医療事件のお話~電子カルテの証拠保全はここが重要!
これまで、電子カルテの問題については、本ホームページでも何度も取り上げていますが、医療事件を扱っていると、電子カルテの問題についてはできるだけいろいろな形で取り上げる必要があると感じます。
正直、電子カルテの記載がどこまで真実を書き記したものか、疑問を感じることも少なくはないのですが、医療事故の真相解明の調査において、カルテ類の入手抜きではお話になりません。
カルテの入手方法としては、証拠保全以外に任意のカルテ開示請求という方法があり、こちらのほうが簡便ではあるのですが、実際にはそれでは不十分だと感じることのほうが多く、カルテの大部分があるにもかかわらず、結局、証拠保全の手続を取らざるを得ないこともしばしばです。
したがって、依頼者の方が任意開示で取り寄せたカルテ類が資料として十分なものかどうか、それ以上に証拠保全が必要かどうかを検討することは、私たちにとってはほとんど習性のようになっているわけです。
任意開示によって入手した電子カルテの場合、漏れてしまいがちなのは、カルテの記載の更新履歴の部分、看護師作成のバイタルの経過メモや、患者への説明文書などのように別に紙ベースで作成されたもの(電子化されて取り込まれるはずですが、漏れているケースもあります)といった類のものです。
こうしたものがべつにありそうで、かつ事案を検討する上でそれが重要である可能性が多少なりともある場合には、手間と費用の問題はありますが、証拠保全手続の実施を検討すべきと思います。
ところで、前にも取り上げましたが、電子カルテの証拠保全は、紙カルテの証拠保全とは違った点があります。
申立段階の手続そのものは同じなのですが、現場でのやりとりがまったく異なります。
電子カルテの場合、パソコンの中(正確にはデータベースの中)にほとんどの記録が入っているので、その中にある、当該の患者さんの記録全てをアウトプット(出力)してもらわなくてはならないわけです。
従前の紙ベースのカルテですと、カルテの記録の束を持ってきてもらい、チェックをしながら、カメラマンに写真を撮ってもらうというやり方でしたが、電子カルテではそのような保全方法は採りません。
保全手続を進めるにあたって基本的に怠ってはならないのは、出力画面において出力されるデータに漏れがないかどうかを確認することです。
その際、特に重要なことは更新履歴の出力です。
不都合な記載を書き換えてしまっていることだってあり得ますし、重要な記載が埋もれてしまっていることもあるからです。
もちろん、遠視カルテシステムは業者によって仕組みが違っており、中には特殊な電子カルテもあり得ますので、実際に印字されたデータを確認しながら、出力に漏れがないかどうかを二重チェックします。
さらに、前述したように、紙ベースのデータが別に保存されている可能性もありますから、その点の確認が必要となりますし、画像検査のデータは別に出力されるので、医師記録と照合しながら、やはり漏れがないかどうかを確認しておいたほうがベターです。
あと、証拠保全手続は裁判所が主導するものですが、裁判所は、基本的に出て来たものをチェックするだけで、対象とされるべきものに漏れがないかどうかといった点まではチェックしてくれません。
一期一会の手続ですので、漏れがないかどうかは、患者側の代理人がしっかりチェックするしかないのです。
最近、医療過誤をわりと多く扱っていた知り合いのある弁護士が、「電子カルテの保全方法がよくわからないので今は扱わなくなった」というようなことを言っておられたのですが、いくつかポイントを押さえさえすれば、そんなに難しいことではりません。
なお、以前だと、証拠保全にプロの写真屋さんを同行していたのですが、電子カルテになり、しかもデジタルカメラの時代になると、プロの写真屋である必要はなく、むしろ、電子カルテやパソコンの仕組みに詳しい方に同行いただくほうが現場での作業がスムーズに進みますし、漏れがありません。
裁判所の補助者という扱いにはなるのですが、当事務所の場合だと、こちらが電子カルテやパソコンの仕組みに詳しい方を指名して裁判所の了承を得て同行いただいております。
以上、留意すべき電子カルテの証拠保全のポイントでした。
参考にしていただければ幸いです。
日々雑感~「ボヘミアン・ラプソディー」鑑賞記
話題の映画「ボヘミアン・ラプソディー」を観て来ました。
リアルタイムでクイーンのファンだった私ですが、そういうことを抜きにしても、本当に素晴らしい映画でしたので、久々に映画の感想を書いてみたいと思います。
実は、映画鑑賞に先立ち、とある避け難い事情があって、偶然、クイーンの名曲「キラー・クイーン」をカバーして演奏するという羽目になり、ちょっとの間ですが、仕事の合間に「キラー・クイーン」を聴きまくるという生活をしておりました。
しかも、その間には、生まれて初めて体にメスが入るという経験も重なり、なんだか大変な時期で、「いったい自分は何をやっているのだろうか?」と自問自答する日々でもあったわけです。
「キラー・クイーン」の演奏も何とか終わり、手術も無事終えたところで、待望の映画鑑賞と相成ったのですが、期待にたがわない最高の映画(&ライブ)体験でした。
あちこちで紹介されている通り、この映画は、クイーンの歴史を、リードボーカリストだったフレディー・マーキュリーを中心に描いた作品であり、彼の45年間のドラマチックな人生が重ねて投影されていることによって、映画そのものも非常に感動的な内容となっているわけです。
あちこちで指摘されているとおり、時系列的なところで史実とは違うなと感じるところもありますし、その脚色が納得できない人もいるのかもしれませんが、個人的には観ていてまったく気になりませんでした。
映画の流れが自然だということが一番ですが、まったくの第三者が作ったものではなく、フレディーをそばで見ていたギタリストのブライアン・メイとドラマーのロジャー・テイラーが中心になって作ったものですから、フレディーの心情がリアルに映し出されているはずで、それが何より大切なことのように思えたからです。
まあ、その他、諸々ありますが、この映画についてはあちこちに詳しい批評が出ていますので、興味のある方はそちらを見ていただくとして、以下は個人的な思いを書いてみようと思います。
クイーンはデビュー時から聴いてはいましたが、衝撃を受けたのは、「キラー・クイーン」を聴いた時でした。
フレディーのフェロモンたっぷりのボーカルと、それまでおよそ聴いたことのないような独特の艶のあるブライアンのリードギターが絡み合い、微妙にタイミングをずらすような曲調と合わさって、ぞくぞくしたのを覚えています。
今回、あらためて「キラー・クイーン」を聴きまくった時にも実感したのですが、この曲は絶対にノリや即興ではできない、でもって出来上がった曲の完成度は非常に高いという、本当に不思議な魅力に溢れた曲だし、これを作ったフレディーやクイーンのメンバーの才能は、やっぱりすごいと再認識したのです。
残念ながら、映画の中では「キラー・クイーン」の制作秘話は語られていませんが、「ボヘミアン・ラプソディー」を作った時のように、作り上げられる過程においては、メンバー間でクリエイティブなバトルが繰り広げられたに違いないと思うのです。
ちょっとネタバレになりますが、映画の中で、フレディーがソロになり、そして再びクイーンとして活動を再開するときに、その動機を語るシーンがあります。
キーワードとしては「不協和音」ということになりますが、メンバー間の不協和音が、「キラー・クイーン」や「ボヘミアン・ラプソディー」等の名曲を生み出す重要な動力源になっていたのかなと感じました。
それはたとえば、ビートルズのポール・マッカートニーと他のメンバーの確執があって、「アビーロード」という傑作アルバムが出来上がったことであるとか、解散寸前のサイモンとガーファンクルが「明日に架ける橋」という名曲を生み出したこととかとも一脈通じるようなところがあって、優れたクリエイター同士の我のぶつかり合いによって、創造性に溢れた作品が生み出されるのではないかと思うのです。
ちょっと話が逸れましたが、映画には、生涯、彼を支えたメアリーという女性が登場します。
映画の中では、彼女との関係が変化していく中で「ラブ・オブ・マイ・ライフ」という曲が使われているのですが、非常に示唆的です。
実は、クイーンの曲の中で最も好きな曲の一つで、「ボヘミアン・ラプソディー」が入っている「オペラ座の夜」というアルバムの中の一曲です。
普通に訳すと、この曲のタイトルの「ラブ」は、「愛する人」となりそうですが、この映画での使われ方もそうですし、フレディーの生きて来た過程を振り返ってみても、ここでの「ラブ」の意味は「愛する人」ではなく、「愛そのもの」なのではないかという気がしてきます。
つまり、愛する人が去ろうとしていることを悲しむ歌ではなく、彼にとっての「愛」という概念が変化して行くことへの恐れや葛藤を歌ったものではないかと思えるのです。
それだけ、フレディーは、内面で苦しみ、それを最初の内は、他人には分からない形で表現するようにしていたのではないでしょうか。
そう考えると、同時期に作った「ボヘミアン・ラプソディー」の歌詞の中にある「killed a man」も別の意味に捉えることができるのかもしれません。
フレディーが次々と、心を揺さぶるような名曲を生み出し続けることができたのは、彼がそうした葛藤の中で生きて来たことと決して無関係ではなく、まさにそうした苦しみこそが名曲が生み出される源泉になっていたのではないか、映画を観ていてつくづくそんなことを思ってしまいました。
この映画は、当初の予想をはるかに超えて大ヒットしており、すでに日本だけでなんと70億円以上の興行収入をたたき出しているそうですが、リピーターの多さも特徴のようで、確かに何度でも「映画館で」観たくなる映画です。
特にこの映画の場合、映画館で一緒になって歌ったりできるという応援上映というのがあるそうなので、今度はぜひ応援上映のある映画館で鑑賞したいと思います。
同じ映画で複数回映画館に足を運ぶのは、「この世界の片隅に」以来となりますが、「ボヘミアン・ラプソディー」は、(音響の良い)映画館で観ることで感動が2倍、3倍になるに違いない作品なので、DVD発売を待つのではなく、興味のある人は、映画館に足をお運びあれ!
2019年 年初のご挨拶
新年あけましておめでとうございます。
今年も、所員一同、お引き受けた事件に誠実に取り組むとともに、様々なご相談にきちんと応えられるよう、研鑽を怠らず、力を尽くしてまいります。
また、安倍政権のもとで、不公正ででたらめな制度が次々と実行に移され、真面目に働く人たちの実質賃金は下がり続ける一方、一部の富裕層のみが巨万の富を形成できるような社会となり、国民の貧富の差が拡大しています。
そのことは、間違いなく、私たち弁護士が扱う事件にも暗い影を落としているように感じます。
世の中が良い方向に向かうよう、日々の業務を通じて、微力ながら力を発揮してまいりたいと考えております。
では、今年もどうかよろしくお願い申し上げます。
事件日記~「頑固な」神経症状
とかく、法律用語というとお固いものが多いイメージですし、実際そのとおりなのですが、時々、何だかよくわからないような言葉や、普通に使うのとは全然ニュアンスが違っているような言葉が紛れ込んでいたりします。
「頑固な神経症状」というのもまさにそれにあたります。
しかも、この「頑固な神経症状」という言葉は、実務上よく使われるもので、弁護士の会話の中にもしばしば登場します。
というわけで、今日は「頑固な神経症状」にまつわるお話です。
頑固といってすぐに思い浮かぶことというと、「頑固おやじ」ではないかと思うのですが、その意味するところは、言い出したら人の言葉に耳を貸さない、偏屈なというあたりでしょうか。
一方、「頑固」という言葉は、交通事故や労災、医療事故などの後遺症の判断の中で、かなり重要な意味を持っています。
正確な表現としては、後遺症等級表の12級13号には「局部の頑固な神経症状」というものがありますが、はっきり「頑固」と書かれています。
つまり、れっきとした後遺症の認定の重要な要件の一つなのです。
しかも、同じ等級表の14級9号には、「局部の神経症状」という記載もありますから、神経症状が頑固かどうかによって、後遺症の等級が変わってくることになり、「頑固」か否かは後遺症認定の上で、時に決定的な意味を持ちます。
ちなみに、労働能力喪失率を対比しても、14級は5%、12級は14%ですから、3倍近い違いがありますし、判例などでは、神経症状が14級の場合、労働能力喪失期間もより短めに評価する傾向がありますので、その差はもっと大きいとも言えます。
「頑固」が法律的な用語として相応しいかどうかはともかく、言葉のイメージからは、「頑固」とは、一見、症状が強いとか、しつこいとかいったような意味に捉えられそうですが、全然違います。
ここにおける「頑固か否か」の判断は、神経症状を裏付ける他覚的所見があるかどうかによって決せられます。
つまり、レントゲンなどの客観的な検査によって確認できるかどうかということです。
頚椎ねんざに限らず、痛み、痺れ、知覚異常といった症状は、当事者の方にはつらいものであっても、第三者にはなかなか理解してもらえないものですし、さらに、それを客観的に証明しろといわれても、現実にはそうそう容易なことではありません。
最近、当事務所で扱っている交通事故や医療過誤事件でも、そうした神経症状の他覚的所見をどうやって得るかということで頭を悩ませる局面が増えています。
整形外科医の方にうかがうと、以前はレントゲンで診断していたけれど、今はCT,MRIで客観的に診断可能なケースも増えて来たそうです。
しかし、さらに悩ましいのは、レントゲン、CT、MRIといった画像所見によって証明できない場合も非常に多いということです。
そうなると、諦めて14級の後遺症認定を受け入れるか、別の方法による証明を考えるかということになります。
この別の証明方法として、しばしば用いるのが、たとえば、末梢神経に関する神経伝導速度検査、筋電図検査等の検査です。
電気刺激を与えたりしながらその波形を記録するなどしたもので客観的な証明となるものですので、もし、神経症状があるのに、なかなか認められないで困っておられる事故の被害者の方がおられたら、ぜひこれらの検査が可能かどうかを掛かっている病院の主治医に相談されてみてはいかがでしょうか。
どこでもやっているというわけではありませんが、明らかに痛みやしびれ、知覚異常といった症状が続いている方であれば、受けてみる価値はあると思います。
実際の事件でも、つてを頼って、その種の検査をわざわざ別の病院で受けに行ってもらい、「頑固」の証明ができたものがあります。
ぜひ、ご検討ください。
事件日記~今、超高齢化社会で起きていることとその対策
現在、葵法律事務所の弁護士は、全員が成年後見人(判断能力の低下によるのですが、保佐人、補助人も含みます)に就任して、活動していますし、高齢者の方が依頼者、当事者となっている様々の領域の事件も扱っております。
そうした中で、個々の事件の経緯をうかがったり、また、高齢者の介護に関わる方などともお話し、さらに調査を行う中でいろいろと見えて来るものがあり、また、正直、今の高齢者がないがしろにされている社会に対して憤りを感じることもありますので、ちょっとそのことについて取り上げてみます。
以前、障害者の福祉に関わる人から言われたのは、人間が年老いるということはすなわち障害を負うことにほかならない、つまり、今目立った障害のない人だって障害者予備群なのだから、みんなもっと障害者の福祉の問題に関心を持つべきだということでした。
しかし、現実の社会においては、多くの人はそうしたことに無関心か、あるいは関心があってもどこか他人事であるようにピンと来ない人も多く、そうして過ごしているうちに、この国では世界に前例のないほどの急激な高齢化が進み、超高齢化社会がやってきてしまいました(もっとも、こうなることは統計上十分に予測できていたことで、1970年代の社会政策の基本書にも書かれていました)。
さらに、ほぼ同時に進んだ核家族化、少子化によって、大都市のみならず、日本のあちこちで独居老人が増え、老々介護による共倒れのようなニュースもあとを絶たない状況となっています。
このような社会状況の変化は、当然ながら、私たち弁護士が関わる領域にも大きな影響を及ぼすわけで、弁護士は、様々な局面で、超高齢化社会の現実に向き合うことになるのです。
それはたとえば、最初に挙げた後見人の業務の増大だけでなく、離婚事件であったり、遺産相続の問題であったり、高齢者の住居の確保の問題であったり、生活保護の問題であったりと、本当に様々なのですが、特に強く憤りを感じるのは、高齢者を標的にするような詐欺事件や悪徳商法の類があとを絶たないというか、多様化し、増大しているということです。
もはや言葉として定着した感のある「振り込め詐欺」だけでなく、悪質な「リフォーム詐欺」もあちこちで頻繁に起きています。
ある後見事件を引き受けるきっかけとなったのは、本来経済的にゆとりのある親戚の80代のおじいさんがお金の無心をしてくるので、おかしいなと思って家を訪ねたら、シロアリ駆除のための工事の契約書がたくさん出てきて、しかも、業者が毎年金支給日にやってきては、支給された年金を根こそぎ持って行っていたことがわかったからでした。
まあ、現在、裁判として扱っている事案ですが、「原野商法の二次被害」という類型もあります。
よくあるパターンとしては、若い頃に騙されて購入した「原野」を自分が死ぬ前に何とか処分しておいて子供たちに迷惑をかけないようにしたいと気に病んでおられる高齢者の心理につけこみ、「土地を売ってほしい」「うまく処分してあげる」等といって近づき、そのために必要だとか、税金対策だとか言いくるめて、逆に別の二束三文の不動産を売り付け、虎の子の預貯金を根こそぎだまし取るという手口です。
実際、栃木県の那須塩原市のホームページ上でも「原野商法の二次被害に注意してください」という注意喚起がされていますし、受任中の事件で、依頼者の方が騙されて高価で買わされた複数の不動産の登記簿謄本を取ってみると、いずれの不動産も、ここ何年かで頻繁に移転登記がされていたりしますから、そこに名前の出てくる人はみんな被害者ということになるのだろうと推測されます。
高齢者の福祉政策の貧困な日本社会で暮らす市井の人たちが老後のために真面目にこつこつと貯めた預貯金をだまし取るなんて許しがたいとしかいいようがありませんし、国の無策に対しても憤りを禁じえません。
これらの高齢者を狙った「特殊詐欺」については、たとえば70歳以上をターゲットにした詐欺については、悪質性にかんがみ、たとえ下っ端で金の授受に関わっただけの人間であっても、通常の詐欺よりも厳重な処罰を課するような刑法改正がされるべきではないかとさえ思うのです。
そんなこんなで、そうした事件に関わる機会が増えて行くと、本当に気が滅入ることもあるわけですが、現実がそうである以上、早い段階から、そうした「詐欺」に引っかからないような対策を立てておく必要があるということも痛感します。
何せ、今の日本社会は、決して高齢者、障害者に優しいとはいえない、権力を持っている側が、何もかもを「自己責任」と言いくるめて頬かむりをしているとしか言いようがないほどの、切り捨て型の社会になりつつあるからです。
対策の一つとして挙げられるのが、前にもこのホームページで取り上げたことのある「任意後見契約」の利用ですが、そもそも論ということでいえば、高齢化に備えるための情報収集をもう少し若い段階で行っておくことが必要だと思いますし、それと同時に、迂闊に個人で判断しないようなネットワーク作りであるとか、お金の管理を信頼できる機関などに任せるなどの工夫も必要といえるでしょう。
ある依頼者の方は、振り込め詐欺対策で、自宅の固定電話を外したとおっしゃっていましたが、そこまでしないといけないのかと思いつつ、妙に納得してしまったほどです。
そんな中、先日、ある施設のケアマネージャーさんともお話をしたのですが、実際に、判断能力が衰え、いろんなトラブルに巻き込まれたり、病院や施設などの手当てが後手後手になるということが多いそうで、やはりその前に、高齢化に備えて何をしておくべきか、一人一人がそのような情報や知識を得ておくことが大切だと痛感するとおっしゃっておられましたし、できれば、弁護士による勉強会のようなものをおこなってもらえればというような申し出もありました。
私たち弁護士も、個々の事件で経験した実例や判例、法制度を含めた情報をもっとしっかりと提供して行かなければならないと思っていますので、事務所としても、今後、福祉関係の方からの申し出があれば、ぜひ協力させていただきたいと思っております。
補足ですが、任意後見契約を締結する際に、あわせて間違いなく信頼できる方に財産管理を任せる委任契約を締結し、通帳は貸金庫に入れて管理してもらうなどして、手元のお金は月々必要なものだけにしておき、大きなお金の移動についてはダブルチェックができるようにしておくというような工夫も有効かと思います。
とにかく備えあれば憂いなしということで、お元気なうちに虎の子の資産を騙し取られないような手立てを取っておかれるようにしていただければと思います。