医療事件日記~医療事故の院内調査報告書の問題点について
医療事故の中でも、死亡事故に関しては、平成27年に始まった医療事故調査支援センター(医療事故調)による調査の手続が利用できることになっています。
ただ、難点ともいえるのですが、手順としては、いきなり医療事故調による調査となるわけではなく、まずは事故を起こした医療機関内での調査(院内調査)が先行されることになります。
この制度が新たに立ち上がる時、死亡事故に限定することもさることながら、調査の対象とするか否かは医療機関側の判断に委ねられ、さらに先行される院内調査について、果たして調査の公正性が担保されるのかといったあたりも議論になったところです(他にも問題点はいろいろと指摘されています)。
実際、過去に当事務所で経験した症例でも、院内調査がかなり恣意的で不公正な内容だったということもありました。
ところが、また最近になって当事務所で相談を受けた症例で、以前扱ったものと非常によく似た内容の院内調査報告書を読みましたので、新たな疑問を感じたこともあり、あらためて、院内調査報告の問題性について述べたいと思います。
今回の症例は、コロナ感染で入院した高齢の女性に対し、中心静脈カテーテル(CV)挿入を試みた際に、誤って主要動脈を損傷し、対処が遅れて亡くなられたというものでした。
ところが、病院側は、当初、死因について、「コロナ感染による感染症の増悪」によるものと説明し、死亡診断書にもそのように記載されたのです(典型的な医療事故なのに、都合よくコロナ関連死とされることにも驚きますし、逆に、コロナ関連死とされる中には、医療過誤が結構紛れ込んでいるのではないかとの疑念さえ湧きますが)。
しかし、遺族の希望による画像診断を経て、解剖が実施され、「出血性ショック」による死亡であることが明らかとなり、院内調査が実施されることになったのです。
ご遺族は、その結果を記した院内報告書を手にして当事務所に来られたのですが、内容を一読して、奇妙な既視感(デジャブ)を覚えたのです。
目にしたその報告書は、形式的にも、また論旨にしても、以前当事務所で扱った別件の院内調査報告書と酷似していました。
何よりも驚いたのは、病院側が検討事項を自ら設定して、それに応じた記述がなされているのですが、この検討事項なるものが、「説明の妥当性」とか「CV挿入の妥当性」といった記載ばかりで、肝心かなめの「事故がなぜ起きたのか」という観点からの検証に向けた設問になっていないことでした。
そのため、出血性ショックで亡くなったこと自体の記載はあるものの、なぜ主要血管を損傷したのかの具体的な検証の記述もなく、また、血管損傷が即死亡につながるわけではありませんから、血管損傷後の経過を追って患者を救命できなかった要因についての検証の記述もなかったのです。
これでは一体何のための調査なのか、意味不明というほかありません。
そして、私たちが二重に驚いたのは、設定された検討事項の内容が、前に目にした報告書と瓜二つだったことです。
前に目にした報告書でも、説明の妥当性を複数回問うような内容でしたし、やはり「事故がなぜ起きたのか」「なぜ死亡という結果が生じたのか」という観点からの設問はなく、設問がそのような設定になっているため、それに対する具体的な記述も、やはり事故の真相からはほど遠い内容でしたが、ここまで似通っているというのは偶然の一致とは考えにくいのではないかと感じたのです。
医療事故調査制度が立ち上がる時に、大きな議論となったのは、医療事故調査が医療側の責任追及につながるものとなっていいかどうかという点でしたが、まさに、この院内調査報告書の曖昧さは、医療側の責任追及につながるような記載を極力避けようとしているように思えます。
しかし、医療事故の中には、間違いなく、不適切な医療行為によって起きた、それさえなければ死亡という結果を避けられたはずの症例が存在するわけで、事故を教訓にし、再発防止につなげるという制度の目的からすれば、そのような場合に医療行為の問題点を指摘しない報告書は有害無益といっても過言ではありません。
調査報告書がその点を明確に指摘する内容であることは同種事故を防ぐためには必要不可欠であり、その結果が、時に責任追及につながることがあるとしても、やむを得ないことだし、逆にそれが明確に記載されることこそが、医療に対する信頼を高めることになるのではないでしょうか。
私たちが目にした2つの報告書は、単なる偶然の一致とは考えにくいほど類似していましたが、医療事故調がそのような指導をしているのか、あるいは医療機関同士が情報交換をしてそのような結果となったのかはわかりません。
実際、この二つの医療機関はまったく無関係で、距離的にも1000キロは離れた医療機関ですから、どこかに院内調査対策マニュアルのようなものが存在するのかもしれないと思ったりもします。
ただ、いずれにしても、医療事故調査制度は、ある程度の運用期間を経たところですので、当初から指摘された問題点の検証も含め、そろそろ見直されるべき時期に来ているのではないでしょうか。
この制度の下で、すでに医療領域ごとに症例分析などがなされており、それはそれで非常に有意義だと感じるところもありますが(実際、CV挿入の事故に関する分析がなされたものも読みましたが、非常に勉強になる内容でした)、不備については改善して、より実効性のある制度にブラッシュアップして行くべきだと思います。
日々雑感~井上尚弥のボクシングが凄まじかったというお話
ここのところ、書面や尋問の準備等に追われていますが、昨夜、作業の合間にアマゾンプライムを覗いたら、ちょうど井上尚弥とノニト・ドネアのバンタム級統一世界戦をやっていたので、久々にボクシングを観ました。そこで目にした井上尚弥のボクシングがあまりに凄まじかったので、ちょっと感想を書くことにしました。
かつてはボクシングの世界戦であれば、地上波で観戦できたのですが、アマゾンプライムで観戦とは時代の変化にも驚かされます。ただ、それよりもありがたかったのは、観たいところを何度でも戻して再生できることで、そのおかげで、井上尚弥の強さの秘密をタブレット画面上で何度も確認することができました。
私はボクシングはやりませんが、あしたのジョーをはじめ、ボクシング漫画は結構読みましたので、「うんちく」だけならそれなりに語れます。
というわけで、井上尚弥の強さと昨日のKO劇のポイントについてちょっと語ってみたいと思います。
まず、井上尚弥の強さの秘密ですが、並外れたスピードと、この階級ではあり得ないくらいのパワー、そして、中でも左のジャブと左のフックの破壊力の凄まじさについては、よく言われるところでしょう。
それが備わっている上でのことですが、何より驚いたのは、この厄介なスピードとパワーが備わった左からのパンチが連続で繰り出されることです。
しかも、それがジャブ、フックと多彩であり、またいろんな角度から飛んでくるわけですから、迎え撃つ方はたまったものではありません。
対戦相手のドネアも歴戦の勇士であり、同じく強烈な左フックを武器にしていますが、パンチの多彩さ、引き出しの多さでは明らかに井上尚弥の方が上回っている印象でした。
その引き出しの多さによって生み出されたのが、第1ラウンド終了間際の打ち下ろし気味に入った右ストレートでのダウンシーンです。
実況の解説の人たちも、一瞬のことで気づいていないのか、触れていませんが、アマゾンプライムで繰り返しスロー再生してみると、このダウンシーンは井上尚弥のスピードとパワーだけで決まったものではなく、その上に備わった多彩なテクニックによって生み出されたものだということがわかります。
実は、スローでよく見ると、この右ストレートの直前に放たれた左ジャブに続いて、その直後、井上尚弥の左拳がピクッと前に出ているのです。
そのため、ドネアは井上尚弥の左からのパンチに対応しかけます。
ところが、実際には左からではなく、右からのストレートパンチがドネアの顔面に入り、あっけなくダウンとなります。
つまり、このダウンは直接には右ストレートで奪ったものですが、それがあっさり決まったのは、左ジャブに引き続く左の絶妙なフェイントが効いているのです。
ここで主導権を握った井上尚弥は、続くラウンドで多彩な猛攻を仕掛け、最後は左フックで2度目のダウンを奪い、勝利するのですが、これだけのスピードとパワーの上に、左の使い方のうまさ、多彩さが備わっているのですから、そりゃ、強いわけです。
ホント、芸術的といってもいいですね。
あと、試合後のインタビューでも、ドネアに対する敬意を繰り返し述べており、非常に好感の持てるボクサーだと感じました。
これから上の階級に上がって、新たな挑戦をするようですが、精進を重ねて、ぜひ夢を実現してもらいたいと思いました。
医療事件日記~肝生検後に生後11か月の乳児が出血死した医療事故が終了したことに関するご報告・序
平成29年に横浜地方裁判所に提訴した、乳児に対する肝生検実施後の死亡事故の医療訴訟が、本年3月18日に和解により解決いたしました。
まず、初めに申し上げたいことは、この解決は、ご遺族であり、裁判の原告となられたご両親の、真相解明を求める諦めない強い気持ちがなければ成し遂げられなかったということであり、亡くなった莉奈ちゃんのために頑張られたご両親に対しては、心から敬意を表したいと思います。
それと同時に、この事件では本当に多くの方々にご協力いただきました。
特に、勇気ある告発をしていただいた被告病院の事故当時の医療者や、真相解明のために粘り強く捜査を続けていただいた警察関係者、そして、それぞれの専門的な知見を踏まえて鑑定意見書を作成いただいた協力医の方々のご協力がなければ、ここまでの真相解明には至らなかったに違いありません。
本当に心から感謝申し上げたいと思っています。
ところで、この事件が和解により解決してからすでに2ヶ月以上が経過しています。
医療のことのみならず、この事故から学ぶべきことはあまりに多岐に及んでいますので、どこかでまとめて公表して行かなくてはならないという使命感もありますが、まだ十分な準備が出来ていません。
それと、本件に関していえば、やはり何といっても、お世話になった医療関係者の方々にご報告に伺うことを優先したいということもあり、また、この事件ではあまりにいろんなことがありすぎて、総括して記事にするにしても、内容を吟味、推敲する時間がもう少し必要だということもあります。
ですので、ホームページに掲載するのはもう少し先になると思います。
ただ、念のため、申し上げたいことは、今後何らかの形で公表するについては、本件事故に関わった医師や病院に対して、あれこれ非をあげつらうことは本意ではありません。
もちろん、事故や訴訟経過を検証する上で、病院側の対応等の問題点を指摘せざるを得ない場面はあると思いますが、それはあくまでも、医療事故の再発を防ぐ、医療現場を良くする、医療事故の解決のあり方を変えていく、そうしたことのために教訓とすべきものは何かという視点、問題意識に基づくものにしたいと考えています。
以上、報告の予告みたいになっていますが、もう一つお伝えしたいことがあります。
ご遺族は、今後、事故のことについて、莉奈ちゃんの死を無駄にしないための手記を書きたいというお気持ちを持っておられますが、そんな意を汲んでいただき、5月26日付の毎日新聞神奈川版に、ご遺族の4216日の闘いを振り返る内容の記事が掲載されました。
インターネットのニュースサイトでもかなりの反響があったようで、取材いただいた毎日新聞の記者の方にも御礼申し上げたいと思っています。
とても良い記事でしたので、記事のタイトル、リンクを貼っておきます。
https://news.yahoo.co.jp/articles/4dc7e29e470a10228e5a5cdcf2d1183b8730a49e
ちょっと横道に逸れますが、記事を読んでふと思ったことは、日々目にするニュースでは、どうしても速報性にこだわらざるを得ない部分があり、それはそれで必要だとは思うのですが、一方で、速報性よりも、今回の記事のように、一つ一つの事象を時間をかけて取材し、掘り下げた上で記事にすることも大切のではないかということでした。
では、近い時期に、この事件から得るべき教訓という趣旨の記事をホームページ上に掲載させていただくつもりですので、医療に携わる方、法律関係者を含め、関心を持っていただける方は、ぜひご一読ください。
医療事件日記~感染症に対する抗菌薬の選択を2度にわたって誤って患者を死亡させた医療事故の提訴のご報告
神奈川県内のある総合病院において、入院中の患者に発熱や嘔吐などの症状が出て感染症が疑われる状況となった時点で、細菌培養検査を行って以降の抗菌薬の選択を2度にわたって誤り、その結果、患者が敗血症性ショックで死亡したという事故について、このたび横浜地方裁判所に提訴いたしましたので、そのことについてご報告させていただきます。
感染症の診断、治療については、前にも本ホームページで取り上げていますが、実は当事務所の弁護士が受任している感染症絡みの事件は複数ありますし、感染症対応の重要性は今後さらに高まって行くと思われます。
ですので、提訴した事件のことだけでなく、あるべき感染症対応といったことについても触れてまいりたいと思います。
まず、感染症への対応に関する一般的な知見ですが、感染症の兆候が現れた場合には、まず血液培養検査により菌の同定を行い、さらに検出された菌にどの抗菌薬が効くかを確かめる感受性テストがあわせて実施されることになります。
感受性テストの結果の一覧で、Rと書かれていれば抵抗性ありでその系統の薬は効かない、Sと書かれていれば感受性ありでその系統の薬は効くということになるわけです。
ただ、感染症は、対処が遅れて重篤化すると生命予後に直結しますので、臨床現場では、菌の同定前の段階でも、症状や病歴などから推定して一定の抗菌薬を投与するというエンピリック(経験的)治療が実施されます。
そして、その後、感受性テストの結果を踏まえてピンポイントに効く抗菌薬に切り替えていく(デ・エスカレーション治療)という手順が採られるのが通常です。
また、抗菌薬の投与方法についてですが、抗菌薬の種類によって、一定以上の血中濃度で菌に作用する時間が長いことが高い効果を発揮させるために必要となる「時間依存性抗菌薬」と、薬の濃度が高いことが高い効果を発揮させるために必要となる「濃度依存性抗菌薬」の違いがあるので、抗菌薬によるそうした効果の違いを踏まえて、量と頻度にも留意して投与して行く必要があるとされています。
もちろん、抗菌薬の種類も増え、多剤耐性菌も増えているという、以前にはなかった深刻な状況に立ち向かわなければならない医療者も本当に大変だとは思うのですが、患者の立場からすれば、感染症の起因菌に対して適切な対処をしてもらえなければ死に直結してします場合もありますので、感染症への対処に関する医療者の知識や経験は非常に重要な課題ともいえるわけです。
今回提訴した医療事故の内容ですが、抗菌薬の選択を明らかに誤っており、過失は明白と捉えています。
経過を見ると、感染症の兆候が現れた時点で、タイミングとしてはやや遅いものの、起因菌の同定のための培養検査と感受性テストが実施されており、その一方、兆候が現れた時点で、おそらくエンピリック治療という趣旨なのでしょうが、セファゾリン(CEZ)という抗菌薬が投与されています。
この薬は、グラム陽性球菌が起因菌の場合には第一選択薬とされる抗菌薬ですが、培養検査開始の翌日の迅速診断で、起因菌の種類はグラム陽性球菌と特定されていますので、用量や頻度は不十分ながら、抗菌薬の選択としては正解だったのです。
ところが、この迅速診断の結果が出た時点で、医師はなぜか第一選択薬であるセファゾリンの投与を止め、クラビット(LVFX)という抗菌薬に切り替えるという判断をしているのですが、この薬はグラム陽性球菌、特にグラム陽性球菌の中でも、発生頻度が高く、重篤化しやすいとされる黄色ブドウ球菌が耐性を持つとされる薬でした。
協力いただいた感染症の専門医も、この選択は「明らかな過ち」と断定しておられるのですが、感受性テストでも、この薬については「R」、つまり効かないとの結果が出ています。
ただ、この医師のミスは、それにとどまりませんでした。
培養検査の結果で、本件の起因菌がさらに具体的に特定され、グラム陽性球菌のカテゴリーの中でも、頻度が高く、生命予後に影響するとされる黄色ブドウ球菌であることが判明します。
そして、感受性テストの結果でも、クラビットが効かないことが明らかになったことから、医師は、この時点で再度抗菌薬を変更するのですが、ここで、またもや「別の誤った抗菌薬」が選択されます。
この時点で選択された抗菌薬はピペラシリン(PIPC)というものですが、この薬は黄色ブドウ球菌に活性がないとされており、やはりあり得ない選択でした。
結局、患者さんは2度目の抗菌薬の変更の翌々日未明に急変し、その後亡くなられました。
本件で私たちが特に問題だと考えている点は2つあります。
まず、この2度にわたる抗菌薬の選択ミスを犯した医師は、大学卒業からわずか5年程度の医師であり、現時点でははっきりしませんが、当時は研修医であった可能性もあります。
また、カルテを見ると、抗菌薬の選択に、他の経験豊富な医師が関与した形跡が見られません。
つまり、本件については、臨床経験の乏しい医師に抗菌薬の選択を任せきりにしたのではないかという疑念が拭えないのです(抗菌薬の選択ミスが教科書レベルの過ちであることからしても、その可能性は相当高いように思います)。
別件でもそうでしたが、研修医、あるいは研修医上がりの経験の乏しい医師に、難しい判断を伴うような医療行為の判断を任せきりにしたことによって生じる医療事故は決して少なくありませんから、この点がどうであったかは、本件でもきちんと検証されなくてはならないと考えています。
もう1つの問題は、この病院が感染防止対策加算1という評価を得ているにもかかわらず、本件事故が起きているということです。
つまり、この病院には感染症対策室があって、感染症対策がきちんとできることで保険点数が加算されているわけであり、なのに、本件のような抗菌薬の選択ミスが立て続けに起きたということは、感染症対策室がまったく機能していなかったのではないかという疑念が想起されるのです。
薬剤耐性菌が増えており、抗菌薬の使い方については、きちんとした知識と経験が必要ですし、感染症は生命予後に直結するわけですから、感染症対策室が機能していたのか否か、仮に機能していなかったとすれば、その原因はどこにあるのかということもまた本件ではきちんと検証されなくてはならないと考えています。
私たちは、医療事故を扱うとき、どうしても個々の医療者のヒューマンエラーを取り上げざるを得ないのですが、事故の再発を防ぐためには、医療事故が起きないような医療側のシステムの問題に目を向けるべきと感じることがしばしばあります。
本件は、まさにそのような事故なのではないかと考えているわけです。
ヒューマンエラーが起きたその背景にあるもの、その原因をきちんと検証し、どこをどう改善すれば、同様の事故が防げるのかといったことを視野に入れながら、今後の訴訟手続に臨んで行きたいと考えています。
裁判については、今後の展開に応じてまた節目節目でご報告したいと思っております。
事件日記~ある独居のご老人の成年後見を終えて
去年の11月に、当事務所の弁護士が担当していた成年後見事件の被後見人が天寿を全うされました。
振り返れば、その事件は、身内の方からの依頼があったわけでもなく、被後見人本人とも全く面識がない中で、後見申立を行い、そのまま成年後見人に就任したという経緯でした。
日本が超高齢化社会となったことで、今後、このような事件が増えて行くことが予想されますので、その経過をお伝えしつつ、いろいろと考えたことを述べてみたいと思います。
ご本人は神奈川県内のアパートで暮らす独居の老人男性で、頼る親族もいない状況でした。
おそらくは認知機能や体力の衰えの影響で食事も十分に摂ることができなくなり、その後、なんとか地元の病院にはかかることができたものの、治療費に充てる預貯金は多少はあるけれど、それを下ろすことすらできない状況で、地元の地域包括支援センターの方からの法律相談を経て、後見手続を取ることになったのです。
調査をしてみると、兄妹姉妹が数人おられることはわかったのですが、いずれも遠方におられ、しかも高齢で、本人とは疎遠になっていることもあって、協力を申し出てくれる方はいませんでした。
役所の手続を使う方法もありますが、将来的なことも考えれば、何とか親族にお願いしてもらった方がいいと考え、静岡県内におられるご兄弟に、申立人になってもらうようお願いし、経済的なことも含め、一切ご迷惑はおかけしないと約束して、後見の申立にこぎつけました。
そんな経緯でしたので、申立までの費用は、すべて自腹でした。
その後、申立を経て、成年後見人に就任し、本人の預貯金を医療費に充てつつ、本人の落ち着き場所を探すための苦労が始まりました。
最初は、地元のグループホームに入ってもらいましたが、本人がまだ精神的に非常に不安定であったため、グループホームから、「これ以上は無理」と泣きつかれ、最初に入院した病院に逆戻りとなりました。
医師と話し合いましたが、自宅に戻るのは絶対にやめた方がいいとの助言もあり、まずは精神的なところを落ち着かせる必要があるということで、精神病院への入院を勧められました。
しかし、この方の場合、精神病院に入院となると、そのまま出て来られなくなるのではないか、出会ったばかりの後見人がそのような決断をしていいものかと悩みましたが、薬の調整で落ち着く可能性はあるという医師の助言を受けて、神奈川県内の精神病院への入院を決め、それと並行して、将来の落ち着き先となる老人ホームの確保にもあたりました。
結果は大成功で、精神病院での治療が効を奏して、本人の精神状態は飛躍的に落ち着き、昔の話を楽しそうに話されるくらいまで安定してきたのです。
そして、ちょうどその時期に運よく入所先の老人ホームを見つけることができました。
遠方であったため、老人ホームに入ってからは、あまりお会いする機会はなくなりましたが、施設側とは必要な衣類や補助栄養ドリンクなどの差し入れや必要に応じた治療、医療機関への通院のこと等で定期的に連絡を取り合って、本人が穏やかに生活できていることを確認しながら、後見業務を遂行しておりました。
去年11月に亡くなられたとの連絡を受けましたが、最初の受任時点の、ひどく衰弱され、混乱されていたところから、終の棲家で穏やかな日々を過ごして天寿を全うされるところまで関われたことは、本当に良い仕事ができたなと思いました。
そして、それはこの間に関わっていただいた福祉、医療の関係者のご尽力のおかげでもあるので、心から感謝申し上げたいと思っています。
ただ、本件の場合、本人が亡くなられた後に、後見人として、なかなかデリケートな業務が残っていました。
後見業務は、本人が亡くなられたところで終わりではなく、相続人に引き継いだところで終了となります。
ところが、本件の場合、元々、親族の協力が受けられなかったという経緯があり、しかも法定相続人にあたる5名の方はいずれも遠方にお住まいであり、かつ高齢であるため、その引き継ぎは容易ではないことは元々予想できておりました。
結局、本人が亡くなられて以降の手続のみならず、火葬場にも一人で行って遺骨の引き取りからその後の諸々の段取りもすべてこちらで行うことになりました(実際は、かなりの煩わしいところは事務局に負担をかけてしまったのですが)。
難しいのは、後見業務の一環として行える部分と相続人でないとできない部分があるため、相続人との連携ができていればいいのですが、そうでない場合は、大変な手間となってしまうところがあります。
そのため、まだ多少やるべきことは残っていますが、最後に施設でお会いした時、車いすに乗られて、にこにこと笑っておられた姿が思い出されますし、寄る辺なき独居のご老人が、最後に福祉的援助を受けながら、穏やかに暮らせる手助けができたことは、弁護士冥利に尽きるところでもありました。
超高齢化社会になり、しかも、勤労者世代が経済的にも不安定となりつつある日本の実状からすると、独居で老後の不安を抱えて暮らしておられる方も多いと思いますが、後見という制度はそのような方の老後を支えるための杖になれると思います。
また、いきなり要後見状態に陥ってしまうよりも、できることならば、お元気なうちに、任意後見契約を締結する等して、いつか来るかもしれないその日に備えておかれればなおいいのではないかとも思った次第です。