医療事件日記~ある医療事故に関する事故調査報告書と医療事故調査制度のことPART2
医療事故の調査報告書に関するお話の続きです。
PART1でも述べたとおり、現時点では、本件医療事故の内容に具体的に触れることはしませんが、送られて来た調査報告書を読んでみると、結論もさることながら、作成した医療機関側が、意図的に真相解明を避けたとしか思えないような、明らかにおかしな点がいくつも見つかりました。
まず、事故の「真相」に関連する決定的に重要な事実があるわけですが、今回の報告書ではその事実の一部について、およそ触れられていないか、端折られてしまっています。
実は、その事件では、私たちはすでに証拠保全を行っており、重要と思われる事実関係をある程度把握しているのですが、受け取った報告書を読むと、そうした重要な事実の記載がかなり抜け落ちていることに気づきます。
もちろん、病院側がこの点の重要性に気づいていないはずはないので、この点の不記載は意図的なものかもしれません。
そこでふと感じた疑問は、本件事故調査に加わっているとされる4人の外部委員の方々がこの記載されていない重要な事実について認識しているのかということです。
もしかすると、外部委員の人たちは、そうした重要な事実についてはまったく知らされないまま、議論、検討に参加し、結論を述べているのではないでしょうか。
そうだとすると、ますます外部委員参加の意義が問われることになります。
本件で、それ以上に明らかに意図的と感じたのは、「検証(論点整理)」という項で設定された「問い」がおよそ真相解明につながるものではなかったことです。
医療事件の中で、私たちが専門医に鑑定意見書を作成してもらう際に何より気をつけていることは、真相解明、責任判断に役立つ「鑑定事項」=「問い」を用意することです。
「問い」が間違っていると真相解明の役には立ちませんし、時に逆効果となります。
通常、鑑定意見書作成のために大体30万円くらいの費用が掛かりますし、それは依頼者の方の負担になるわけですから、それが無駄にならないようにするため、なおさら慎重にどのような「問い」が真相解明に相応しいかを吟味しなくてはならないのです。
しかし、今回の報告書で、設定されている「問い」は、事故の真相解明ということからすると、まったく意味のないものでした。
たとえば、「〇〇が適切かどうか」という過失に関する2つの「問い」は、いずれも医師による事前の説明の内容に関するものでした。
しかし、本件事故においては、端的に、死に直結する「医療行為」の適否が問われなくてはならないのに、なにゆえ、「治療行為の前の説明が適切か否か」という「問い」を設定したのか、まったく理解できません。
ほかにも「〇〇への流れが適切であったか」という「問い」がありましたが、「流れ」は意味不明だし、そもそも、当該事故では、ここで書かれている〇〇は不首尾に終わっているので、〇〇が不首尾に終わった原因について、医学的な適否が問われるのでなければ何の意味もないわけです。
読めば読むほど、死につながる具体的な医療行為の適否に関する「問い」を避けようとしたとしか思えなくなります。
実は、私たちが相談しているその領域の専門医の方から、「本件医療事故は、およそあってはならない医療ミスであり、また、きちんと対処しておけば死亡という最悪の結果に至ることはなかった」との明確な意見をいただいている事件なのです。
また、トラブル発生後の医療側の対応の中には、患者を見殺しにしたに等しい、医療者としてあるまじき行為さえ含まれていることがわかっています。
このような事故について、なぜ事故が起き、人が亡くなったかという、事故の真相に踏み込もうとせず、曖昧に論点をずらして、責任追及につながらないような調査報告書を作成し、それをご遺族に送り付けてくることに対しては、大切な家族を亡くされたご遺族の心情を思うと、正直、強い憤りを覚えます。
最後に、もう一度医療事故調査制度のことに触れておきます。
最初にも書いたように、医療側は、医療事故調査の結果が、医療側の責任追及に利用されることを嫌います。
実際、センターのホームページ上にある制度の目的の説明欄においても、「医療の安全のための再発防止」とするのみならず、「責任追及を目的としたものではありません」といったことがわざわざ明記されています。
しかし、よくよく考えてみると、再発防止のためには事故の真相究明が不可欠であり、事故の真相究明を行えば、そこに何らかのヒューマンエラーがあることは当然にあり得るわけです。
それはつまり、裏を返せば、ヒューマンエラーを伴うような医療事故の場合、真相究明とは、ヒューマンエラーの具体的な内容を検証することが必須だということを意味するのです。
そして、医療事故においては、そのヒューマンエラーを真摯に検証することこそが事故の再発防止につなげるわけで、そうでなければ調査の意味はないといっても過言ではありません。
制度が始まって、まもなく2年になりますが、今回の報告書を読むにつけ、医療事故調査制度については、発想から根本から改めるべきではないかと思いますし、何よりも、ヒューマンエラーの検証を避けて通らないための調査の実効性をどうやったら確保できるかという観点で、仕組みを再構築すべきではないかと強く思うのです。
医療事件日記~小林麻央さんの訃報に接して思うこと
小林麻央さんが亡くなられたという訃報に接しました。
まだ34歳とお若く、お子さんもまだ幼い年齢ですので、ご本人も心残りだったでしょうし、ご家族の悲しみもさぞ深いことと思います。
また、小林麻央さんの場合、ブログを更新して病状報告や周囲への感謝の想いをずっと綴っておられましたが、病気と懸命に戦いながら、前向きなメッセージを発信し続けておられた姿勢には、本当に心打たれるものがありました。
心よりご冥福をお祈りしたいと思います。
ところで、小林麻央さんの場合、しこりがあって再検査を求めたにもかかわらず、異常なしとされた時のことを、「もう一つ別の病院に行っておけば」と悔やんでおられたというお話を何処かで目にしたことがあります。
実は、乳がんについて、そうした見落としというか、検査で見つからなかったという事件を扱ったことがありますので、特に女性の方にとって少しでも参考になればと考え、ここで取り上げてみたいと思います。
乳がん検診でよく実施されるのは、マンモグラフィー(乳房X線検査)という検査です。
ただ、このマンモグラフィーという検査では、しこりや石灰化は白く映るのですが、乳腺が発達している女性の場合にはそのせいでコントラストがつきにくく、判別が難しくなることがあるとされているほか、検査手技の巧拙なども影響して、異常所見をとらえきれないことがあるともいわれています。
実際に扱った事件でも、マンモグラフィーでは異常所見は見つからなかったのですが、しこりが大きくなっていると感じたので、間をおかず、別の病院で超音波検査を受けたら乳がんが見つかったという経緯があったのです。
その事件では、専門医の方に、最初に異常なしとされたマンモグラフィーの画像を読影してもらったのですが、その画像上では乳がんを確認することはできないとのことでした。
直後の超音波検査でははっきりと乳がんが確認されていますので、専門医曰く、マンモグラフィーの検査技術の問題があるとのことでした。
手技の巧拙については、マンモグラフィーに限らないことではありますが、早期発見できるかどうかが予後に大きく影響するわけですから、やはり、異常なしと言われても、しこりやくぼみなどの異常が気になるようでしたら、専門的な医療機関でセカンドオピニオンを受けるようにすべきであるというのが、相談した専門医の方の意見でした。
一方、乳がんの治療は日進月歩で進化しています。
手術においては、早期であれば、全部切除ではなく、乳房温存治療を選択するケースが増えていますし、あとで腕が上がりにくくなるなどの副作用を生じるリンパ節郭清も、最近では、センチネルリンパ生検という術中の簡易検査を組み合わせるなどして極力やらないようになっています。
また、その後の治療も、ホルモン療法、抗がん剤療法、分子標的治療などを症例ごとに選択し、組み合わせるなどすることで、高い治療効果が期待できるとされていますし、そういった治療技術の進歩もあって、乳がんの予後は、癌の中では比較的よい方に分類されています。
しかし、それでも、小林麻央さんのように、発見が遅れれば命にかかわってくるわけですから、やはり、早期発見に努めることが何より肝要です。
繰り返しになりますが、医師から検査で異常なしと言われても、しこりなどの気になる症状があるようなら、必ずセカンドオピニオンを受けるようにしましょう。
今回の訃報に接して、あらためて強くそう思うのです。
医療事件日記~訴訟前の準備としての「遺産分割」
別に医療事件に限らないのですが、亡くなられた方のご遺族が損害賠償請求をする場合、特に訴訟提起段階においては「遺産分割協議書」を作成することがあります。
損害賠償請求権は金銭債権であり、可分債権、つまり計算により平等分割できるという性質を有していますので、厳密にいえば、法定相続分相当に分割した金額で請求することも可能なのですが、現実の訴訟では、いろいろな事情があり、特に医療過誤事件のような、提訴にあたって、手間暇をかけ、当面の費用負担が必要となる事件では、遺産分割協議書を作成し、提訴に踏み切るというのが、ほぼほぼ常識的な流れということになります。
遺族といっても、関係が良好とは限りませんし、疎遠になっていることもありますから、そうした場合、裁判を起こす前の段階で、弁護士が遺産分割の協議に積極的に関わって行かなくてはならないことになるわけです。
先日、そんなような事情で、依頼者の方とは事情があって数十年来音信が途切れている法定相続人のお一人に会うために、休みの日の早朝、車に乗って遠方まで出かけました。
その方には、それより前に何度か書面を送っているのですが、なしのつぶてで、一向にお返事がいただけていなかったので、ともかく直接会ってお願いしてみるしかないということになったのです。
行くまでは、会えるかどうかわからないし、もしかしたら断られるかもしれないから、無駄足になることも覚悟していたのですが、お宅に伺い、何度かドアをノックしてみたところ、運よく在宅されていて、お話を聞いてもらった上、何とか無事に遺産分割協議書に署名捺印していただくことができました。
ということで、同行してくれた、共同受任してくれている弁護士と、やれやれと胸を撫でおろしながら、車で帰途につきました。
提訴に関する他の準備は最終段階に来ているので、もうちょっとで提訴となります。
ひとつの障害を乗り越えたので、もう一度気合を入れなおして準備を進めようと思います。
事件日記~雇用に関する「2018年問題」のお話
雇用に関する「2018年問題」をご存知でしょうか?
実は、最近扱っている事件で、労災給付支給中の有期雇用契約の労働者に対して、「次回は更新しない」という条件が提示されて、交渉の結果、撤回させることができたのですが、この事件で起きたことは、2018年に起きるであろうことの前触れではないかと思ったので、今回は、この問題を取り上げてみます。
雇用に関する「2018年問題」は、非正規で働く人たちにとっては、これからの生活の基盤を根底から覆しかねない非常に重大な問題といえます。
労働契約法が2012年に変えられ、2013年4月1日から継続して5年を超えて有期雇用契約が更新されている場合には、労働者側から申し出があれば期間の定めのない労働契約に転換しなくてはならないという制度になりました。
これだけを見ると、労働者にとって良いことのように思えますが、非正規雇用を「雇用の調整弁」、つまり、業績が悪くなったときに真っ先に切り捨てやすい存在と位置付け、正規雇用の率を上げたくないと考えるような使用者にすれば、この制度が発動する来年の4月になる前に、雇用契約を更新しない、つまり「雇止め」を行う、強い動機付けになることが非常に危惧されるわけです。
となると、そのタイミングは、5年の期限がやってくる来年の3月31日とは限らないことになります。
それよりもっと前の段階、たとえば、今年の9月30日から6か月の期間で契約更新の際に使用者側から、「次回は更新しない」という条項を付して合意を取り交わすというような働きかけがなされる可能性があると思います。
もちろん、有期雇用が、無期転換されるケースもかなり出て来るかもしれませんが、そうした場合には、制度の仕組みからして、「同一労働同一賃金の原則」との乖離が生じる可能性があるわけで、いずれにしても、こうした状況に置かれる弱い立場の人たちにとっては、目を離してはいけない時期が迫ってきているといえます。
十分にご留意ください。
ちなみに、雇用に関する2018年問題は、これだけではありません。
2015年の労働者派遣法の改訂によって、有期雇用の派遣社員が同一の組織単位で働ける期間は3年までということになったのですが、いよいよその最初の期限が2018年9月末にやってきます。
また、この2つの改訂が絡んでくる問題として、予想されることがあります。
つまり、派遣社員の立場からすると、同じ派遣先で3年以上働けないとなると、その前に、労働契約法の要件を満たす派遣社員は、派遣会社との関係で無期契約への転換を求めることになりますし(そうなれば3年を超えて同じ派遣先で働けることになります)、そういう事態になると、派遣会社とすれば、大量の無期契約社員を抱えることになるので、固定人件費が増えることを嫌う派遣会社が「雇止め」に動く可能性が高いのではないかともいわれています。
すでに派遣会社側はあれこれ対策を検討していると思いますので、派遣労働者の方々も、漫然とその日を迎えるのではなく、あらかじめ、状況をしっかり理解し、そうした動きに対応できるよう、学習しておくべき時期に来ていると思うのです(もちろん、私たち弁護士も)。
事件日記~個人再生手続のその後
前に、立て続けに個人再生事件を受任したということを書きましたが、その後の苦労の甲斐あって、最初に申し立てた事件については、無事、再生計画が認可され、確定しました。
現在引き受けている再生事件は、みなそれぞれに特徴があり、越えなければならない「ハードル」があるのですが、中でも、最初に申し立てた事件のハードルは非常に高くて、弁護士としてもかなり難儀しました。
その事件の特色は、すでに住宅ローンの支払いがかなり長期にわたって遅れてしまい、いわゆる「巻き戻し」が必要な事件だということでした。
個人再生事件のほとんどは、「家を残したい」という希望を実現するためですので、他の債務を圧縮するにしても、肝心の住宅ローンの支払いを追いつかせる手立てを示せないようでは、住宅ローンの債権者である金融機関の承諾が得られませんので、手続上お話になりません。
それゆえ、住宅ローンの債権者との折衝が不可欠となるのですが、どうやって追いつかせるか、その場合の総支払額はいくらになるのか、そういったことについて粘り強く金融機関と交渉し、合意を実現することが必要となります。
今回の個人再生申立事件では、そうした交渉が効を奏し、依頼者と、そのお子さん、そしてご両親の大切な「家」を守ってあげられたということで、非常に満足できる結果となりました。
現在、それに引き続いて申し立てた個人再生事件で、裁判所と打ち合わせを重ねていますが、こちらには、また別の種類の「ハードル」があります。
ここをどうやって乗り越えていくのか、依頼者の方と話をしながら、知恵を絞っていきたいと思っていますが、裁判所も比較的前向きになってくれているので、ハードルを越えられると信じて取り組んでいきたいと思います。
前にも書きましたが、個人再生事件は、弁護士としても、うまく解決できた時の満足度が高いので、やりがいを感じられます。
さらに弁護士としてのスキルを上げて行かねばと思う次第です。