事務所トピックス

医療事件日記~証拠保全の裁判官面接の出来事

葵法律事務所

〇月✕日

今月、立て続けに医療事件に関する証拠保全の申立を行いました。

医療事件における証拠保全とは、簡単にいうと、病院で、カルテ類を確認して証拠として押さえる手続です。

通常、証拠保全の申立を行うと、それに引き続いて担当する裁判官との面接が実施されます。

その際に、証拠保全の申立の内容に関する確認や、何を保全の対象とするか、あるいは形式的な字句の訂正といったことに関するやりとりがなされ、その後、期日の調整に入るのですが、今回は、思いがけないところで、裁判官と口論になってしまいました。

というわけで、今日はそのことについて取り上げます。

証拠保全を実施する際、病院側が裁判所の求めに応じて、医師記録、検査記録、看護記録等をその場で提出してきて、その後、同行するカメラマンが、提出された記録を写真撮影するという手順が取られることになります。

最近増えている電子カルテの場合だと、病院側がプリントアウトしてくれれば、わざわざ写真を撮らなくてもいいということはありますが、検査データや紙ベースのものもありますので、カメラマンを同行することは必須なのです。

同行するカメラマンは、通常、申し立てた側で手配することになるのですが、必ずしもプロのカメラマン、写真屋さんでなくてもいいというのがこれまでの裁判所の運用で、現に、私たちも、証拠保全の実施に慣れている弁護士に依頼することが通常といっていいくらいで、時には費用の問題もあって事務員に同行してもらうこともあります。

もちろん、あくまでも裁判所の補助であり、あとで保全記録は整理して裁判所に提出しなくてはなりませんから、ミスがあってはいけないことはいうまでもないことですが、私も含め、周辺でそうしたトラブルとなったことは一度もありませんでした。

ところが、今回の面接で、裁判官は、突然「プロのカメラマンしか認めない」と言い出したのです。

すでに、カメラマンとして同行してもらう弁護士にはお願いをしていたし、これまで裁判所側からそのような注文を付けられたこともないので、驚き、理由を尋ねました。

すると、裁判官は、「カメラマンでない人がやって、ミスがあり、ちゃんとしたものが出てこなかったから」と説明していました。

確かに、証拠保全手続は一発勝負の手続ですので、ミスがあってはいけないことはそのとおりなのですが、だからといって、いきなり、「プロのカメラマンしか認めない」と一方的に制限を掛けることはおかしいし、そうした考えを高い場所から押し付けるような言い方をする裁判官の態度には正直カチンと来ました。

やはり、ミスをしないことはもちろん大切ですが、カメラマンが証拠保全手続の意味をきちんと理解し、現場で的確に対応してくれることも実のある証拠保全を実現する上でとても重要なことです。

また、ミス云々ということでいえば、プロのカメラマンだからミスをしないとは限らないし、デジカメが普及した現在では、液晶画面で、きちんと撮影できているかどうかが確認できるので、素人でも、失敗しないようにすることは十分に可能となっています(現場でパソコンに取り込んで、保存データを確認することもできます)。

となると、むしろ、現場で重要なことは、現場で漏れなく保全を実施することであり、そのために的確に対応してくれることです。

特に、最近は電子カルテを保全することが増えていますので、そうした部分の必要性は高まっているといえます。

つまり、電子カルテだと保全のやり方が従来の手続と大きく変わりますので、パソコンの操作、電子カルテの仕組みに習熟してくれていることが重要なのです。

実際、今回同行を依頼した弁護士は、前に同行してくれた際に、現場でパソコンを操作し、データの不足を指摘してくれたということもありました。

もちろん、患者側代理人自身が、そうした仕組みを理解し、重要なデータの漏れを指摘出来ればいいのですが、電子カルテの仕組みも様々ですので、一発勝負の現場で網羅的かつ的確に対応することは必ずしも容易なことではありません。

その点、同行してもらう予定にしていた弁護士は、電子カルテのこともよく勉強しているので、そうした点でも安心して任せられるわけです。

要するに、必要なのは、「プロのカメラマン」ではなく、「プロの証拠保全カメラマン」なのです。

以前、写真屋さんに依頼したケースでは、写真そのものはきちんと撮れていても、証拠提出するためにお願いしていた冊子化の作業がぐちゃぐちゃで使い物にならず、裁判所から何度もクレームが入ってデータから見直す羽目になって非常に苦労したということもありました。

それと、もう一つ、患者側代理人にとって無視できないのは、依頼者の経済的な負担の問題です。

長期間の入院や何度も手術が行われているケースでは、写真屋さんに払う費用が非常に高額となることもあり、20万円を超えるなんてこともあります。

友人の弁護士に依頼すれば、その点でも非常に少ない経費で済ませることができます。

経済的に余裕のない依頼者もおられるわけですから、そうしたことも考慮されてしかるべきではないでしょうか。

裁判官には、もう少し、柔軟で実質的なものの見方をしてもらいたいと、つくづくそう思った次第です。

2016年12月28日 > トピックス

医療事件日記~電子カルテの改ざん

葵法律事務所

〇月✕日

最近は、依頼者が、任意開示によって入手したカルテを持参して相談に見えることが多くなっています。

もちろん、依頼者の方にとっては、その方が費用の点では多少なり少なくすみますし、証拠保全手続を取れば相当時間もかかるわけですから、そうした意味で任意開示には一定のメリットがあるからです。

弁護士にとっても、最初からカルテがあった方が、事案の検討がし易いともいえますので、この点でも、任意開示はカルテの入手方法として十分に選択肢となり得るといえます。

 

しかし、現実に、任意開示で入手したカルテを検討してみると、時に愕然とすることがあります。

それが何かといえば、任意開示されたカルテでは、真相が明らかにできないことがあるということです。

現在扱っているある医療事件においても、任意開示された記録中で、検査記録と、医師が記載した医師記録の記載が明らかに矛盾していました。

守秘義務の問題がありますので、具体的に述べることは控えますが、検査記録では〇〇と記載されているのに、医師記録では✕✕と記載されていて、事実として明らかに食い違っているというわけです。

その部分は医師の行った行為に関するものですし、およそ誤記するような事象ではないので、相談した協力医の方も「どうして食い違っているのか?」と首を傾げていました。

これはほんの一例ですが、残念ながら、医療機関が、事故後にカルテを改ざんしたり、事実と異なる説明をするという、事故隠し的対応をすることは、後を絶ちません。

実際、医療機関にとっては、ミスをしたという認識がある症例で、患者側からカルテの任意開示を求められた場合には、「不都合な真実」を知られたくないという心理が働くことは十分にあり得るところでしょう。

経験的にも、任意開示で出て来たカルテを検討すると、「あるはずの重要な資料が抜けている」とか「記載に矛盾がある」といったようなことは、先ほどの事例に限らず、決して珍しいことではありません。

 

正直申し上げて、かつては、巧妙にカルテを改ざんされてしまうと、真相解明は非常に困難でしたし、今でも真相解明のハードルは当然に高くなります。

しかし、最近は、総合病院クラス以上であれば、電子カルテを導入しているところが多くなっていますので、ちょっと様相が異なって来ています。

電磁記録である電子カルテでは、改ざんをするとその更新履歴が残るからです。

電子カルテになる前は、記録された時刻まではわからなかったのですが、電子カルテであれば、何分何秒まで記録されるというメリットがあるのですが(このメリットや実際の証拠保全の現場でのことについてはまたいずれ書きたいと思います)、更新についてはさらに更新前後の記載が残ります。

ですので、電子カルテの改ざんが疑われる場合には、証拠保全で更新履歴、更新前の記載を確認し、それを保全すればよいわけです。

 

ともあれ、やはり、医療ミスの可能性があり、医療機関側がそれを否定するような態度を取っている場合には、まず初めに弁護士に相談し、任意開示でよい事件か、証拠保全すべき事件かを検討してもらっておくことをお勧めします。

事件によっては、事実として何があったかが争われる可能性がありますから、そうした場合は、改ざんを誘発する可能性のある任意開示よりも、抜き打ち的な証拠保全によるべきと考えられるからです。

2016年11月27日 > トピックス, 事件日記

医療事件日記~セカンドオピニオンを求められたある医療事故のこと

葵法律事務所

〇月✕日

ある医療事件でセカンドオピニオンを求められるということがありました。

事件は、ある病院における死亡事故です。

背景には、先行する病院内での事故があり、ご遺族は当初、そちらの事故のせいで死亡するに至ったのではないかと強く疑っていました。

しかし、最初に依頼した法律事務所においては、先行する事故と死亡との医学的な因果関係の立証もできそうにないということで、調査が行き詰っていたのでした。

ただ、ご遺族としては、それでは納得できず、私たちのところに相談に見えられたのです。

 

お話を伺っても、すでに任意開示で入手済みのカルテを読み込んでみても、最初はもやもやとしていて五里霧中という印象でしたが、検討を進めて行くうちに、死亡に至った原因が先行する事故とは無関係の別の医療行為だったのではないかという疑問に行き当たりました。

協力医が、死亡直前のCT画像を解析してくれた結果、依頼者の親御さんの死亡には、病院の医師による別の重大な過失が関与している可能性が高いことが明らかとなったのです。

この点については複数の協力医に相談したのですが、いずれの協力医も同意見であり、その結果、死後における病院側の説明がまったくのでたらめだったことが判明しました。

 

現在進行中の事件でもあり、内容につき詳細な説明はいたしませんし、現時点では「過失」の存在が明らかになっただけで、死亡に至る医学的機序を解明し、因果関係について検討して行かなくてはならないという課題もあるわけですが、セカンドオピニオンを求めて来ていただいたことに対して、真相解明に多少なり力を貸せたことはとてもよかったというか、ちょっとホッとしています。

また、前に依頼していた弁護士の名誉のために申し上げておくと、そちらでも熱心に事件に取り組んでおられたし、調査に特段の齟齬はなかったと思います。

ただ、やはり、難易度が高めの医療事件を扱うについては、弁護士の側にもある程度の経験値が必要ですし、また、労を厭わず事案を検討してくれる協力医の存在が必要ですので、そうしたこともあって、今回は病院側の説明と異なる真相に辿り着くことができたのだと思います。

 

セカンドオピニオンの有用性についてはこのホームページの別の場所でも触れていますし、それは実は医療事件に限ったことではないのですが、もし依頼している事件について行き詰ったり、疑問を感じるようなことがあったりするようでしたら、別の弁護士にセカンドオピニオンを求めてみるということは、局面の打開、あるいは依頼事件についての納得を得るという意味でも価値のあることだと思います。

ぜひご検討ください。

2016年11月22日 > トピックス, 医療事件日記

日々雑感~「シン・ゴジラ」を観て思ったこと

葵法律事務所

最近になって、時間を縫って「シン・ゴジラ」を観て来ました。

もう上映時間が限られるようになって来ていますが、半年かそこらでDVDが出てしまうという最近の傾向の中では、かなりのロングラン上映となっており、この映画の人気ぶりがうかがえます。

実はこの映画を観に行ったのにはちょっとした理由があります。

ある友人がこの映画の製作に関わっており、エンディングのクレジットにその友人の名前が出て来るというので、それを観に行くという目的もあったわけです。

 

それはともかく、「シン・ゴジラ」、賛否両論あるようですが、映画としては非常に面白かったですね。

点をつけるなら、そうですね、80点くらいは行けそうです。

まず、この種の怪獣映画というのは、怪獣が「現れて」「暴れて」「戦って」「やっつける」という展開はほぼ一緒なので、そういう縛りがある中、どのように驚きを与えるのかという難しさがあると思うのですが、「シン・ゴジラ」は、この点、いくつかの場面で、そうした驚きを味わうことができる作品となっていました。

あと、これはあちこちでそう批評されているようですが、回りくどい日本の政策決定のシステムや、個ではなく集団でことにあたって行くという日本人の気質のようなところをテンポよく、また皮肉っぽくリアルに描いているあたりも、単なる怪獣映画に留まらない面白さになっていると思います。

ただ、あとで思い返し、この作品には大きな欠点があると思い至りましたので、多少ネタバレになってしまうところもありますが、そのことをちょっと書いてみます。

 

その欠点がいったい何かといえば、やはりそれは何といっても映画の結末ですね。

おそらく、この映画の結末は、福島の原発が冷却を続けながら地下水を汚染し続けている日本の現状を重ね合わせたものなのではないかと思うのですが、もし、そうしたメッセージをこの映画に籠めるというのであれば、ゴジラは核兵器によって生まれた怪物なのですから、福島原発事故をより明確に想起させるような結末であるべきだったと思います。

すでにあの原発事故から5年以上が経過し、記憶が風化しつつあるかもしれませんが、福島原発事故は、一歩間違えば、東日本全体に人が住めなくなる事態を招いてもおかしくなかったのですから、そうした恐るべき事故であったことを想起させ、その記憶を後世に残すような結末にすることは十分に可能だったのではないでしょうか。

もちろん、元々、そのようなメッセージはなかったと言われればそれまでですが、今の日本人が作るべき「ゴジラ映画」とは何なのかといえば、やはりそこに行きつくべきだったのではないかと思うのです。

 

しかし、その一方で、この映画ではそのような破滅的な結末は描けるはずはなかったであろうという気もしています。

なぜならば、この映画では、リアリティーを追求し、表現するために、自衛隊をはじめ、マスコミ、政治家に至るまで、非常に幅広く協力を求めているからです。

映画の中では、まあゴジラにかなうはずもないのですが、自衛隊は非常に頑張っています。

また、人がいるような状況では攻撃を中止するなど、人命優先で活動しているという、非常にバランスの取れた判断のできる組織として描かれてもいます。

エンディングのクレジットでは防衛大臣も経験している現東京都知事の名前も出てきますが、それもやはりリアリティーの追求のために何らかの助言を求めたということなのでしょう(製作されたのは東京都知事就任前ですからね)。

結局のところ、原発を推進し、核を容認する姿勢が垣間見える政府に近いところから物心両面の協力を得てきたわけですから、日本(政府)がゴジラに負けて東京が壊滅するというようなバッドエンディングに持って行くなんてことはさすがにできない、そうした大人の事情があったのかもしれません。

 

まあ、実際の映画においても、ゴジラは退治されたのか、そうではないのかについてはよくわからないところもありますが、やはり、原発も含めた核の象徴であり、人類を危機に陥れるやも知れぬ存在であるゴジラ(荒ぶる神のような存在ともいえます)なのですから、人間如きの浅知恵でその攻撃を防げるなんてことじゃなく、未だに核兵器や原発に固執し続ける愚かな人類に鉄槌を下す、そういう結末でなければならなかったのではないかと、観終わった今はそう考えています。

 

そんなことを考えていたら、ふと、「ネクストゴジラ」のストーリーが思い浮かんでしまいました。

もし、「ネクストゴジラ」の製作を検討中で、未だあらすじが決まってないということであれば、関係者の方、ぜひ当事務所宛ご連絡ください(笑)。

ここまで書いたのですから、当然のことながら、バッドエンディングとなりますが・・・。

2016年11月20日 > トピックス, 日々雑感

日々雑感~ジミー・ページが演奏しないならチケット代返金を求められるか?

葵法律事務所

弁護士といえども、日常生活を送っているわけで、その中で体験したこと、思ったことを綴るページを設けました。

気楽にお読みいただける、そんなコーナーにしたいと思いますので、不定期更新ではありますが、どうかよろしくお願いいたします。

その第1回は音楽に関するお話です。

 

ロック界の三大ギタリストといえば、エリック・クラプトン、ジェフ・ベック、ジミー・ページというのが、古くからのロックファンにとっての定説といえます。

その内の2人、ジェフ・ベックとジミー・ページが、日本で一緒に演奏するとなれば、話題となるのは当然で、それゆえ最も高額なチケットは30万円に設定されていたそうです。

このコンサートには、ほかにもチープ・トリック等のミュージシャンや、なぜかジョニー・デップのバンドまでもが出演していたそうですが、ジェフ・ベックとジミー・ページの名前が大きくクレジットされたポスターもそうですし、前宣伝のされ方においても、この2人の「共演」がコンサートの目玉であると受け止められるのは当然のことでした。

しかし、コンサート当日、2人の「共演」は実現しませんでした。

コンサートの終わりの方で、ジミー・ページが出て来て、ジェフ・ベックにトロフィーを渡し、肩をポンと叩くと、一度も演奏することなく、ジミー・ページはステージを去ったそうです。

当然のことながら観客は怒り心頭です。

チケット代の返金を求めるような声が上がるのも心情的に見れば至極真っ当なことのように思えます。

ところが、今回の公演を主催した業者は、謝罪こそしたものの、ほかにも多くのミュージシャンが参加したイベントであること等を理由にチケット代の返金には応じないとしました。

 

では、実際のところ、法的に見てどうなのでしょうか?

詳細な経緯が不明ではあるけれど、現時点までの情報を前提とすると、本件においては債務不履行が成立し、少なくとも半額程度は返金されるべきであり、元々の契約内容や演奏しなかった経緯が明らかになった上のことですが、場合によっては全額が返金されるべきではないかと考えられます。

その理由は以下のとおりです。

まず、業者側は、ジミー・ページが演奏しないことになったのは直前のことであるとしていますが、もし仮にそうだったとしてもその段階で告知しなくてはならないと思います。

そうすれば、最悪、コンサート会場においてでも返金してもらうチャンスがあったからです。

業者側が何と言い繕おうとも、今回のコンサートの目玉がジェフ・ベックとジミー・ページの共演だったことは明らかで、いわば超高級なフレンチレストランで、コース料理のメインディッシュが出てこないようなものです。

この点、2人が同じステージに立ったのだから共演したことになるとか、厳密に見ると一緒に演奏するとは言っていないなどの反論はあり得るのかもしれませんが、このケースでそれは通用しないでしょう。

実際、主催会社の代表者は、自身のツイッターで、「2人のセッションはこれが見納め」という趣旨のことを書いていますが、「セッション」が演奏を意味することは明らかです。

メインディッシュを出さないで、しかもそのことが料理を出す前にわかっていたにもかかわらず、それを知らせず、前菜とデザートのみで満額の代金を要求するようなものだからです(ほかのミュージシャンの方、ごめんなさい)。

もっとも、上記の半額返金というのは、あくまで現時点での情報に基づく判断です。

今回の興行については、そもそも、ジェフ・ベックとジミー・ページが一緒に演奏することになっていたのか、やるならバックバンドとのリハーサルもあるはずなので、業者の言い分は疑問無しとしませんが、その点については元の契約内容を確認してみないとわかりません(最新のニュースでは元々演奏の予定はなかったという情報も出ています)。

解釈の食い違いということもあり得なくはないかもしれませんが、もし最初から2人の共演は約定になく、主催会社もそのことを承知していたとすれば、前宣伝の内容からして、詐欺にあたる可能性が高くなって来ます。

そうした場合は、最初からコンサートの目玉がないことがわかっていながら、目玉があるような告知でチケットを買わせていることになるからです。

たとえば、今年解散と言われるSMAPがいつか再結成されるということでコンサート会場に行ったら、メンバーのうち、2人か3人しかいなかったというのと同じでしょう。

であれば、そもそもチケットを買わなかったはずだということも言えますし、業者の側の悪質度が高いことになりますので、全額返金という線も十分にあり得るところです。

もっとも、実際のコンサートではほかのミュージシャンの演奏が聴けていますので、裁判となれば、全額とまでは行かないかもしれませんが・・・。

逆に、買うはずはなかったということになれば、遠方からわざわざ来た人については交通費も賠償の範囲に含まれるでしょう。

 

以上のように、真相がどこにあるのか、現時点で不明ながら、少なくとも事前告知を怠った主催会社の責任は免れないように思いますが、考えてみると、特に外国人ミュージシャンを招へいしてのコンサートというのはかなりリスクが高いともいえます。

本件の場合、現時点では可能性は低そうですが、著名なミュージシャンの中には非常にわがままな人もいるそうなので、最初は演奏する予定だったのが、直前になって心変わりをして「やらない」ということになるなんてこともまったく起きないとはいえないからです。

そうしたケースの場合、主催会社側が返金に応じざるを得なくなったとして、ミュージシャン側に対して求償あるいはギャラの返還を求められるかというと、それはそれでなかなかハードルの高いことだと思われます。

一昨年でしたか、ポール・マッカートニーの来日公演が、来日後の体調不良を理由に直前キャンセルになった時は、主催会社は大変だったと思います。

その時は、ポール・マッカートニーが翌年、仕切り直しの公演を実現してくれたので、損害はカバーできたのかもしれませんが、みんながみんな、そのように対応してくれるという保証もないわけです。

つくづく、ショービジネスの世界というのは、何かと厄介だと思うことしきりです。

2016年11月17日 > トピックス, 日々雑感
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