
医療事件日記~肝生検後の乳児の死亡事故につき、検察審査会において「不起訴不当」の議決が出されました
本年6月25日付で、横浜の検察審査会において、私たちが担当している肝生検による乳児の死亡に関する医療事故について、不起訴不当の議決が出ましたので、ちょっと長くなりますが、経緯についてご報告するとともに、私たち代理人弁護士が感じている様々な想いを述べてみたいと思います。
まず、本件事故の経緯ですが、このホームページで何度も取り上げているとおり、平成22年9月1日に横浜市内のある総合病院の医師らが、生後11か月の女児に対して肝生検を実施したところ、術後1時間半くらいが経過したあたりから脈拍数が分あたり200回を超え、呼吸数も分あたり50回から60回を超え、そこから約3時間後に容態が急変して死亡したというものです。
ところが、死亡直後の9月2日未明の時点で、病院側は、両親に対して、「死因は不明だが、病院に責任はない」「真相を知りたければその調査のために数百万円はかかる」などと言い放ち、そのあまりに無責任な発言にショックを受けた両親が警察への通報を求め、警察介入となります。
司法解剖の結果、女児の肝臓には6個もの穿刺痕があったことが確認され、腹腔内に貯留した出血量は体内の総血液量の2分の1を優に超える360mlに達していたことが判明し、解剖医は、肝生検後の出血性ショックによる死亡と判断します。
ところが、病院側は、女児に何らかの代謝異常が起きたのだとして、出血性ショックによって説明のつく事象を、別の病気にこじつけるような主張を行うようになり、悲しみに暮れる遺族にもいきなりそのような趣旨の手紙を送りつけます。
警察は慎重に捜査を進め、長く時間はかかりましたが、事件は昨年11月に検察庁に送致されます。
その後、被疑者の内、当時研修医だった方の医師が、自身の弁護士を通じて、私たちに連絡をして来て、事故から9年以上の月日が流れてはいましたが、昨年12月に両親との直接の面会が実現しました。
研修医だった医師は、当時、患者の容態にずっと疑問や不安を感じながらも、経験が足りなかったことに加え、彼が所属していたチームにおいては、上級医の意向と異なるような医療行為ができない関係性があったため、上級医に何度も患者の異常を伝えてはいたものの、致死的な急変に至るまで何もしてあげられなかったことをその後ずっと悔やんでいたそうです。
また、この病院では、以前にも同種の事故が起きていたという情報もあったのですが、この研修医は、その当時はこの病院におらず、以前の事故のことは全く知らなかったそうです。
謝罪に来た医師は、その後経験を積んでおり、あらためて振り返れば、この事故が肝生検後の出血によるものであること、代償性ショックの段階なので、その時点で適切に対処していれば救命できたはずの事故であったとその場で明言していました。
私たちは、この研修医の謝罪を受けて、検察官に申し入れをしようと思っていたのですが、この面談の日からわずか半月後、送検からわずか40日しか経っていない昨年末の時点で、突然、検事から嫌疑不十分で不起訴にするとの連絡が入ったのです。
いうまでもないことですが、医療過誤は、経験を積んだ弁護士にとっても、症例ごとに幅広く医学的な検討をしなくてはならない事件領域であり、特に医療側が医学的に特異な主張を行っている場合には、その主張に矛盾点や不合理な点があるか否かを見極めるためには相当な時間と労力、さらには医師の協力などを要します。
たとえば、医療側は、裁判でも、急変時のヘモグロビン値の低下は出血では説明がつかないと主張していますが、本件では輸液が行われていたことに加え、大量出血が起きると、血管外から血管内に水分が戻って来るという機序もあり、ヘモグロビン値の低下は出血によるものと見るのが医学的には合理的なのであって医療側の説明には明らかに誤りが含まれているのですが、民事、刑事を問わず、医療事件においては、このような医学的なメカニズムの検証を一つ一つの事象について行わなければならないのです。
しかし、担当した検察官は、送致からわずか1ヶ月余りで、しかも、医師の内の一人がミスを認め、救命できたはずだとの認識を遺族に示し、謝罪の手紙まで渡している中で、嫌疑不十分不起訴という結論を出したわけですから、およそ上記のような検証がなされたとは考えられませんし、結論先にありきで役割を放棄したようにしか見えず、遺族が納得できないのも当然のことでした。
また、担当検察官は、遺族に対する説明の中で、公訴時効が迫っており、検察審査会の手続に入るためにも早めに結論を出してあげた方がいいと考えたと言っており、本末転倒で何をかいわんやというほかなく、私たちがその話を聞いた時には思わず絶句してしまいました。
不起訴処分が出た直後は民事裁判の方の次回期日の準備が佳境に差し掛かっていたこともあり、少し準備には手間取りましたが、私たちは、内部告発をしてくれた医師や、謝罪の意思を示してくれた(不起訴処分を受けた当事者でもある)研修医の方の陳述書を付して、検察審査会に審査の申立をしました。
その後、コロナウイルス感染の広がりで、手続が遅れているのではないかという心配もあったので、上申書を提出するなどして、結論が出るのを待っていたところ、6月25日付で検察審査会から、上級医に対する不起訴処分は不当であるとの議決が出たのです。
研修医の方については、理由は特に書いてありませんでしたが、不起訴処分が維持されています。
不起訴不当の議決の判断の理由の中では、肝生検の際の6回に及ぶ穿刺により、出血が続いており、脈拍数や呼吸数の異常があったにもかかわらず、出血兆候を見逃がし、救命処置を取らなかった過失が明確に指摘されており、また、その時点で適切に輸血、輸液、止血処置などが取られていれば救命できたはずとして死亡との因果関係についても明示されており、当たり前の結論ではあるのですが、まだ途中経過ではありますが、努力が報われてよかったという気持ちになりました(もちろん、勇気を振り絞って内部告発をしてくれた医師や、葛藤を乗り越え、謝罪に赴いてくれた研修医の方の協力があればこそですが)。
患者側の代理人として、様々な事件を扱ってまいりましたが、本件事故は、単なるヒューマンエラーと捉えるべきでない、今の医療現場が抱える様々な問題を含んでいるように思います。
前にも取り上げたことですが、本件では警察が介入した9月2日の未明には、巧妙な電子カルテの改ざんが行われています(今年放映された現代版「白い巨塔」におけるカルテの改ざんと同じ手口です)。
研修医の方から伺ったところでは、事故後、上級医から口裏合わせ的な指示もなされていたそうです。
前述したとおり、出血によって起きたものと説明のつく事象を、およそあり得ないような別の病気によるものとこじつけるような主張も繰り返されています。
しかし、本件事故くらい、シンプルな出血死の事故はありません。
意見書を書いてくださった協力医の方もおっしゃっているのですが、こんな明白な医療ミスの事故において、なぜ不毛な争いを行うのか、信じられない気持ちになります。
医療過誤を扱っていると、医療者に対する感謝の気持ちはむしろ強くなります。
ミスを犯した医師に対しても、それを責めるというよりも、臨床現場でリスクと向き合っておられることに対しては敬意を表したいと思うことも少なくありません(ですので、医療事故を起こした医師について、原則的には刑事処分を求めるという対応をしてはいません)。
ですが、本件事故におけるように、あまりに不毛で見苦しい争い方をする医療者や医療機関が存在することについては、そうした対応が、さらなる医療不信を招くことになるし、臨床現場もかえっておかしくなってしまうのではないかという危惧を感じたりもします。
今の率直な気持ちとして申し上げれば、本件事故については、体重わずか8キログラムの乳児の小さな肝臓に太い生検針を6回も刺し、出血死に追いやり、反省も謝罪もなく、医療側がカルテの改ざんを行い、裁判においても、明らかに出血死によるものと評価できるはずの事象を別の病気にこじつけるような主張を重ねている経緯に照らしても、この上級医に対しては、起訴して裁判による裁きを受けてもらいたいし、公開の法廷で事実が明らかとされることで、このような痛ましい、あってはならない事故が繰り返されず、また医療現場で働く医療者がきちんと医療に向き合えるようにするための教訓にしてもらいたいと心から強く願っております。
事件日記~コロナ危機と「再生手続」
給与所得者や個人事業者の方が多額の負債を抱え、債務整理の相談に見えて法的な整理を選択する場合、裁判所の手続としては破産か個人再生の両方の選択肢があることについては、前にもこのホームページで取り上げたことがあります。
弁護士としては、その場合、できる限り個人再生手続での法的整理を実現してあげたいと考えるわけです。
もちろん、個人再生手続についても当然ながら一定の要件があり、要件にあてはまらず、申立自体ができないケースもあるわけですが、ハードルが高くても、依頼者とともにそのハードルを乗り越え、再生計画認可にたどり着ければ、自宅を処分しないで済むであるとか、これまでどおり事業を続けられるわけで、築き上げた生活基盤を維持できることになれば、その満足度は非常に高いものがあります。
今回のコロナ危機の実体経済、国民生活への影響は非常に重大ですので、ぎりぎりの状況における選択肢ということで、個人再生手続について取り上げてみたいと思います。
コロナ危機の影響は様々ですが、現状での急な収入減少は、住宅ローン、自動車のローン、事業の運転資金、子供の学費などの避けられない支出を抱えている方にとっては非常に大きなダメージとなります。
そして、いよいよ返済が難しくなれば、債務整理を検討しなくてはなりませんが、経験的に申し上げると、もう少し早い段階で相談に来てもらえれば別の選択肢があったのにと感じることは決して稀なことではありません。
前述のとおり、抱えた債務に対する法的整理の方法としては、大きく分けて破産と再生手続があるのですが、破産と異なって、再生手続を選択すれば、前述のとおり、不動産を残し、商売も続けて行ける可能性があります。
もちろん、再生手続にも要件があり、そもそも要件を満たしていない場合もあるのですが、要件を満たすかどうかが微妙な場合に、再生手続前提で弁護士が介入し、生活を立て直しながら、再生の要件を満たすように準備をして行くこともケースによっては十分可能なことです。
たとえば、弁護士介入により、債権者への返済をいったん止め、当面の経済的な余力を確保し、ご自身の収入増に注力してもらい、それをしばらく続けながら再生手続の最重要要件である将来の安定した収入の見込みを認めてもらえるよう実績を積み上げて行ければ、要件クリアとなります。
また、自宅の不動産を保有し続けたいのであれば、原則として住宅ローンの支払いは続けないといけませんが、滞納が続くと代位弁済がなされてしまい、そうなると再生手続における住宅ローン特別条項の適用が受けることが非常に難しくなって、不動産を手放さざるを得なくなります。
そうならないためには、代位弁済されてしまう前に、弁護士が介入して他の負債の支払いを止め、住宅ローンだけは優先的に支払えるようにし、あわせて早期に住宅ローンの債権者である金融機関との話し合いを開始しておくことが肝要となります。
再生手続の場合、清算価値チェックシートで資産評価を行った結果にもよりますが、多くの場合、住宅ローン以外の一般債務は5分の1程度に圧縮され、それを3年もしくは5年の分割払いで返済すれば足りることになりますから、この手続を利用するメリットは非常に大きいといえます。
しかし、上記のような要件の制約があり、またタイミングを逸して経済状況が厳しくなれば、活用できたはずの再生での生活確保が不可能となってしまうことになりかねません。
ですので、本当に切羽詰まるよりも前に、早め早めに再生手続を利用できる見込みについての検討を開始すべきです。
なお、手続費用ですが、弁護士が申立代理人となる場合とそうでない場合とでは裁判所に納める予納金の金額が少し違ってきます。
これは、申立代理人である弁護士が、裁判所の個人再生委員の仕事の一部を負担するため、その分予納金を低くしてくれるのです。
もちろん、弁護士に依頼するとなると弁護士費用がかかりますが、分割に応じてくれる弁護士もいますし、再生手続には前述したようなテクニカルな要素もありますので、手前味噌ではありますが、弁護士に相談することをお勧めしたいと思います。
医療事件日記~証拠保全のあれこれPART1
医療事故における証拠保全手続で、実は意外とストレスが溜まるのは、証拠保全決定が出る段階での裁判所とのやりとりです。
証拠保全段階で対応してくる裁判官は比較的若手の方が多いのですが、中に、露骨に「マニュアル」的な対応をする人がいますし、そもそも証拠保全の目的や意味を理解していない裁判官に出くわすことも決して珍しいことではありません。
もちろん、弁護士の側も、また個々の事案の中身に応じた準備をきちんとしておかなければならず、ただ申し立てればいいということではないのですが、証拠保全は、いわば「一期一会」の「一発勝負」の手続ですので、抜かりなく決定を得て、当日の手続に臨む必要があるのです。
というわけで、証拠保全に関するあれこれを取り上げてみます。
証拠保全は、原則としてその日限りの手続ですので、もし、証拠保全手続で押さえておくべき証拠資料を本番で入手し損なうと、取り返しがつかなくなります。
それだけに、どのような証拠を押さえなくてはならないかについて、申立段階でしっかり検討しておかなくてはならないのです。
たとえば、前にここでも取り上げた感染症の症例の場合、培養、同定検査、感受性検査の結果を取りこぼすわけにはいきませんし、死因が問題となる症例の場合、病理検査の結果や資料があるなら、それもまた絶対に欠かせないわけです。
あと、経験の乏しい弁護士だと、保全の対象となる期間について深く考えないということがあり得ますが、対象の期間をしっかりチェックしないで決定をもらうと、いざ手続に臨んだ時に、その期間から外れた時期の診療記録は、任意提出に応じてもらうよう交渉してもらわなくてはならなくなり、目の前にあるのに、みすみす保全し損なうという失態になりかねないのです。
ただ、さらに問題なのは、弁護士が、いくらそのあたりをしっかり検討して申し立てても、裁判所がいろいろと注文を付け、制限しようとして来ることがあるということです。
最近でも、保全の対象期間についておかしな注文を付けて来た裁判官がいました。
いわく、事故当日だけで十分ではないかというのです。
さすがにこれには呆れ、前後の経過が重要であり、それが真相の解明に不可欠だという上申書を提出しましたが、上申書を作成しながら、医療過誤事件における証拠保全の意味についてここまで無知な裁判官がいることに非常な危惧を感じました。
医療事故において、どのような経過で事故が起き、事故後、どのような経過を辿ったかを検証することは、法的な過失、因果関係の問題を検討する上で必須であり、普通に法的思考を身に着けていれば容易に理解できるはずだからです。
にもかかわらず、このような注文が出てくるというのは、やはり「マニュアル化の弊害」があるともいえますし、また、その根底には、証拠保全手続を短時間でいかに要領よく済ませるかという発想が潜んでいるようにも感じます。
実際、ここ数年の傾向なのですが、証拠保全当日、裁判所が、やたらと終了時間を気にしているという場面に出くわします。
午後5時近くなると、裁判所が、提示が完了していない保全対象資料について「任意開示でどうか」と持ち掛けて来たりすることもあり、実際、裁判官や書記官が先に帰り、代理人が医療機関側から資料を受け取って帰るなんてことがしばしば起きています。
前はそんなことはありませんでした。
対象資料が出てこなければ、午後7時、8時になっても裁判所がその場で待ち続けるということが普通だったのです。
最初に書いたように、証拠保全手続は一発勝負の手続ですが、患者側が現場に踏み込むということは、戦闘モードに入っていることを医療機関側に知らせることにもなります。
そうなると、以後は、証拠保全で押さえ損なった証拠資料について、改ざん、廃棄のリスクが一気に高まるともいえるわけです。
ですから、裁判所が、対象資料を極端に絞ろうとしたり、対象資料が全部出てくる前に帰るなどということはナンセンスで職務怠慢の極みであり、患者の権利の重大な侵害にもなり得るわけで、あまりに極端なケースでは国賠請求の対象となってもおかしくありません。
ただ、もう一つ問題なのは、裁判所がそのような対応をしてきた時の弁護士側の対応です。
経験が乏しく、時に裁判所と闘う覚悟のない弁護士だと、裁判所の理不尽な対応に出くわしても、疑問を抱くことすらなく従ってしまう可能性がないとはいえません。
証拠保全に限らず、裁判所が過ちを犯さないなんてことはないわけで、裁判所の対応がおかしいと思ったら、時に激しく裁判所とやりあうことを厭わないという姿勢は、弁護士が当然備えておかなければならない必須の能力の一つともいえます。
もしそれを怠れば、最も重要な証拠を入手し損なって、真相解明を求める依頼者の権利を実現できなくなってしまうことにもなりかねません。
ですので、弁護士たるもの、常に緊張感をもって証拠保全手続に臨まなくてはならないのです。
証拠保全に関するお話はもう少し続きます。
医療事件のお話~コロナ危機の中で医療機関で起きていること
先日、当事務所で扱っている医療事件につき、症例検討のため、県内の医療機関に所属されている協力医の方が、多忙な中、時間を割いて当事務所に来てくださりました。
いくつかの症例について、非常に丁寧にお話を聞いてくださり、こちらで用意した資料を確認しながら、的確な助言をいただくことができたのですが、その中で、今の医療現場の状況について衝撃的なお話を伺いました。
そこには、看過し難い不条理な現実があると感じましたので、医療事件そのもののお話ではありませんが、そのことを取り上げてみます。
コロナウイルス感染が広がる中、最も影響を受けている領域の一つが医療であることについては異論のないところでしょう。
もちろん、航空、観光、旅行、外食、風俗、自動車産業など、コロナウイルスの影響を受け、非常に苦しく、先が読めなくなっている産業は数多くあり、製造の現場から末端の消費者まで大多数の国民が深刻な影響を受けているわけですが、その中においても、医療はまた違った意味の大変さを抱えています。
なぜなら、医療機関の臨床現場は、コロナウイルスに感染したか、感染の可能性のある人たちが訪れ、診断、治療を受けるという、まさにコロナウイルスと向き合う最前線となっているからです。
そこでは、コロナウイルスに感染した患者を救うべく、医療者の人たちは、日々、自らが感染するリスクと背中合わせに、命を削るようにして闘い続けています。
もし、医療者、そして医療機関がコロナウイルス感染との闘いに敗れてしまえば、実体経済の回復どころではなく、社会そのものが崩壊してしまいかねないわけです。
ところが、今、その最前線はのっぴきならない状況に置かれています。
実際、面談の際に協力医の方にコロナウイルスの影響についてお尋ねしたところ、「それはもう大変です。もしかしたら、うちの病院も潰れるかもしれません。本当に厳しいですよ」とおっしゃられたのです。
その病院は、長く続いている地域の基幹病院の一つで、コロナウイルス感染の可能性のある患者を積極的に受け入れる方針なのだそうですが、現場では、たとえば、発熱の患者を受け入れる際、大部屋を使う場合でも、感染を避けるため、同じ部屋にほかの患者を入れないという対応をしているそうです。
この病院では、差額ベッド代は取らないという方針を取っているとのことで、ベッドが効率的に利用できないことによるダメージも大きいし、とにかく、コロナ感染のリスクを抱えることの負担は、経済的な面でも非常に深刻であるとのことでした。
ただ、それ以上に驚いたのは、この病院のことではなく、同じエリアにある、さらに大きな総合病院の対応を伺った時でした。
その総合病院では、発熱患者はそもそも受診すらできないということで、つまり、コロナ感染リスクのある患者は一切受け入れないという方針を取っているというのです。
そのため、市内の保健所、消防署も、それを承知しているため、発熱兆候のある患者については端からその病院には送らないという判断をするそうで、当然ながら、そのしわ寄せは発熱患者を受け入れてくれる病院のみに来ることになります。
確かに、ひとたび、院内感染が起きると、病棟閉鎖、外来中止といった対応を迫られるし、風評被害的なことを含め、病院にとって経営上も深刻なダメージとなるため、病院がそれを避けようとする発想自体は理解できなくもありません。
しかし、その結果、患者本位の良心的な病院は、発熱患者を受け入れることで院内感染のリスクを抱える上、非効率的な運営を強いられて赤字に陥らざるを得なくなるという落差はあまりに理不尽なことだと思います。
このままでは、コロナウイルス感染のリスクのある患者を受け入れた病院はつぶれ、リスクのある患者を受け入れない病院ばかりが生き残るという、あってはならない事態になりかねないのです。
先日見たインタビュー記事で、聖路加国際病院の院長も述べておられましたが、コロナウイルス感染の最前線で懸命に闘っている、医療者、医療機関にこそ、政府から手厚い補助がなされるべきです(リスクのある患者を受け入れない病院を非難する趣旨ではありません)。
それに引き換え、今の安倍政権がやっていることの醜悪さは目に余ります。
アベノマスクに数百億円を無駄に費やし、金融市場ばかりにじゃぶじゃぶと金を注ぎ込み、コロナ危機のどさくさにまぎれて、検察庁法や種苗法の改正案などの不要不急かつ国民にとって有害無益な法案を国会に提出し、強行突破しようとし、さらには、コロナ対策と称して、電通やパソナ等に便宜を図り、しかも、国との間にトンネル会社らしきものを挟むことでピンハネが横行しているらしき実態までもが明るみに出ています。
私たち国民は、今こそ、しっかり目を見開き、コロナ危機に正面から対峙して損得抜きに闘っている人や機関に対してこそ、きちんとした補助、下支えがなされるように、大きく声を上げるべきだと思うのです。
これまでも繰り返し述べていますが、医療は、私たち国民にとって命を守るための欠くべからざるセーフティネットなのです。
医療事件に関わっていると、セーフティネットであるはずの医療を軽んじるような政策が続けられた結果、医療機関の経営はひっ迫し、その結果、医療現場が疲弊してしまっていると感じることがしばしばあります(それが実際の医療事故の要因となっていることも決して少なくありません)。
すでにそんな状況になっている中で、さらに、今のコロナ危機において最前線で闘う医療者、医療機関を犬死にさせていいわけがないし、セーフティネットとしての医療が健全に機能するような政策対応を真剣に考えるべき時だと思うのです。
心ある政治家の人たちがおられるなら、コロナウイルス感染に対して、身を呈して闘う医療機関が経営破綻することのないよう、そこで働く医療者の労苦が報われるよう、重点的に保障される政策に方向性を変えるべく、体を張って頑張ってもらいたいし、次の選挙では、真に国民を守るための政策を立案、実行できる人を私たちの代表者として選ばなくてはなりません。
そうしなければ、この国を支えて来た医療が変質し、崩壊しかねないと、強く危惧しています。
日々雑感~コロナ危機のどさくさに紛れてでたらめな法改正を強行しようとした安倍政権の亡国的愚行に強く抗議しますPART1
コロナ危機に対して、後手後手で不十分な対応を重ね、国内外で批判を浴びている安倍政権が、緊急性の高いコロナ危機への対応をおろそかにしたまま、どさくさ紛れにでたらめな法改正を強行しようとしました。
その内の一つは、検察官の定年延長法案ですが、ほかにも種苗法の改悪という問題があります。
それぞれ、看過し難い重大な問題を含んでおり、多くの反対意見があるにもかかわらず、また、今は何より、多くの国民の命や健康、そして経済的基盤が危殆に瀕しているといっても過言ではなく、機敏できめ細やかな対応が必須であるコロナ危機の真っただ中であるにもかかわらず、よりによってこのタイミングでどさくさ紛れに国会に上程し、成立を強行しようとしたのです。
このタイミングということ自体、国民の健康や生活を守る覚悟がないのだという意味でとんでもないことですが、それぞれの法案が、不要不急どころか、有害で亡国的なものだということがさらに大問題なわけです。
というわけで、今回は、この問題を取り上げてみます。
まず、検察官の定年延長法案ですが、この法改正の目的が、時に国家の権力者の不正をも断罪することができる検察という組織を時の為政者が牛耳るためにほかならないことは、この法改正の議論の経緯を見れば明らかです。
とりあえず、今国会での成立は見送られましたが、秋以降の成立を目論んでいる節もありますし、的外れな議論がされていると感じるところもありますので、経緯を振り返りつつ、この問題の本質を考えてみたいと思います。
この法案が出てくるきっかけは、今年の1月末の時点で、安倍政権が、「検察庁の業務遂行の必要性」を理由に、63歳を迎える東京高検検事長の黒川弘務氏の定年を半年延長する閣議決定をしたことにあります。
現在の検察トップである稲田伸夫検事総長は、今年の7月に交代時期を迎えるため、黒川氏の定年が8月初めまで延長されれば、稲田検事総長の後釜に据えることが可能になるので、そのための閣議決定ではないかとの疑念が抱かれることになりました。
そもそも、検察庁法は定年を63歳と定めており、しかも同法には定年延長の規定はないので、その点を指摘されると、安倍政権側は、定年延長の根拠は国家公務員法であると説明します。
しかし、直後、安倍政権側の説明は、かつての政府答弁と矛盾することが明らかとなります。
1981年に当時の政府が、「国家公務員法の定年延長は検察官に適用しない」と国会で答弁しており、人事院も、この政府答弁が現在も生きていることを明言したのです。
つまり、黒川氏の定年を半年延長するとの閣議決定自体、法律違反の疑いが強くなったのです。
これについて、森雅子法相は、この法解釈を変更したと強弁し、書面の存在について確認を求められると、口頭で法解釈を変更したとまで言い張り、国会の議論は当然ながら紛糾することになります。
そうした経緯の後、突如として出て来たのが、国家公務員法の改正とくっつけた形での検察官の定年延長法案だったわけで、しかも、安倍政権は、自身がコロナ危機への対応で右往左往しているその真っただ中であるにもかかわらず、唐突に国会審議にかけ、強行採決を目論んだのです。
この法案について安倍政権を擁護する意見もありますが、およそ中立公正な視点からの意見とはいえませんし、大局観を欠くものであることは明らかです。
何よりも、検察官は、裁判官と同様、国家公務員であることに変わりがないにもかかわらず、なぜ他の国家公務員と同じ扱いがなされていないのかという視点が肝心なことなのです。
検察庁法が、裁判所法と同様、国家公務員法とは別に成立し、いわゆる一般法と特別法の関係にあるのは、検察が司法の一翼を担う機関であるからにほかなりません。
かつてトマス・ジェファーソンも述べたとおり、権力が常に乱用され、国民の利益を大きく損ねることがある以上、権力の乱用を監視し、制裁を加える権限を司法が有することは、三権分立の鼎であり、司法は、立法、行政から独立した存在でなくてはなりません。
そのためには、検察の人事権が、時の政治権力に握られ、検察のトップが政治権力の言いなりになってしまうという仕組みに変えてしまうことは、三権分立の実質的崩壊といっても過言ではありません。
裁判所は、逮捕状を出すこともできますし、起訴された被告人を裁くことはできますが、それは捜査機関が令状を請求し、検察官が起訴をすることが前提であり、裁判所自体は受け身の組織なのです。
ということは、検察が、政治権力の言いなりになって、重大な汚職や公職選挙法違反などを摘発せず、起訴もしないということであれば、裁判所の出番はなく、権力者はやりたい放題になってしまいます。
安倍政権が、ここまで露骨なえこひいき人事を強行し、このタイミングで法改正にまで踏み込んだことがいかに危険なことは明々白々です。
この点、検察の独善、横暴や、いわゆる人質司法を問題にし、安倍政権側のやり方を擁護する意見もありますが、それは問題の本質を理解しないか、意図的に論点をすり替えようとするもので、明らかに間違っています。
現在の検察実務にいろいろと問題があることは、刑事事件を扱っている私たち弁護士が常々感じていることでもありますし、事務所のホームページなどで取り上げたこともありますが、検察が政治権力と一線を画することを人事権の面で制度的に保障することとは別の問題であり、別の方法で解決すべきことだからです。
たとえば、取り調べの可視化や弁護士の立ち会いを認めるなど、自白強要を抑制する方法はいくらでもありますし、人質司法といわれる身柄拘束のあり方についても、特に裁判所の実務を見直すことで変えて行くことは可能ですし、そうあるべきです。
民主党政権時代に、検察側は取り調べの可視化に抵抗していますが、検察の独善、横暴による人権侵害を防ぐための制度については、国会できちんと議論を尽くして進めて行けばよいのです。
しかし、今回の検察庁法改正は、まったく問題性が異なります。
時の政治権力の言いなりになるような検察がいかに危険なことか、それを実現しようとした、腐敗した安倍政権の目論見が如何に亡国的な愚行であるかは明らかです。
ただ、それに対して多くの国民が声を上げ、ひとまずということではありますが、この亡国的愚行を阻止できたことは本当に意味のあることだと思います。
関連しますが、この問題で、小泉今日子さん、浅野忠信さんら多くの芸能人の方々が声を上げたことを批判する人もいますが、とんでもないことです。
一人一人の国民が、政府の横暴に対して声を上げることは当然の権利ですが、芸能人の方々に対してとても失礼な批判であるとも思います。
実際、芸能界に身を置かれる人たちは、テレビを含むマスコミ、スポンサー、芸能プロダクション、広告代理店などの力関係に翻弄され、芸能プロダクションとの契約関係でも不利な立場に置かれる等、いろいろな意味で世の中の不合理、不公正と向き合わざるを得なくなることが多いはずであり、それゆえ、社会の仕組みや政治のあり方について関心を強く持つようになる比率は他の領域に属する方よりも必然的に高くなってしかるべきだからです。
また、その一方、芸能人が時の政府の方針に反対するような政治的意見を述べるということは、テレビ、スポンサー、芸能プロダクション、広告代理店などの不興を買う危険があり、また人気商売でもあるため、視聴者からの心無いバッシングを受ける危険もあるわけで(最近は特にインターネットでの匿名のバッシングがエスカレートするという恐ろしさもあります)、下手をすると、あっという間に仕事や居場所を失いかねないリスクと背中合わせなわけですから、種苗法改正に疑義を唱えた柴咲コウさんや、芸能人の人権、芸能文化を守るために声明を出された西田敏行さんらも含め、今回のコロナ危機以降に、芸能人の人たちが公的に声を上げるということは、本当に勇気の要ることだと思います。
ですので、今回の芸能人の方々の勇気ある行動に対しては、まず心より敬意を払うべきだと思いますし、仮に個々の意見については違った考えを持っておられるとしても、私たち視聴者は、声を上げた芸能人の方々が、今後居場所を失うことがないよう、しっかり応援してあげなければいけないと強く思うのです。
最後に、今回、いったんは強行裁決を断念しましたが、安倍政権は、検察官の人事権を牛耳るための法案成立をあきらめていないようです。
しかし、国民の権利を守る最後の砦である司法の崩壊を招くことが確実な悪法の制定を決して許してはいけません。
あと、そもそも、定年延長ができないのに、定年延長の閣議決定をしてしまったくらいですから、より巧妙な形で実質的に検察の人事に手を突っ込んで来ることも十分にあり得ることです。
ですので、そうした脱法的な手法で司法を骨抜きにしようという企みについても、引き続き監視し、声を上げなくてはいけないと思います。
長くなりましたので、種苗法の改悪の問題はPART2で取り上げます。