医療事件日記~腕まくりをする医者
またもや大腸癌絡みの医療事故のお話です。
ある年配の男性が腹痛を訴え、「急性腹症」ということで、とある総合病院に入院します。
まだ若い消化器内科の医師が担当医となったのですが、その医師は、腹部超音波検査を実施した上で尿管結石の診断を下します。
結論から言うと、これは誤診で、実際には大腸癌由来の腸閉塞(イレウス)だったのですが、この誤診はその後の治療方針に重大な影響を与えることになりました。
というのは、尿管結石の場合、消化管は関係ないですから、食事摂取もOKだし、水分に関してはむしろ積極的に多く摂るようにとの指示が出たのです。
しかし、実際には、大腸癌由来のイレウス、つまり、腸管の通過障害が起きているわけですから、そこに摂取した食物や水がどんどん入り込んで来れば、腸管がさらに拡張し、イレウスは悪化することになります。
もちろん、大腸癌由来のイレウスの場合は、癌が腸管を塞いでいるので、保存療法ではなく、癌の切除を行わなければ、腸管の通過障害は解除されないことはいうまでもありません。
とにかく、腸管の減圧が必要な状況であるにもかかわらず、絶食、絶水をしなかったことで腹痛が増強したため、患者の男性は我慢できなくなって、担当医に対し、「尿管結石なんかじゃない。痛いのはお腹だからちゃんと調べてくれ」と訴えたのです。
しかし、その医師が患者の訴えを聞き入れません。
そして、さらに患者の言いように腹を立てたのか、医師は、腕まくりをしながら、「あなたは医者のいうことが聞けないのか。ならば、さっさと退院してくれ」と言い放つのです。
その時は、そばにいた家族や看護師がいったん取りなしてその場を収めますが、患者本人は、痛み止めは効かないし、お腹が張って苦しいこともあって、結局、「こんなところにいたら殺される」と看護師に言い残して勝手に退院したのです。
患者は、その足で隣の市の病院に行き、検査を依頼します。
その病院でレントゲン検査をしてみたところ、明らかなイレウス所見があり、さらに注腸造影検査を実施したところ、大腸癌があることが判明します。
つまり、患者の腹痛の原因は、尿管結石などではなく、大腸癌によるイレウスだったわけで、前の病院の医師の診断が完全な誤診だったことが明らかとなったのです。
この誤診の非常にまずいところは、尿管結石は食事摂取が問題ないばかりか、水分に至っては積極的に摂っていいという方針になるわけで、腸管減圧のため、絶食、絶水が必要となるイレウスの場合とは治療方針が真逆になるという点です。
このように、急性腹症で来院した患者につき、時に的外れな診断を行い、それに固執して、誤った診療方針を立て、適切な治療の機会を失するという事例には時折り出くわすのですが、まさに本件は、急性腹症患者に対し、安易に決めつけるのではなく、慎重に鑑別診断を行うことがいかに大切かを示す典型例といえます。
イレウスでは、立位のレントゲンを見れば、ほとんどの場合、ニボー(鏡面像)という半楕円形のようなガス像が確認できます。
それが大腸癌によるものか、癒着など別の原因によるものかの鑑別についてはさらに大腸内視鏡や注腸造影検査といった検査が必要となりますが、絶食、絶水が必要か否かの判断はこのレントゲン検査の時点でつけられるわけです。
また、本件で、次の病院で実施された注腸造影検査では、アップルコア(リンゴの芯)サインと呼ばれる、進行大腸癌でよく見られる典型的な画像が造影されています。
ちなみに、あとで、この腕まくりをした医師が尿管結石と診断したエコー検査画像を専門医に見てもらいましたが、尿管結石らしき所見はまったく見当たらないとのことでした。
医療過誤を扱っていて常々思うことなのですが、命や健康に関わる医師という仕事は、本当に大変だし、尊敬されるべき職業であることは間違いありません。
しかし、それだけに、とりわけ患者と向き合う臨床現場においては、慎重さと勤勉さ、医学や患者の訴えに対する謙虚さ、途中で診断や方針を見直す柔軟さといった様々なものが求められる、そういう重い仕事なのだと、つくづくそう思うのです。
医療事件日記~研修医と医療事故part2
以前、本ホームページにおいて研修医による医療事故について取り上げたことがありますが、その後も、立て続けに研修医による医療事故に遭遇していますので、改めて研修医の問題を取り上げてみようと思います。
前にも書いたことですが、どのような医療機関であれ、経験の浅い研修医に診療に関する重要な判断を単独でさせてはならないし、必ず上級医が指導、チェックしなくてはならないことは当然のことであるはずなのに、最近遭遇した症例でも上級医による指導、チェックがなされた形跡はありませんでした。
その内の1件の方でカルテを検討していた時のことなのですが、カルテの医師記録部分の、医師名の前のところに「J1」「J2」と書かれていました。
一瞬、サッカーのJリーグみたいだなと思ったのですが、調べてみると、研修医としての経験年数を意味する表記でした。
つまり、その病院における「J1」とは前期研修医の1年目という意味で、「J2」とは前期研修医の2年目を意味するものでした。
となると、Jはジュニアの意味なのでしょうか?
それはともかく、以前、取り上げた事件の場合は、後期研修医、つまり、すでに前期研修の2年の経験を経た3年目以降の医師による事故でしたが、今回の事故は、さらに経験の少ない1~2年目の新米医師の関与によって引き起こされたことになります。
ちなみに、この「J1」「J2」とカルテに表記されていた医療事故がどのようなものかというと、敗血症という診断がなされているにもかかわらず、バイタル監視のためのモニターも設置せず、その後の急変への対応が遅れてしまって患者さんが亡くなられてしまったという症例です。
医師にとっては基本的なことですが、敗血症では、感染により全身に多様な所見が現れますし、ショックなど、敗血症から生じる合併症によって死亡に至る危険性も高いことから、抗生剤を投与しつつ、呼吸、脈拍、体温などを厳重に管理しなくてはならないとされています。
したがって、モニターを装着し、血圧、脈拍、呼吸などを経時的に観察するとともに、尿量のチェックや動脈血液ガス分析などを頻回にチェックし、病態の変化に応じた適切な対処をしなくてはいけないわけです。
しかし、研修医レベルでは、知識としては持っていても、臨床現場でなすべきことが身についているとは限りませんし、容態の変化に対して臨機応変に対応するための経験値も、ベテランの医者に比べれば当然乏しいわけです。
ですので、研修医に任せきりにしたこと自体を、ただちに法的な過失と評価することは難しいかもしれませんが、事故を引き起こす重大な要因となっていることは十分にあり得るわけだし、本質的な問題だと感じるわけです。
ちなみに、先日、別の記事で触れた大腸癌の見落としの事故も、実は重要な局面に研修医が関わっていましたし、ほかにも研修医と思われる若手の医師に任せきりで急変に対処できなかったという症例があります。
話を戻しますが、このように立て続けに研修医絡みの症例を目にすると、やはり単なる巡り合わせとはちょっと考えづらくなります。
前の記事でも指摘しましたが、人件費削減のためなのか、あるいは人材の確保が大変だからなのか、本当のところはよくわかりませんが、医療現場における構造的な問題があるのではないかと思いますし、実際、そのようなことを指摘した臨床医の方の記事を目にしたこともあります。
誤解ないように申し上げておきますが、研修医が診療行為を行ってはいけないなどと言っているわけではありません。
若い医師が経験を積むことは大切だからです。
しかし、患者の命を預かっている以上、重要な判断を経験の乏しい研修中の医師に任せきりにしてはいけないのはこれまた当然のことで、上級医の指導、チェックを怠らない仕組みにしなくてはいけないと声を大にして言いたいところです。
私が目にしたその記事の中でも、研修医は使い勝手がいいということで、いろんな雑用をさせられているといったことが書かれていました。
医療現場の実状として、研修医を戦力として位置づけざるを得ない実態があるのかもしれませんが、そうした発想が当たり前になると、研修医にやらせていいこととそうでないこととの境界線がより曖昧になり、事故につながる危険がより高くなるのではないでしょうか。
それともう一つ思うことなのですが、患者を任せきりにされた研修医がミスを犯してその患者を死亡させたりすると、その研修医はその負い目をずっと感じ続けなくてはならなくなりますし、もしかすると、医師という仕事を続けられなくなるかもしれません。
以前、ある協力医からうかがったことですが、後輩の医師が、自分が犯した医療事故のことでメンタル的に病んでしまい、病院を辞めてしまったということもあったそうです。
まだ若く経験の浅い、将来のある医師にそうした負い目を感じさせないようにするためにも、研修医が単独で難しい判断を強いられない仕組み作りを徹底することはとても大切なことなのだと強く感じます。
あと、研修医の方々にとっても、判断に迷う時は、臆することなく上級医の指示を仰ぐ勇気や覚悟を持つことは本当に大切なことと思います。
病院の内部事情もあって、もしかしたら上下関係で撥ねつけられることがあったりするのかもしれませんが、患者の命を預かっているのだから経験豊富な医師の判断が必要だと踏ん張ることが、患者にとっても研修医の方にとっても良い結果につながるに違いないので、ぜひそうあってほしいと思うのです。
実は、研修医絡みの医療事故についてはまだいろいろとありますので、いずれまた取り上げてみたいと思います。
日々雑感~衣笠祥雄さんの訃報に接して
先日、このホームページ上の「医療事件日記」で、「大腸癌による死亡者数が増えており、上部大腸癌は自覚症状に乏しく、発見が遅れがちとなることが、その要因の一つではないか」という記事を掲載させていただいたばかりですが、その直後に、元広島カープの選手で、「鉄人」と呼ばれた衣笠祥雄さんが上行結腸癌で亡くなられたという訃報に接することになってしまい、広島カープの大ファンでもある私は、非常にショックを受けました。
とても悲しいニュースではあるのですが、在りし日の衣笠選手のことについて書かせていただきたいと思います。
大のカープファンである私は、昭和50年のカープの初優勝も一昨年の25年ぶりの優勝も球場でその瞬間を見届けています。
優勝決定試合を両方とも見ているという人はさすがにそんなにはいないはずであり、そのことは、かつて前田智徳さんとも一献傾けさせていただいたことがあるという思い出ととともに、カープファンとしてのささやかな自慢話でもあります。
ところで、衣笠選手がいかに魅力的な選手だったかということについては、とても短い文章では語り尽くせません。
報道などでは、衣笠選手といえば、まず初めに連続試合出場の世界記録のことが言われたりします。
しかし、何より凄いのは、踏み込み、フルスイングをすることをモットーとした打撃スタイルでありながら、連続試合出場を継続できたということなのです。
亡くなられた後の追悼の記事をいろいろ読んでみましたが、衣笠選手の大ファンだった私からすると、「分析が甘いな、彼の本当の凄さをわかってないな」というのが、ちょっと偉そうですが、率直な感想です。
実は、衣笠選手が受けた通算デッドボール数は歴代3位なのだそうですが、そこに衣笠選手の凄さを示す鍵があります。
そもそも、衣笠選手は踏み込んで打つというスタイルですから、デッドボールを食らう危険は、踏み込まない、あるいはややオープンスタンスで打つ選手に比べれば圧倒的に高いということがいえます(現役晩年の長嶋茂雄選手や山本浩二選手もどちらかといえばオープンです)。
140キロ以上の剛速球がコントロールミスで体の方に来ることもあるし、右投手のシュート系、左投手のスライダー系のボールであれば、当然体の方に食い込んできます。
どんなボールが来るかわからない中で、踏み込んで打つという打撃スタイルでバッターボックスに入るということは、自ずとデッドボールを受ける危険が高いことになるわけで、試合を積み重ねればデッドボール数が増えるのは当然であり、にもかかわらず、連続出場が続けられたということは、衣笠選手が、試合に出られなくなるほどの致命的なデッドボールをほとんど受けなかったことを意味するわけです(確か一度だけデッドボールで骨折したことがあり、その翌日も試合に出ていて、それはそれで凄いことなのですが)。
では、衣笠選手が踏み込みながら打つというスタイルを続けながら、なぜ致命的なデッドボールを食らわなかったかというと、それは衣笠選手の類まれな身体能力(非常に柔らかい筋肉だったそうです)に加え、デッドボールを避ける技術を身に着けるための練習をしっかり行っていたからだと聞いたことがあります。
実際、彼のデッドボールの避け方は、本当に巧みでした。
踏み込んで打ちに行きながら、体の方に向かってくるボールに即座に反応し、のけぞって倒れながら避ける技は曲芸みたいだなあと思ったこともあります。
つまるところ、プロとして試合に出続けるためにはデッドボールが致命傷にならないような技術を磨くことが必要だということでハードなトレーニングに取り組んでいた意識の高さにこそ、衣笠選手の凄さの秘密があったのではないかと思うのです。
プロを標榜する以上は、それに見合う研鑽を積まないといけないということはどの世界でも同じだと思うのですが、決して体格には恵まれていないにもかかわらず、努力を重ね、フルスイングを続けて通算ホームラン数などで超一流の結果を残し、さらにその温厚な人柄から多くのファンや選手仲間から愛された衣笠祥雄さんは、本当に素晴らしい超一流のアスリートでした。
今は心からご冥福をお祈りしたいと思います。
医療事件日記~大腸癌のお話
ここのところ、消化器系の事件、中でも大腸癌の医療事故に関する相談案件がかなり多くなっているように感じます。
巡り合わせということでもあるのかもしれませんが、それだけではないという気もしています。
実際、癌に関する統計を見ると、大腸癌による死亡者数は、男性では3位、女性では1位となっていて年間で約5万人にもなっているからです。
しかも、統計の推移を遡ってみると、胃癌や肝臓癌の死亡者数が減少しているか横ばいとなっているのに対し、大腸癌の死亡者数は明らかに増加傾向を示しています。
癌に関する検査技術も治療方法も大きく進歩している中で、なぜ同じ消化器系の癌である胃癌が減り、大腸癌が増えているのか、そして患者としてはどういったことを注意すべきかについてちょっと述べてみたいと思います。
大腸癌増加の理由としてよく言われるのは、食の欧米化です。
肉や乳製品の消費が増え、食物繊維の摂取が減るといったことが影響しているというのですが、ハワイに移住した日本人の発症率が高いという報道などもありますし、老廃物が溜まる臓器である大腸における疾患ということからすると、やはり、この食習慣の変化の影響は確かに大きいのでしょう。
それ以外にも、たとえば、日本人の寿命が延びているために、消化器系の癌の発症率が上がっている、あるいは、ストレス社会の影響といった指摘もあります。
ただ、一方で、胃癌の死亡率が低下しているわけですから、同じ消化器系である大腸癌の死亡率が上昇しているのは何故なのでしょうか?
まず、大腸癌の場合、比較的自覚症状が乏しいので、発見が遅くなってしまう場合があるとされていますし、患者の立場からしても、胃カメラに比べ、大腸内視鏡は検査として、手軽にはできないところがありますので、そうした影響もあるのかもしれません。
ところで、日本人の場合、大腸癌の好発部位は直腸からS状結腸移行部あたりとされているのですが、ちょっと以前に見た医療に関するニュースによると、結腸癌が増えて来ているというデータがあるそうです。
この内、直腸癌の場合は、日常生活においても、便秘と下痢を繰り返すという自覚症状が現れやすく、検便で便潜血反応が出やすいことなどもあって、そこから直腸鏡検査が実施されるという流れで、比較的早期に発見されやすい癌といえます。
一方、上行結腸や横行結腸などの上部大腸の部位にできる癌の場合は、自覚症状も乏しいことが多く、便潜血反応も出にくいということもあるので、下部大腸に比べて、大腸内視鏡検査を受けるという流れに乗りにくく、そのため、癌の発見が遅れがちとなる可能性があります。
そういえば、最近、相談を受けた大腸癌の症例は、上部結腸癌が多いと感じていましたが、もしかすると、上部大腸における癌の発生率の上昇が、大腸癌の死亡率の上昇に相当程度影響しているのかもしれません。
もちろん、こうした統計の分析は、まさに専門領域であり、素人が軽々に結論めいたことはいえないと思うのですが、はっきりしていることは、大腸癌の死亡者数が増加傾向にあるという厳然たる事実であり、そうである以上、私たちが意識して大腸癌の早期発見に努めなくてはならないということだけは明らかだと思います。
大腸癌の早期発見のためには、定期的な消化器系の腫瘍マーカー検査の実施や、CT検査、大腸内視鏡検査等を億劫がらずに受けることが必要となります。
もっとも、現実の医療事故を扱っていると、総合病院においてすら、医療者の側も、大腸癌に対する危機意識が低いと感じることが少なくありません。
最近の相談においても、胃カメラの実施によって大腸癌を疑うべき所見が見つかっていたにもかかわらず、医師がそうした知見を有していないのか、大腸内視鏡検査を実施せず、手遅れになってしまったという症例もありました。
一人一人の患者にとっては、必要に応じてセカンドオピニオンを受けることも時に重要となりますが、患者は出会った医師に命を預けているのですから、やはり一人一人の医療者が、そのことを重く受け止めて、検査所見における手掛かりを見落とさず、丁寧に検証する姿勢を常に持ち続けて医療に取り組んでもらうことが何より大切なことなのだと思います。
日々雑感~ある無料の学習塾のお話
私の依頼者だった70歳過ぎの方で、塾の経営をなさっておられた方から挨拶状が届きました。
その中身を読んでいたく感銘を受けたので、ちょっとご紹介させてください。
その方は神奈川県内で長く塾を営んでおられました。
私がかつて依頼を受けた事件も、元を辿れば、その方の人の好さが裏目に出てしまったという非常に気の毒なお話だったのですが、本当に良心的に塾の経営に取り組んでおられました。
しかし、数年前にお話をした際に、「経営が厳しくなっているし、自分も歳だから、もう長くは続けられないかもしれない」というようなお話がありました。
経営が厳しくなったのは、いろいろと理由があるようでしたが、やはり、少子化の影響に加え、大手の学習塾が進出してきた影響も大きいとのことでした。
そして、このたび、その方から、挨拶状が届いたのです。
挨拶状には、長年続けた塾の経営からは身を引くことにしたと書かれていましたが、それに続けて、概略、以下のようなことが述べられていました。
「さすがに体力的な不安は否めないものの、私の中にある中学生のような青臭い正義感と気力は衰えを感じておりません。・・・若いころと比較すれば、知力ははるかに増していると自負しております。」
「思えば、地元にはずいぶんとお世話になりました。今後は、お世話になったこの地にご恩返しのつもりで社会貢献しつつ、第二の人生を歩みたいと思っております。」
「世の中には勉強したくても経済的理由で塾に通うことができない子供もいます。・・・私の子供時代、そのような境遇に会った友人を大勢見て来ただけに、このことを常に後ろめたく感じておりました。」
「今後は、お金を頂戴せずにそのような境遇にある子供たちに勉強を教えることによって、ささやかながら地域への恩返しを行いたいと考え、4月から地元において小さな塾を開くことといたしました。」
「私の余命か、手持ち資金のいずれかが先に尽きるまで、夫婦二人で続けていきたいと思っております。」
正直、驚き、そして、感動しました。
依頼者としてお付き合いしていた当時から熱く語っておられた教育への情熱を70歳を過ぎてなお失うことなく、初心に帰り、こんな形で実現しようとするなんて、頭で思ってはいても、なかなかできることではないと思います。
ちょっと話が逸れますが、非正規雇用が常態化し、経済的格差が広がる今の日本では、子どもの貧困化が非常に深刻なものとなっています。
ある統計によると、特に母子家庭の貧困率は50%を超えるそうです。
当然のことですが、食費、住居費などは生活の中でどうしても削れませんから、限られた収入しかなければ、そのしわ寄せは、勢い教育費などに及ぶことになります。
母子家庭の子供の大学進学率は40%と、全体平均の70%強よりも大幅に低くなっていますが、掛けられる教育費の差が大きく影響していることは明らかでしょう。
このような個人の努力では如何ともし難いところを何とかするのが政治の責任だと思うし、実際に事件に向き合っていると、政治の無策には本当に憤りを感じます。
母子家庭のお母さんはなかなかフルでは働けないので、どうしてもパート労働にならざるを得なくなりますが、そうすると何時雇用を打ち切られるかわからないし、もちろん低い収入しか得られません。
なので、逆に、たとえば、母子家庭(父子家庭もですが)の場合、フルに働けなくても、正規雇用扱いにすることを使用者側に減税と引き換えにでもして義務付けるというような制度を設けるだけでも大きく違ってくるのではないかと思います。
安定雇用が増えれば、その分支出も増え、車を買ったりする人も増えるわけだし、社会保険料の担い手も増えるわけですから、長い目で見れば、国や社会に活力を与えることになるはずです。
目先の利益のために労働力を安く使いたいという大企業の言いなりになって、こうした手立てを打たないのは政治の怠慢以外の何物でもないと思うのです。
最後に依頼者の塾のお話に戻しますが、この塾は4月に始まるそうです。
対象は、小学4年生から中学3年生まで、教材費も含め、一切無料だそうです。
問い合わせの受付は3月26日以降で、面接の上、入塾を決めるとのことです。
なお、読んだ方で、もしこの塾の連絡先を知りたいという方がおられましたら、当事務所まで電話にてお問い合わせいただければと思います。