日々雑感~「トランボ ハリウッドに最も嫌われた男」観賞記Part2~「ローマの休日」のことなどなど
前回、「トランボ ハリウッドに最も嫌われた男」のことを書いた際に、「ローマの休日」のことが書ききれなかったので、ちょっとそのことを取り上げてみたいと思います。
「ローマの休日」は、ご存じのとおり、監督はウイリアム・ワイラー、主演はグレゴリー・ペックとオードリー・ヘップバーンで制作されていますが、制作段階でもいろいろと紆余曲折があったようです。
キャスティングについては、当初は、ゲイリー・クーパーとエリザベス・テイラーが予定されていたそうで、そこには予算の問題もあったのかもしれませんが、当時、「赤狩り」に強く反発していたウイリアム・ワイラー監督は、最終的に、同じく「赤狩り」に反対の意思を表明していたグレゴリー・ペックを主演男優に起用します。
そして、オーディションで選ばれたオードリー・ヘップバーンがアン王女を演じることになります。
ちなみに、オードリー・ヘップバーン自身にも、戦争にまつわる辛い体験があります。
ところで、「トランボ」を観た上で、あらためて「ローマの休日」を観てみると、最後のシーンでグレゴリー・ペックとオードリー・ヘップバーンが交わすやりとりに、とても重い意味があるように感じられてなりません。
ネタバレとなりますが、有名なシーンなのでちょっと取り上げてみます。
最後の合同記者会見場で、グレゴリー・ペック扮するジョーが新聞記者であることを知り、アン王女は驚きます。
そして、ジョーの同僚がずっと隠し撮りしていた写真を手渡すとアン王女はさらに動揺します。
その後、別の記者からの、国家間の親善関係について尋ねる質問に、アン王女は、「永続を信じます」と答え、さらに「人と人の間の友情を信じるように」と付け加えます。
すると、ジョーが「私の通信社を代表して申し上げます」とした上で、「王女の信念が裏切られぬことを信じます」と述べるのですが、王女は、「それで安心しました」と返し、微笑むのです。
あらためて思い返すと、このシーンのやりとりには、この原作を書いた当時の、ダルトン・トランボの心境が強く表れているように思えます。
当時、まさに、自身も含め、周りの同志が「赤狩り」に遭って、議会に呼び出され、仲間の名前を言えと強要されていたわけで、そんな中、「人と人の間の信頼が裏切られないこと」が如何に大切なものであるか、そのことに想いを馳せながら、このシーンのセリフを書き上げたのではないかという気がしてなりません。
もっとも、実際の映画では、ダルトン・トランボの原作に付け加えられた部分もあるようですから(有名な真実の口のシーンはそのようです)、もし違っていたらすみませんというしかないのですが、とにかく、あの歴史上に残る大傑作である「ローマの休日」に、より深い思い入れを感じられるようになったわけで、その意味でも、「トランボ」は必見です。
もう一度、「トランボ」のことに話を戻します。
映画のエンドロールで、ダルトン・トランボ本人のインタビュー映像が流れるのですが、そこで彼は、「名前を取り返した」という言い方をしています。
その言葉を聞いて連想したのは、日本の芸能界でも、本名すら名乗れない俳優がいるなあということでした。
もちろん、私たちが知り得る範囲内では、それは思想弾圧というレベルのことではないのでしょうし、端的に、ビジネス上の損得みたいな意図に拠るところが大きいのかもしれませんが、逆にその程度の理由ですら本名を使えなくなってしまう、日本の芸能界やマスメディアの世界は、それはそれでどうなのかと思いますし、その閉鎖的な現状に対しては強烈な違和感を覚えます。
それともう一つ思ったのは、「赤狩り」に積極的に協力した映画人のことです。
映画の中では、ジョン・ウエインや、その後、大統領となるロナルド・レーガン等が登場しますが、忘れてはならないのはウォルト・ディズニーでしょう。
彼が、「赤狩り」で積極的に当局に協力していたことはつとに知られた話です。
何処かで読んだ情報によると、大勢の労働者が必要なアニメ制作にとって労働運動が邪魔だったからなんてことも言われていますが、著作権の保護期間の延長の話も含め、正直、ディズニーのことがどうしても好きになれないのは、そうした黒歴史があるからなのです。
「夢の国」が、多くの映画人の弾圧にウォルト・ディズニーが積極的に関わった黒歴史の上に成り立っていると思うと心から楽しめないところはあります。
しかし、今のディズニー作品には、本当に素晴らしいものがたくさんあるのも事実ですし、ディズニーがあったからこそ、手塚治虫が出て来たともいえるわけで、拘り出したらキリがないとも思ったりするのですけどね。
もう一つ、おまけの感想ですが、この映画で描かれているものは、アメリカ自体の黒歴史ともいえるものですが、こうした作品を商業ベースできちんと映画化できるアメリカというのはやはりすごいなあとも思うのです(封切時には保守派らの批判もあったようですが)。
翻って今の日本でこんな映画が作れるのだろうかと思うと、彼岸の差に愕然とします。
誰もが持っているはずの、自由にものを考え、そしてそれを表現し、伝えることのできる自由を持ち続けることの大切さはもちろんのこと、一見あって当然のように思えるそれらの自由を持ち続けることの困難さ、さらには遅ればせながらも勇気をもって近い過去を検証して告発するという映画を生み出す決断力、実行力の素晴らしさといったものを実感させられますし、勇気づけられる映画なのです。
未見の方は、ぜひご鑑賞あれ!
日々雑感~「トランボ ハリウッドに最も嫌われた男」観賞記Part1
「トランボ ハリウッドに最も嫌われた男」(以下「トランボ」)という映画をDVDで観ました。
考えてみると、もう11月だというのに、今年になって一度も映画館に行っていません。
つくづく、毎日をせわしなく生きているのだなあと実感します。
それはともかく、昨年公開のこの「トランボ」という作品、一見地味ながら、最高に面白く、心に残る傑作でした。
個人的には、これまで観た映画の中でもトップテンに入る作品ですね。
そして、作品の出来の素晴らしさもさることながら、本当にいろんなことを感じ、また、考えさせられました。
というわけで、今日はこの「トランボ」を取り上げてみます。
「トランボ」といっても、何のことかわからない人が多いと思いますが、あの「ローマの休日」を書いた人といえば、興味を持たれる方もおられるのではないでしょうか。
実は、私がそうだったものですから。
といっても、単なる「ローマの休日」の制作秘話のようなお話ではありません。
主人公のダルトン・トランボという人物は、ハリウッドで脚本家として活動する傍ら、共産党に入り、労働運動などに関わります。
しかし、第二次世界大戦が終わって、アメリカとソ連が対立し、冷戦時代に突入すると、アメリカ国内で共産党活動家をターゲットにしたいわゆる「赤狩り」が始まり、ダルトン・トランボら、ハリウッドで活動する人たちも標的にされてしまうのです。
共産主義を信奉する人たちに対して、モスクワと連絡を取り合い、国家転覆を図る危険分子だとの国家ぐるみのキャンペーンが繰り広げられ、結果、多くの映画関係者が共産党員ではないかということで、非米活動委員会なるものに呼び出され、尋問を受けることになります。
大衆芸術である映画産業は、国民に対する影響が大きいので、ハリウッドで影響力の強い人たちがターゲットにされることになったという面もあるのでしょうが、ハリウッドで数百人、国全体で数千人がブラックリストに載り、多くの人が職を失ったそうです。
そうした悪夢のような時代を懸命に生き抜いたダルトン・トランボと、家族も含め、彼を取り巻く人たちの生きざま、葛藤という重い題材を、むしろ、テンポ良く、ウイットに富んだやりとりを交えて描いた傑作が、この「トランボ」なのです。
ダルトン・トランボは、自身の名前では仕事ができないため、偽名を使ったり、他の人の名前を使ったりして作品を世に出します。
「ローマの休日」も、まさにそのような作品で、公開当時、アカデミー賞を受賞しますが、授賞式で呼ばれたのは別の人の名前でした。
それどころか、議会で、自身の誇りと仲間を守るために、敢然と証言を拒否したことで、議会侮辱罪と謂われなき告発を受け、投獄されてしまいます。
それでも、彼は、自分の信念を貫き、偽名を使い、脚本や原作を書きながら、思想自体をターゲットにする「赤狩り」に立ち向かって行きます。
そして、再び偽名でアカデミー賞を取った後、彼は、成長した長女の励ましを受け、勇気ある告白に踏み切るのです。
映画を観終えた時、涙が止まりませんでしたが、しばらくしてからは、もし、自分がその時代、その場所にいたらどのように振舞うだろうかと、ずっと考え込んでしまいました。
映画の中では、当時、抗った人だけでなく、生きて行くために心ならずも転向した人、裏切り、仲間だった人を告発する人、主人公らを避ける人、主人公らを支え、応援する人たちの心象風景が実に丁寧に描かれていましたが、本当にそうなったら、自分はどこに属するのだろうか、自分の信じるものを貫き通せるだろうかと、本当にそんなことを考えさせられたのです。
しかし、こうした迫害は決して過去のことではありません。
実際、「ローマの休日」がトランボの原作であることが正式に認められたのが1993年、映像にクレジットされたのは2010年のことになります。
また、今の日本やアメリカ、そして世界のあちこちを見渡しても、排外的な思想が蔓延しています。
国内でも、権力や金力を持つ一部の人たちが、自分たちの利益を守るために、それに楯突くような人間を排除するということが、ある意味、堂々と罷り通っています。
メディアでさえ、そのような権力者に阿る、そんな時代になっています。
誰もが自由に考え、意見を述べ、行動することができるという、アメリカでも日本でも憲法上保障されている重要な権利は、権力を持つ者にとっては、時に非常に目障りであり、それゆえ、思想良心の自由、表現の自由は、常に権力者の規制の標的になりますし、権力に擦り寄る人たちが、これらの権利の行使者への迫害に積極的に手を貸すこともまた、時代を問わず起こり得ることなのです。
ダルトン・トランボは言います。
「誰もが悪夢の時代の被害者なのだ」と。
現実に起きたことだけに、非常に観ていて心が締め付けられるようなところもあるのですが、映画を観終わった時に心がほっこり温まるのは、彼の生き方が、信念を貫いていながらも、他者に対する寛容の精神に満ちていたからなのだと思います。
自分自身もそうありたいと勇気づけられるに違いありません。
ところで、この映画を観て、いろいろと調べるうちに、「ローマの休日」以外にも、ダルトン・トランボが関わった素晴らしい作品がたくさんあることを知りました。
「ジョニーは戦場に行った」「パピヨン」「ダラスの熱い日」「スパルタカス」「栄光への脱出」といった作品は、いずれも映画史に残る名作だと思います。
とりわけ、迫害を受ける中で他人の名前を使って発表された「ローマの休日」については、映画の中ではさらっとしか触れられていませんが、まさにその時代背景が作品の制作に影響したところもあり、また、実は、ダルトン・トランボの生き方が色濃く投影されているように思います。
「ローマの休日」のことなど、まだまだ書きたいことがありますが、長くなりましたので、Part2に続きます。
医療事件日記~肝生検後の大量出血による乳児の死亡事故の提訴のご報告
先週、横浜地方裁判所において、肝生検後の大量出血による乳児の死亡事故について提訴しましたので、ご報告いたします。
長くなりますが、興味があればお読みください。
本件医療事故の概要
本件医療事故は、平成22年9月1日に神奈川県内で小児の肝生検を多く扱っているとされている総合病院において起こりました。
被害者となった患者は、生後11か月の乳児で女児です。
患者は、ビリルビンの値が高く、精査のため、当該病院に転院となり、経皮的針肝生検を受けることになります。
経皮的針肝生検とは、皮膚の表面から針を刺して、肝臓の組織を採取するというものです。
肝生検実施の前に、両親が「まだ赤ん坊なんですが、大丈夫なんでしょうか?」と質問をしたところ、医師からは、「うちの病院は、小児の肝臓では日本一ですし、検査はベテランの医師がやるから大丈夫です」という説明があったそうです。
しかし、実際に行われた肝生検では、最初、穿刺を担当したのは、まだ若く経験の浅い医師でした。
その若い医師が手技を行っている間に患者の体動が激しくなり、いわゆるブリッジで反り返るようなこともあったため、再度麻酔薬を投与し、その後もこの医師が肝生検を実施し続け、計3回の穿刺が実施されます。
しかし、結局、組織の採取は不成功に終わり、上司にあたる別の男性医師に交代します。
別の医師に交代してからも、患者の体動が激しいため、再び麻酔薬が投与され、この医師により計3回の穿刺が実施され、肝生検は終了します。
計3回の麻酔と、通算で計6回の穿刺が実施されたことになりますが、両親は無事終了したとしか聞かされていません。
検査が終わって、1時間半が経過したころに、付き添っていた親御さんが子どもの呼吸が激しくなっていることに気づき、看護師を呼びます。
その時は知らされていませんが、脈拍数210、呼吸数52回と、明らかな頻脈、頻呼吸に陥っていました。
しかし、医師が訪室することはなく、そのままの状況が続きます。
カルテによりますと、それから30分後、つまり肝生検終了からちょうど2時間後ですが、その時点で、脈拍数230、呼吸数64回に達し、さらに手足は冷たくなり、顔色も悪くなります。
看護記録にも、四肢冷感、口唇チアノーゼと記載されています。
しかし、この時点でも、何の検査も実施されません。
この後に病室に訪れた、検査を行った医師とは別の若い医師は、「まだ大丈夫です」と言って、検査の指示もせず、病室を去ります。
以後もずっと同様の症状が続き、最初の頻脈、頻呼吸初見から2時間半もの間、検査も治療も行われることはありませんでした。
そして、検査終了から4時間後、最初の頻脈、頻呼吸初見から2時間半以上が経過した時点で、やっと医師が訪室したものの、それ以前はずっと保たれていた血圧はすでに測定不能となっています。
以後、強心剤の投与などの処置はなされていますが、すでに非代償性ショックの状態となっており、結局、肝生検が終了してから約13時間後、患者は、生後わずか11か月で死亡したのです。
死後行われた司法解剖により、「肝生検に起因する出血死」であることが死体検案書にも明記されています。
腹腔内には360mlの出血があったことが確認されていますが、通常、体重の8%(子供の場合はもう少し低いとされています)が体内の総血液量とされていますので、女児の体重が約8㎏であることからすると、体内の循環血液量の半分を優に超える致死的出血があったことになります。
また、肝臓には6か所の穿刺痕があることが確認されています。
死に至る医学的機序と医療側の責任
本件の幼い患者が死亡に至った機序ですが、肝生検の際の生検針の穿刺の際にそのルート上にある主要血管が損傷されてその損傷部位から血液が腹腔内に漏出し、それが遷延化したことによる出血死であることに疑う余地はありませんでした。
血液が血管から大量に漏出してしまえば、体内の循環血液量が減少して、主要臓器に血液が十分に回らなくなれば、循環血液量減少性ショックとなることは常識的な医学的知見なのです。
実際に、肝生検終了後1時間半後に患者に現れた異常所見は、200/分を優に超える頻脈や50/分を優に超える頻呼吸であり、その後30分後には、頻脈、頻呼吸はさらに増悪し、四肢冷感、口唇チアノーゼ等も看護記録に明記されていますが、これらの異常所見は、体内の循環血液量が減少したことによる代償作用として現れる典型的な所見です。
もちろん、本件では、本来、安静の指示に従えない患者に行うについては非常にリスクの高い経皮的針肝生検を実施し(訴状ではこの点も過失として主張しています)、計6回の穿刺に及んでいる上、カルテには「体動が激しい中、穿刺が行われた」との記述もありますし、肝生検の手技の間に3回も麻酔薬を投与しているのですから、血管損傷等の合併症が生じていた可能性もより強く念頭に置くべきといえます。
しかも、患者は乳児ですから、自身の症状、苦痛を言葉で訴えることすらできません。
にもかかわらず、当該病院の医師、看護師は、明らかな容態変化があり、それがずっと継続していたにもかかわらず、一度も出血を疑って精査を行うということすらしなかったのです。
本件においては、病院の医師、看護師らに診療行為上の過失が存することは明白といわざるを得ません。
ところで、前述のとおり、本来、人間の体には、代償機能というものが備わっています。
本件のように体内を循環する血液量が減少したような場合においても、心拍数や呼吸数でカバーしようとします。
本件の患者に起きた、頻脈、頻呼吸は、まさに人間の体に備わっている代償機能が働いている状況で、循環動態が破綻する直前まで血圧は正常を保っており、医学的には代償性ショックといわれる状態なのです。
この、代償機能が作用し、血圧が何とか維持されている代償性ショックの間に、止血処置を行い、輸血、輸液などを実施してあげれば、患者の救命は十分に可能なのです。
医療側には、代償性ショックを疑うべき指標が現れて以降、2時間半もの時間の余裕がありましたので、その間に止血処置を行い、輸血、輸液などを実施してさえいれば、幼い患者の命を救うことができたはずなのです。
本件については、医療側が法的責任を負うことは極めて明白な事件であり、私たちが相談した複数の専門医からも、同趣旨の見解を得ています。
事故後の病院側の対応についても、本件では、憤りを感じざるを得ない点が多々ありますが、ここでは触れません。
今後、病院側が訴訟においてどのような対応をして来るのかは現時点ではわかりませんが、不毛な争い方はやめ、真摯な対応をしていただきたいと心から願っております。
原告ら遺族は、一刻も早い真相究明と病院側の心からの謝罪を望んでいます。
そして、それを死亡した子供の墓前に報告したいと希望しています。
それと、もう一つ、原告ら、そして私たち代理人の願いは、医療側が本件事故を反省し、事故に対し真摯に向き合うことによって、同じような物言えぬ幼い子供に対する悲惨な医療事故が二度と起きないようにしてもらいたいということです。
もし、相手方病院が、小児の肝臓について日本一の病院でありたいと思うのであれば、何よりも、事故によって幼い患者が命を落とすことのないよう、誠実に本件事故に向き合い、事故を教訓にする謙虚な姿勢こそが必要だと思うのです。
そうやって、医療の質を高め、患者本位の医療を実現するという姿勢が、本件のような医療事故をなくすことにもつながると思うのです。
原告らご遺族と私たち代理人弁護士はそうしたことを願って、本件提訴に踏み切りましたので、その旨ご報告申し上げます。
本件訴訟の経過については、今後、可能な限りホームページにおいてご報告してまいりたいと考えています。
医療事件日記~研修医と医療事故
ここ数年の間に、研修医による医療事故を複数経験しました。
それまでは研修医の医療事故は相談としても受けたことがなかったので、あれっと思ったのですが、いずれも一定の経験を有する医師であれば犯さないであろうというかなり初歩的なミスが重大な結果に結びついたというものでした。
先日、弁護士の世界がギルド的であって、実務的な経験を積むために先達の指導が必要だということを述べましたが、医療事故を扱って、臨床医療の一端に触れると、患者の命を預かる医療の世界こそ、経験豊富な医療者からの伝承というか、そうした指導が必須な領域なのだと痛感させられます。
そういえば、3年ちょっと前に研修医が起こした死亡事故で、その研修医が刑事責任を問われ、有罪判決を受けたということがありました。
かなり大きなニュースともなったその死亡事故は、薬の取り違えだったのですが、確か、その研修医は、予定していた検査に使用した薬が浸透圧が高いことから禁忌とされていることをまったく知らなかったということでした。
ところが、その事故においては、研修医が使用しようとする薬を誰かがチェックをするような体制はなかったというのです。
そこで疑問なのは、研修である以上、指導医がいるはずなのに、指導医は何をしていたのかということであり、もしそれが構造的なものであったとすれば、それこそが最も重大な問題ではないかと思うし、研修医個人の刑事責任を問うということについては、当時、非常に違和感を覚えました。
経験した研修医の医療事故の内の1件も、そういう意味では非常に似たような事故でした。
それは、急性腹症の患者で、来院直後の段階で白血球数が2万を超えており、激しい腹痛に加え、嘔吐までしているのに、対応した大学病院の研修医は、単なる胃腸炎と診断して胃腸薬を処方して帰宅させてしまったのですが、同日深夜、患者は、絞扼性イレウス(腸閉塞)から腹膜炎を起こし、死亡したのです。
患者を帰宅させるという判断をした医師が研修医だったということは、あとで証拠保全をして初めて知ったのですが、驚いたのは、電子カルテの何処を見ても指導医の関与がまったくうかがえなかったということでした。
あとで別の大学病院の医師にうかがったことですが、そちらの大学病院では、研修医に単独で微妙な診断はさせず、個々の医療行為については、その都度必ず指導医がチェックする仕組みになっているそうでした。
また、ある国立の大学病院が設けているガイドラインでは、研修医が単独で行っていいことと単独で行ってはいけないことが詳細に定められていました。
薬の取り違えの症例にしろ、イレウス患者を帰してしまい、死亡させた症例にしろ、もしこの国立大学病院のガイドラインに沿うような運用がなされていれば、死亡という最悪の結果は生じなかったであろうと思うのです。
この研修医の研修システムについては、いろいろと複雑で構造的な問題があるようで、事件のこともあって、多少勉強したところもありますので、いずれ取り上げてみたいと思うのですが、経験した事故について申し上げると、病院側が十分な指導ができない体制の中で、研修医を安価な労働力として位置づけているのではないかという印象を強く受けました。
もちろん、最初は誰もが臨床未経験であり、そこから多くの症例を経験することで、医療者としての力を身に着けることができるわけですが、先ほど触れたガイドラインにもあるとおり、多少でもリスクを伴うような医療行為については、研修医単独ではなく、必ず指導医が付き添うか、チェックを受けるという運用を徹底し、研修医任せにしないということが、悲惨な医療事故を減らし、また、研修医が真に信頼される医師になるために必須のことだと思うのです。
研修医を受け入れる医療機関においては、目先のコストに囚われることなく、将来の医療を担う医師を責任を持って育て、質の高い医療を実現し、避けられるはずの医療事故が起きないように日々努力してもらいたいと心から願って止みません。
日々雑感~アディーレの業務停止とギルドの世界
過払い金返還請求のテレビCMで知られる弁護士法人アディーレとその代表者が懲戒処分を受けたというニュースが大きく報じられています。
一般の人はどう感じるかわかりませんが、かつて弁護士は広報宣伝活動そのものを禁じられていましたし、このような派手な広告で集客するというのは仕事の性質上そぐわないと思っている立場からすると、アディーレなどの一部の弁護士のこうした手法には違和感を覚えるところではありました。
今回の懲戒処分は、この宣伝のやり方、内容に関するものですが、スポットでも数百万円といわれるテレビCMを多用するという発想の延長線上で、感覚がマヒしていたところもあるのかもしれません。
ただ、合格者が増え、過当競争が起きてしまっている現在の弁護士の業界の状況からすると、事件の依頼を受けるために、多少なり集客的な活動に取り組むことについては、特に若手の弁護士にとっては、背に腹は代えられないところもあるだろうというのが、また偽らざる実感でもあります。
では、なぜこんな状況になってしまったのかといえば、端的に言って、「検証なき合格者の増員」を司法改革の名の下に進めた結果であることは明らかだと思います。
かつては年500人弱であった合格者を暫定的に少しずつ増員していたのが、新司法試験制度になってから一気に年2000人越えにしてしまったのですから、それまでの弁護士の世界では、就職自体に難儀することはあまりなく、給料をもらいながら先輩弁護士からの指導を受けて実務経験を積みながら力をつけることができていたはずのところが、この極端な増員を機に状況は激変してしまったのです。
実際、都市部の一般事務所では、新人を受け入れる余力はあっという間になくなってしまい、行き場を失った新人弁護士は借金を抱えたまま、「ノキ弁」(給料をもらわないで既存の法律事務所に場所だけ貸してもらうやり方)にならざるを得なくなったり、「即独」(どこの事務所にも所属せず、いきなり独立するやり方)せざるを得なくなったりということが当たり前になってしまいました。
今回のアディーレには170人以上の弁護士が所属しているようですが、こうした事務所が拡大戦略を取れるのも、行き場のなくなった新人弁護士が増えてしまったことと決して無関係ではないでしょう。
このような状況を見るにつけ、改めて強く感じることは、一人一人の弁護士が力をつけ、良い仕事をして行くためには、弁護士の世界に内在するはずのギルド的な仕組みが有効に機能することが大切なのではないかということです。
なお、「ギルド(Guild)」という言葉の元々の意味は、専門職の閉鎖的、排他的な組合というようなことだったと思いますが、ここでは、排他的に業界の利益を守りたいという趣旨ではなく、上の世代から弁護士として有すべきスキル(熟練の技術)が継承されて行くための、弁護士界の仕組みという意味で使っています。
そもそも、弁護士の扱う仕事は、様々な社会の利害に関わる重要な仕事であり、その一方で、実務において、そうした事件を扱うための熟練の技が必要な分野であり、それは司法試験に合格し、研修を経ただけでは絶対に身につきません。
たとえば、一般の弁護士がオーソドックスに扱う領域は幅広く、個人に関するものだけで見ても、離婚や多重債務、相続、成年後見、借地借家、交通事故、労働問題、刑事事件、少年事件等々、枚挙に暇がないのですが、いずれの領域についても、的確に処理していくためにはある程度の実務経験が不可欠です。
しかし、熟練の技は一朝一夕で身につくものでもなく、ましてや誰の助言も得ないまま、単独で事件に取組んでいては身に着ける機会すら見逃してしまうことも少なくありません。
イソ弁(給料をもらって雇われる勤務弁護士)であれば雇い主であるボス弁に訊くことができますし、共同事務所に新人として入所すれば、経験を積んだ先輩弁護士に助言を求めることができるわけで、今も昔も、それが弁護士の熟練の技を磨くための「王道」であることに変わりはないはずです。
そういった意味では、医師養成の仕組みとも似ていますが、間違いなく、弁護士の世界は「スキルワーカーの世界」であり、それを守り、継承するために「ギルドの世界」であり続ける必要があります。
司法制度改革の名のもとに行われた「検証なき合格者の増員」は、新人若手弁護士が技を身に着けるためのギルドの仕組みを根こそぎ破壊する暴挙だったとつくづくそう思うのです。
最近見たニュースでは、またぞろ、おかしな制度改革の議論が起きているようですが、「ギルドの仕組み」を守り育て、弁護士の熟練の技がきちんと継承されるような仕組みが健全、有効に機能するようにして行くためにはどのようにすればよいのかという発想こそが必要不可欠なのだと強く思います。