
事件日記~ある独居のご老人の成年後見を終えて
去年の11月に、当事務所の弁護士が担当していた成年後見事件の被後見人が天寿を全うされました。
振り返れば、その事件は、身内の方からの依頼があったわけでもなく、被後見人本人とも全く面識がない中で、後見申立を行い、そのまま成年後見人に就任したという経緯でした。
日本が超高齢化社会となったことで、今後、このような事件が増えて行くことが予想されますので、その経過をお伝えしつつ、いろいろと考えたことを述べてみたいと思います。
ご本人は神奈川県内のアパートで暮らす独居の老人男性で、頼る親族もいない状況でした。
おそらくは認知機能や体力の衰えの影響で食事も十分に摂ることができなくなり、その後、なんとか地元の病院にはかかることができたものの、治療費に充てる預貯金は多少はあるけれど、それを下ろすことすらできない状況で、地元の地域包括支援センターの方からの法律相談を経て、後見手続を取ることになったのです。
調査をしてみると、兄妹姉妹が数人おられることはわかったのですが、いずれも遠方におられ、しかも高齢で、本人とは疎遠になっていることもあって、協力を申し出てくれる方はいませんでした。
役所の手続を使う方法もありますが、将来的なことも考えれば、何とか親族にお願いしてもらった方がいいと考え、静岡県内におられるご兄弟に、申立人になってもらうようお願いし、経済的なことも含め、一切ご迷惑はおかけしないと約束して、後見の申立にこぎつけました。
そんな経緯でしたので、申立までの費用は、すべて自腹でした。
その後、申立を経て、成年後見人に就任し、本人の預貯金を医療費に充てつつ、本人の落ち着き場所を探すための苦労が始まりました。
最初は、地元のグループホームに入ってもらいましたが、本人がまだ精神的に非常に不安定であったため、グループホームから、「これ以上は無理」と泣きつかれ、最初に入院した病院に逆戻りとなりました。
医師と話し合いましたが、自宅に戻るのは絶対にやめた方がいいとの助言もあり、まずは精神的なところを落ち着かせる必要があるということで、精神病院への入院を勧められました。
しかし、この方の場合、精神病院に入院となると、そのまま出て来られなくなるのではないか、出会ったばかりの後見人がそのような決断をしていいものかと悩みましたが、薬の調整で落ち着く可能性はあるという医師の助言を受けて、神奈川県内の精神病院への入院を決め、それと並行して、将来の落ち着き先となる老人ホームの確保にもあたりました。
結果は大成功で、精神病院での治療が効を奏して、本人の精神状態は飛躍的に落ち着き、昔の話を楽しそうに話されるくらいまで安定してきたのです。
そして、ちょうどその時期に運よく入所先の老人ホームを見つけることができました。
遠方であったため、老人ホームに入ってからは、あまりお会いする機会はなくなりましたが、施設側とは必要な衣類や補助栄養ドリンクなどの差し入れや必要に応じた治療、医療機関への通院のこと等で定期的に連絡を取り合って、本人が穏やかに生活できていることを確認しながら、後見業務を遂行しておりました。
去年11月に亡くなられたとの連絡を受けましたが、最初の受任時点の、ひどく衰弱され、混乱されていたところから、終の棲家で穏やかな日々を過ごして天寿を全うされるところまで関われたことは、本当に良い仕事ができたなと思いました。
そして、それはこの間に関わっていただいた福祉、医療の関係者のご尽力のおかげでもあるので、心から感謝申し上げたいと思っています。
ただ、本件の場合、本人が亡くなられた後に、後見人として、なかなかデリケートな業務が残っていました。
後見業務は、本人が亡くなられたところで終わりではなく、相続人に引き継いだところで終了となります。
ところが、本件の場合、元々、親族の協力が受けられなかったという経緯があり、しかも法定相続人にあたる5名の方はいずれも遠方にお住まいであり、かつ高齢であるため、その引き継ぎは容易ではないことは元々予想できておりました。
結局、本人が亡くなられて以降の手続のみならず、火葬場にも一人で行って遺骨の引き取りからその後の諸々の段取りもすべてこちらで行うことになりました(実際は、かなりの煩わしいところは事務局に負担をかけてしまったのですが)。
難しいのは、後見業務の一環として行える部分と相続人でないとできない部分があるため、相続人との連携ができていればいいのですが、そうでない場合は、大変な手間となってしまうところがあります。
そのため、まだ多少やるべきことは残っていますが、最後に施設でお会いした時、車いすに乗られて、にこにこと笑っておられた姿が思い出されますし、寄る辺なき独居のご老人が、最後に福祉的援助を受けながら、穏やかに暮らせる手助けができたことは、弁護士冥利に尽きるところでもありました。
超高齢化社会になり、しかも、勤労者世代が経済的にも不安定となりつつある日本の実状からすると、独居で老後の不安を抱えて暮らしておられる方も多いと思いますが、後見という制度はそのような方の老後を支えるための杖になれると思います。
また、いきなり要後見状態に陥ってしまうよりも、できることならば、お元気なうちに、任意後見契約を締結する等して、いつか来るかもしれないその日に備えておかれればなおいいのではないかとも思った次第です。
医療事件日記~「フォルクマン拘縮」の医療事故解決のご報告
前にもこのホームページで取り上げさせていただいた「フォルクマン拘縮」の医療事故が解決の運びとなりましたので、経過も含め、ご報告させていただきます。
フォルクマン拘縮とは、いわゆる「コンパートメント症候群」の内、上腕部に起きるもので、医学的な表現としては、「阻血性拘縮」がわかりやすいですね。
具体的には、肘の周辺の骨折などのあとに、内出血や圧迫などによって閉鎖された筋肉・神経・血管の組織の内圧が上昇し、循環不全を来し、筋肉の組織が壊死したり、末梢神経が麻痺するなどして肘から手指にかけての拘縮や神経障害を生じさせるというものですが、特に、小児の上腕骨顆上骨折では重要な合併症の一つとして知られています。
本件では、フォルクマン拘縮を来した結果、未成年の患者の右上肢に機能障害、神経障害,そして右手の指にも機能障害が残っており、手や指先が思うように使えない等、働く上でも日常生活でも大きなハンディキャップを背負う結果となっています。
フォルクマン拘縮は、骨折後の初期治療の段階で起きることが多いのですが、かつて伺った小児科の医師は、「普通に気を付けて治療にあたっていれば避けられるはず」とおっしゃり、「医師にとってのABC」という言い方をされていたのが強く印象に残っています。
ではフォルクマン拘縮がなぜ起きるかといえば、骨折直後の骨折部位が腫脹、つまり腫れて膨らみやすい時期に、ギプス等による固定を安易に行うことで、本来であれば、腫れて外に膨らむところを抑え込んでしまうため、骨折部位の圧が内側に戻ってしまい、血流が阻害されてその先の筋肉や神経にダメージを与えるという機序によるものです。
ですので、整形外科領域では、骨折から間もない時期は患部が腫れるので、ギプスはせず、腫れが治まってからギプス固定を行うのが臨床的には基本だそうです。
また、仮にギプス固定をしても、フォルクマン拘縮の兆候が見られた場合には、ただちにギプスを外して圧を開放しなくてはならないし、早期にその徴候に気づいてただいに圧を開放する処置をすれば、阻血による障害は生じなくて済むとされています。
ちなみに、その兆候とは、3Pとか5Pとかいわれるもので、pain(疼痛)、pulselessness(脈拍喪失)、paralysis(運動麻痺)、pallor(蒼白)などが挙げられています。
それらの症状が見られたら、とにかくギプスを外せということに尽きます。
フォルクマン拘縮は阻血の程度にもよりますが、短時間で完成してしまうとされていますし、小さいお子さんの場合や入院後の深夜に症状が現れるといった場合には、気づくのが遅れて手遅れになってしまうこともありますから、患者側も、骨折直後のギプス固定には要注意とういことを覚えておいた方がいいと思います。
本件では、当初、病院側は「ギプス固定ではなく、シーネ固定、つまり半割のギプスなので、問題はなかった」という主張をしていましたが、半割のギプスであっても、包帯で巻いて固定しており、内圧が高まることは当然にありますし、現に患者がずっと激痛を訴えていたのにシーネ固定を続け、フォルクマン拘縮で障害が残ったわけですから、通らない言い分であることは明らかでした。
なんにせよ、ギプス固定後に、激痛や爪の色の変化などの異常に気づいたら、躊躇せず固定を外し、すぐ病院に行くことが肝要です。
イロハといわれながら、未だに後を絶たない種類の事故ですので、医療のエアポケットみたいなところもあるのかもしれません。
お子さんに多いこともありますので、周囲、特に親御さんがしっかり気をつけてあげるほかないのだと思います。
ところで、本件においては、医療側の代理人の弁護士にも感謝申し上げたいと思っています。
このホームページでもしばしば指摘していますとおり、現実の医療側代理人の対応を見ていると、荒唐無稽な医学的主張で「黒を白と言い逃れよう」という噴飯物の対応が跡を絶たないのが実態ですが、本件においては、交渉のやりとりの中で、医療側の代理人が事件の落としどころを冷静に見極め、真摯にご対応いただいたことに心から敬意を表したいと思っております。
私たちは、個々の医療事件について、真相解明と、適切に民事責任が認められることを一義的に考えており、個々の医療者や医療機関を必要以上に追い込むことはまったく本意ではありません。
医療過誤は、ミスではあるものの、医療の世界では、ミスが起きることや不幸な結果が生じることは現実的には不可避なところもあるので、そのたびに個々の医療者の非を責めるということは適切ではないと考えているからです。
早期の真相解明と適切な被害回復が計られることが何より重要ですし、その上で、事故の再発防止に向けた教訓にしていただくことが私たちの望みなのです。
その意味からしても、医療機関にとっても良い解決だったに違いないと思っています。
また、事故後に、医療機関側から自発的に事故についてきちんと公表いただいたことも含め、非常に有意義な解決であったと感じております。
他の医療事件においても、医療機関側にそのような解決を図る姿勢があればと心から願っております。
最後に、この事件も、親しい弁護士から相談され、お手伝いした事件でしたが、お役に立ててよかったし、お声がけいただいたこと、心から感謝申し上げたいと思います。
前にも書きましたが、医療事件については、どうしても医療訴訟の実務的なノウハウや協力医の確保、医学的機序、過失、因果関係に関する検討のスキルなどの問題があって、おひとりで取り組んでいると行き詰ってしまうことがあり、医療事件に詳しい弁護士に相談することはとても有意義な場合があります。
ですので、相談を受け、あるいは受任した後になかなか見極めがつかず、突破口が見いだせないでおられる弁護士の方がおられましたら、臆せず、医療事故に詳しい弁護士に相談されることをお勧めします。
Stop the war!
葵法律事務所の全員の思いでもありますので、このメッセージを発信させていただきます。
ロシアがウクライナへと侵略しました。
すでに双方に多数の死者が出ており、60万人以上のウクライナ人が避難を余儀なくされています。
断じて許されることではありません。
直ちにロシアの侵略行為を止めさせ、撤退させなくてはなりません。
一人一人が声を上げることが大切と考え、この記事を書くこととしました。
Stop the war!
このメッセージが世界に広まり、ウクライナに平和が訪れることを心から強く強く希望しています。
以下は、私(折本)個人が感じていること、思っていることを書いてみます。
そもそも、プーチン大統領は、なぜこのような何の大義も見出せない無謀な戦争行為を始めたのでしょうか?
そのことを考え始めた時、私は、高校時代に活動していたバンドで演奏したある曲のことを思い出しました。
それはビートルズの「Back in the USSR」という曲です。
この曲は、ポールマッカートニーが作ったものですが、その中にこんな歌詞があります。
Ukraine girls really knock me out
They leave the west behind
And Moscow girls make me sing and shout
Georgia‘s always on my mamamamamamama mind
正直言って解説するほどもない他愛ない歌詞なのですが、この前段部分では「ウクライナの女の子は最高だ。西側の子なんて目じゃない」と歌っています。
何が言いたいかというと、この曲が発表された1968年当時、ウクライナはソ連の一部だったということです。
ウクライナが独立したのは、ソ連崩壊後の1991年のことになります。
今回の侵略の動機についてはいろいろな分析がありますが、69歳になったプーチンが、かつてのソ連の領土を可能な限り取り戻したい、それが自身の集大成であり、後世に残る「偉業」を考えたのではないかという気がしています。
この間、プーチンは、親露派を守るためだとか、NATOの進出を食い止めるためだとかいろいろと言っていましたが、どう見ても独立国に戦争を仕掛けることを正当化するには根拠薄弱です。
もちろん、単一の動機ということではないのかもしれませんが、やれば国際的に非難を浴びることは必至ともいえる状況で、あえてかつての同胞に対する戦争行為を始めた最も大きな動機は、「かつてのソ連の領土を取り戻したい」という、プーチンが取りつかれた妄想なのではないかと思うのです。
恐ろしいのは、絶対的な政治権力者の誕生を許し、その人間が長期にわたり権力を握り続ければ、そのような妄想に基づく暴走を止めることができなくなってしまうということです。
独裁的な政治体制を許してはならない、めんどくさくても民主主義的な仕組みを作って行かなくてはならない理由がまさにそこにあるのだと思います。
もちろん、民主主義的な仕組みを作っていても、ヒットラーは誕生したわけですし、いつのまにか独裁的な政治体制へと変質して行くこともあるわけですから、民主主義的な仕組みというものは、あれば安心というものでなく、それを不断に守り、育て続けて行くことが大切なのだと強く思います。
ほかにもこの問題について思っていることがありますが、それは「続き」で書きます。
医療事件日記~「局所麻酔薬中毒による死亡事故」の解決のご報告PART4
局所麻酔薬中毒の医療事故の件で、最終回となります。
最後に取り上げたいのは、医療過誤訴訟における鑑定の問題です。
今回の医療事件では、同じペインクリニックの専門医の方に、計5通の鑑定意見書の作成をお願いしました。
あらためて振り返ってみても、極めて的確な意見を伺えたと思いますし、この専門医の協力なくしては本件の解決には至らなかったと実感しておりますので、あらためて心から感謝申し上げたいと思っております。
ただ、裁判の中で難しいのは、裁判官によっては、一方から出される私的鑑定意見書については、どうしても色眼鏡で見る傾向があることです。
重要なことは、私的鑑定か公的鑑定かではなく、内容の信用性であり、きちんとした医学的根拠に基づいた意見が述べられているかのはずなのですが、裁判所は、形式的なところに囚われる傾向があります。
本件でも、PART3で述べたアドレナリンについて、被告側の鑑定医は、「アドレナリンは有用ではない」と堂々と意見を述べているわけで、それのみで見ても、如何に信用性に乏しいかは一目瞭然のはずなのに、長期にわたって裁判所がそれを明言することはありませんでした。
前にも書いたとおり、医療過誤訴訟は、まだ試行錯誤が繰り返されている発展途上の領域であると思っていますが、中には、前のやり方に戻すべきであると強く考えていることがあります。
それは、鑑定医に対する法廷での尋問(鑑定人質問)です。
今の裁判所は、私的であれ、公的であれ、まず、鑑定医への尋問はやろうとしません。
しかし、この「端から尋問をやらない」というスタンスが、いろいろな意味で弊害を生んでいると思います。
たとえば、被告側の鑑定医(中には保険会社のお抱えもいたりします)が、言いたい放題のことを書いても、尋問に呼ばれて反対尋問に晒されることがないとわかっているので、求められるままに虚偽の鑑定意見書を作成して来ます。
翻って、患者側は、意見書をお願いできる医師は、ご自身の見解を曲げて患者側に寄せて書いてくれることはまずもってあり得ないのですが、被告側の鑑定意見書を見せると、「なんで医者がこんなことを書けるのだろう」と絶句されることも決して珍しくはないのです。
医療側から出て来る鑑定意見書のでたらめぶりは、裁判所が「鑑定医に対する尋問をやらない」という流れになって以降、加速している印象があります。
もう一つ、今回の裁判でダメ押しになったと思われる展開があります。
それは、医療事故情報センターが出している「鑑定書集」に、本件の類似案件が掲載されており、それに気づいた私たちが、その事件の原告代理人弁護士に連絡を取ったところ、その裁判が行われていたころは、まだ鑑定医への尋問が実施されていて、この原告代理人弁護士の手元に、当該鑑定医の尋問調書が残っており、それが入手できたということでした。
私たちは、その事件の代理人の好意により入手した尋問調書を分析した上で、証拠として提出することにしました。
この鑑定医は、ペインクリニックの世界ではベテランにあたる方で、私たちがお世話になっているペインクリニックの専門医の方もよくご存じの方でしたが、その方の尋問の中での発言は、私たちが専門医から伺ったこととまったく同じ内容でしたが、やはり尋問で生の言葉で語られているとより説得力が増すように思われました。
私たちの協力医は、最初から、「局所麻酔薬中毒による心停止は、たまに起きることだけれど、慌てないで救命処置を施せば、ほどなくケロッとした感じで蘇生し、何事もなかったように帰宅される」と話していたのですが、尋問調書でも、アドレナリンの有用性を明確に指摘した上で、「「十分な血圧の維持と、人工呼吸などの救命処置を適切に実施し、体内に酸素が行きさえすれば、局所麻酔の作用が消失するにつれ、元通り数時間で回復して、その日のうちに帰宅できている」と、鑑定医自身の臨床経験も踏まえ、明確に証言されていたのです。
今回、あらためて、裁判を振り返ってみた時、この鑑定医の尋問調書は、非常に有用な証拠であるということを強く実感しました。
当然ながら、双方の代理人、そして裁判所からも質問が出され、医師がそれに答えるというやりとりが重ねられているわけで、医師が述べた医学的意見が、尋問に晒され、検証がなされることの有用性は何物にも代え難い価値、説得力があるからです。
あとなんといっても、鑑定医は基本的には真面目な方が多いので、きちんとした医学的知見を踏まえて質問をすると、法廷の場では率直に結論を変えて来られることもあります。
実際のところ、裁判所は、一方では鑑定意見書を重視するような言い方をしますが、そうであれば、その信用性が法廷の場で検証される機会が一定程度は保障される必要があります。
もちろん、すべてのケースでとまでは言いませんが、鑑定医への尋問をやらないことが原則になっているような今の裁判所のやり方は改められるべきと思います。
裁判は、真相を解明し、責任の所在を明らかにするための手続ですから、過度に手続に制約を設けて、その機会を奪うこと等、本末転倒だからです。
医療過誤訴訟のあり方が変われば、医療現場にも良い影響が与えられると信じて止みません。
医療事件日記~「局所麻酔薬中毒による死亡事故」の解決のご報告PART3
PART1で指摘したとおり、本件訴訟では、医療側がもう一つ、明らかに不合理な医学的主張を執拗に展開していました。
それは、局所麻酔薬中毒で心停止になった患者に対し、アドレナリンの点滴投与を行うべきではないという主張でした。
しかし、アドレナリン(エピネフリン)は、冠動脈を拡張し、末梢血管を収縮させるため、血圧を上昇させ、心臓や脳の灌流圧を上げる(血流を増やす)効果があるとされており、また、心筋収縮力増加、心拍数増加、気管支拡張、脱顆粒抑制などの薬理作用によりアナフィラキシーの治療に適しているともされているので、胸骨圧迫(心臓マッサージ、心マ)とあわせて施行すれば脳への血流が増強されることから、二次救命処置として心マ、気管挿管とともに必須の処置であることは医学的に確立された知見ですし、アドレナリンは、その第一選択薬とされています。
この点、被告のクリニックでは、アドレナリンを常置していながら、本件患者の心停止時にアドレナリンを使うことはありませんでしたので、私たちは、その点を踏まえ、適切な救命処置が執られなかったことを医師の注意義務違反として主張したのです。
被告側は、この点に対し、「アドレナリン投与は長期予後を改善せず、投与自体が予後不良因子となるとされ、また生存退院率、中枢神経予後の有意差がないばかりか、悪化したという報告書すらある」などとして、アドレナリン投与を行わなかったこと自体、不適切ではないという主張を展開し始めたのです(ほかにも局所麻酔薬中毒と絡めた主張も行っていますが、それこそ無意味だし、また長くなりますので、ここでは端折ります)。
この被告側の主張を読んで、協力医は唖然としていました。
アドレナリンに上記のような薬理作用があることは明らかで、臨床現場では、心マと並行してアドレナリンを投与すれば、早期の蘇生につながることは臨床現場ではごく常識的なこととされているからです。
現に、本件患者に対しても、救急隊員、そして搬送先の大学病院でもアドレナリンが投与され、自己心拍再開に至っています(すでに重篤な低酸素脳症に陥っており、手遅れではありましたが)。
私たちは、ここでも、医学の常識に反するような被告主張につき、それを論破するためにかなりの時間と労力を割かざるを得なくなりました。
実は調べて行くうちにわかったことですが、被告の「アドレナリンが長期予後を改善しないという報告がある」という主張は議論の前提からして誤りでした。
それは、医療機関外の心停止か医療機関内の心停止かの違いによるものです。
つまり、医療機関内で起きた心停止であれば、通常は心停止後早期に心マやアドレナリン投与が開始されるのに対し、医療機関外で起きた心停止の場合、心マやアドレナリン投与の開始が遅れてしまうことが多いからです。
当然ながら、心停止から救命処置までに時間を要すれば要するほど、脳などの主要臓器がダメージを受けますので、救命の可能性は低下することになります。
結局、長期予後を改善しないという報告は、あくまでも医療機関外での心停止で対応が遅れた場合の比較であり、医療機関内における心停止の場合にはアドレナリン投与の有用性が確認されているのです。
私たちは、そのことを証明するために、海外の文献にまであたり、その翻訳文書までをも証拠として提出するという労を強いられました。
さらに、おまけで触れておきますと、被告側が、「そもそも院外心停止の場合であっても、アドレナリン投与が意味がない」ような主張をしていることについても、多くの協力医の助言も得た上で、それ自体が誤ったものであり、論破すべきと考えました。
なぜならば、医療側の主張が、心停止患者に対し、アドレナリン投与を怠ったことの過ちを認めないための虚構であり、そのようなでたらめな主張が今後の医療過誤訴訟でまかり通るようなことがあってはならないからです。
私たちは、大阪大学において行われたある検証結果の発表を証拠として引用することにしました。
それは、「院外心停止した小児へのアドレナリン投与の有効性を確認した」というものですが、そのポイントは、「蘇生時間バイアス」でした。
蘇生時間バイアスとは、院外心停止で心拍再開が得にくい症例ほど、アドレナリン投与を含む高度の救命処置を受けやすくなるということであり、となると、そのバイアスに修正をかけた検証をしないと、院外心停止におけるアドレナリン投与の有効性が正確に判断できないことになります。
大阪大学では、独自の解析を実施し、バイアスに修正をかけた結果、アドレナリン投与を受けた患者の方が、受けなかった患者より、自己心拍再開は有意に高く、1か月後の生存率、社会復帰率も高い傾向にあることを確認したのです。
以上のとおり、心停止時におけるアドレナリンの有用性は明らかであり、にもかかわらず、医療側が、誤った知見でその有用性を否定し、さらには、一刻を争う場面でアドレナリン投与が躊躇されることなど、万が一にもあってはならないことです。
PART2でも書きましたが、心停止患者に対し、アドレナリンを投与すべきという医学的にはごく当たり前のことが争われ、それを論破するのに膨大な労力を割かなくてはならない今の医療訴訟のあり方には疑問を感じざるを得ません。
PART2で引用した判例の法理を踏まえ、被告側の根拠に乏しい主張を早期に排斥するような裁判所の踏み込んだ姿勢、発想の転換が求められるところです。
私たちは、なんとかたどり着けましたが、アドレナリンの投与がなされないであるとか、遅れてしまったというような症例で、医療側代理人か同種の主張が繰り返されることは今後も危惧されるところです。
医療側代理人は、実質的には保険会社の代理人であり、勝つための戦術を蓄積していると思われるからです。
ここで敢えて丁寧にこのことを取り上げたのは、患者側がそのような戦術に負けないように、あるいは裁判所が「騙されないように」して行く必要があると感じているからです。
ちなみに、被告の医師が、アドレナリンを使用しなかった理由ですが、私たちが訴訟前に話を聞いた時には、医師は「まったく意味ないと思う。むしろ、だって、呼吸が確保できなくて、心臓止まって、点滴入れられないじゃないですか。回ってないんですから、循環が」と答えています。
心臓が止まった状態で脳などの主要臓器への血流を確保するために心マを行うわけですが、この整形外科医は、救急救命措置の意味すら理解していなかったのです。
ペインクリニックの専門医が言われていたことですが、局所麻酔薬を扱う医師は、その危険性や命に関わる事態に陥った時の退所について、あらかじめスタッフの教育も含めた備えをしておかなければならないし、逆にそのような備えができてない医師、医療機関は、局所麻酔薬を扱ってはいけないとまで言っておられました。
医療者の方々は、心して取り組んでいただきたいと強く申し上げておきたいと思います。
神経ブロック、トリガーポイントといった治療は、市中の整形外科医にとっては、日常のルーティーン的な医療行為となっています。
肩こりの治療で命を落とすなんて、やはりどう考えても理不尽なことであり、ここで取り上げることが、事故の回避につながればと願ってやみません。
このお話はもう一回だけ続きます。