対する差別、偏見も起きていますが、何を考えているのかといいたくなります。
先日、医療事件で協力医に相談するため、ある都内の医療機関を訪れたところ、ちょうどそこにPCR検査を予約していた方がやってきたのですが、それだけで妙に緊張してしまいました。
しかし、よくよく考えてみれば、コロナ感染の可能性のある患者に対し、検査や診療行為を行う医療機関においては、それこそが日常です。
診察、治療、手術もそうですが、入院患者で容態が悪ければ、体位交換をしてあげたり、ふろに入れないなら、清拭をしてあげたりと、何から何まで濃厚接触そのものなわけです。
コロナ感染の可能性のある患者に対する医療に関わる医療者の人たちは、自身が感染するリスクと向き合いながら、患者の命や健康を守ろうとしているわけで、心からリスペクトされるべきだと思うのです。
もちろん、医療機関にとっては、経営上の不利益も非常に大きいといえます。
前にも書きましたが、発熱患者は他の患者と同室というわけには行きませんので、コロナ感染の可能性のある患者を受け入れるだけで、収益的にはマイナスであり、さらに感染者が出ると、外来診療をいったん止めなくてはならないわけで(協力医のおられる病院はまさにそうなりました)、ただでさえ、今の医療機関は経営的に厳しいといわれる中で、使命感をもって取り組み医療機関を破綻させるようなことは絶対にあってはならないし、今こそセーフティネットとしての医療を守るために最善を尽くすべきです。
もちろん、医療者への偏見を取り除くことも必要であり、メディアにおいても、コロナと向き合う医療者、医療機関の置かれた状況を、敬意をもってキャンペーンのようにして取り上げてもらいたいと思います。