医療事件日記~「局所麻酔薬中毒による死亡事故」の解決のご報告PART4
局所麻酔薬中毒の医療事故の件で、最終回となります。
最後に取り上げたいのは、医療過誤訴訟における鑑定の問題です。
今回の医療事件では、同じペインクリニックの専門医の方に、計5通の鑑定意見書の作成をお願いしました。
あらためて振り返ってみても、極めて的確な意見を伺えたと思いますし、この専門医の協力なくしては本件の解決には至らなかったと実感しておりますので、あらためて心から感謝申し上げたいと思っております。
ただ、裁判の中で難しいのは、裁判官によっては、一方から出される私的鑑定意見書については、どうしても色眼鏡で見る傾向があることです。
重要なことは、私的鑑定か公的鑑定かではなく、内容の信用性であり、きちんとした医学的根拠に基づいた意見が述べられているかのはずなのですが、裁判所は、形式的なところに囚われる傾向があります。
本件でも、PART3で述べたアドレナリンについて、被告側の鑑定医は、「アドレナリンは有用ではない」と堂々と意見を述べているわけで、それのみで見ても、如何に信用性に乏しいかは一目瞭然のはずなのに、長期にわたって裁判所がそれを明言することはありませんでした。
前にも書いたとおり、医療過誤訴訟は、まだ試行錯誤が繰り返されている発展途上の領域であると思っていますが、中には、前のやり方に戻すべきであると強く考えていることがあります。
それは、鑑定医に対する法廷での尋問(鑑定人質問)です。
今の裁判所は、私的であれ、公的であれ、まず、鑑定医への尋問はやろうとしません。
しかし、この「端から尋問をやらない」というスタンスが、いろいろな意味で弊害を生んでいると思います。
たとえば、被告側の鑑定医(中には保険会社のお抱えもいたりします)が、言いたい放題のことを書いても、尋問に呼ばれて反対尋問に晒されることがないとわかっているので、求められるままに虚偽の鑑定意見書を作成して来ます。
翻って、患者側は、意見書をお願いできる医師は、ご自身の見解を曲げて患者側に寄せて書いてくれることはまずもってあり得ないのですが、被告側の鑑定意見書を見せると、「なんで医者がこんなことを書けるのだろう」と絶句されることも決して珍しくはないのです。
医療側から出て来る鑑定意見書のでたらめぶりは、裁判所が「鑑定医に対する尋問をやらない」という流れになって以降、加速している印象があります。
もう一つ、今回の裁判でダメ押しになったと思われる展開があります。
それは、医療事故情報センターが出している「鑑定書集」に、本件の類似案件が掲載されており、それに気づいた私たちが、その事件の原告代理人弁護士に連絡を取ったところ、その裁判が行われていたころは、まだ鑑定医への尋問が実施されていて、この原告代理人弁護士の手元に、当該鑑定医の尋問調書が残っており、それが入手できたということでした。
私たちは、その事件の代理人の好意により入手した尋問調書を分析した上で、証拠として提出することにしました。
この鑑定医は、ペインクリニックの世界ではベテランにあたる方で、私たちがお世話になっているペインクリニックの専門医の方もよくご存じの方でしたが、その方の尋問の中での発言は、私たちが専門医から伺ったこととまったく同じ内容でしたが、やはり尋問で生の言葉で語られているとより説得力が増すように思われました。
私たちの協力医は、最初から、「局所麻酔薬中毒による心停止は、たまに起きることだけれど、慌てないで救命処置を施せば、ほどなくケロッとした感じで蘇生し、何事もなかったように帰宅される」と話していたのですが、尋問調書でも、アドレナリンの有用性を明確に指摘した上で、「「十分な血圧の維持と、人工呼吸などの救命処置を適切に実施し、体内に酸素が行きさえすれば、局所麻酔の作用が消失するにつれ、元通り数時間で回復して、その日のうちに帰宅できている」と、鑑定医自身の臨床経験も踏まえ、明確に証言されていたのです。
今回、あらためて、裁判を振り返ってみた時、この鑑定医の尋問調書は、非常に有用な証拠であるということを強く実感しました。
当然ながら、双方の代理人、そして裁判所からも質問が出され、医師がそれに答えるというやりとりが重ねられているわけで、医師が述べた医学的意見が、尋問に晒され、検証がなされることの有用性は何物にも代え難い価値、説得力があるからです。
あとなんといっても、鑑定医は基本的には真面目な方が多いので、きちんとした医学的知見を踏まえて質問をすると、法廷の場では率直に結論を変えて来られることもあります。
実際のところ、裁判所は、一方では鑑定意見書を重視するような言い方をしますが、そうであれば、その信用性が法廷の場で検証される機会が一定程度は保障される必要があります。
もちろん、すべてのケースでとまでは言いませんが、鑑定医への尋問をやらないことが原則になっているような今の裁判所のやり方は改められるべきと思います。
裁判は、真相を解明し、責任の所在を明らかにするための手続ですから、過度に手続に制約を設けて、その機会を奪うこと等、本末転倒だからです。
医療過誤訴訟のあり方が変われば、医療現場にも良い影響が与えられると信じて止みません。
医療事件日記~「局所麻酔薬中毒による死亡事故」の解決のご報告PART3
PART1で指摘したとおり、本件訴訟では、医療側がもう一つ、明らかに不合理な医学的主張を執拗に展開していました。
それは、局所麻酔薬中毒で心停止になった患者に対し、アドレナリンの点滴投与を行うべきではないという主張でした。
しかし、アドレナリン(エピネフリン)は、冠動脈を拡張し、末梢血管を収縮させるため、血圧を上昇させ、心臓や脳の灌流圧を上げる(血流を増やす)効果があるとされており、また、心筋収縮力増加、心拍数増加、気管支拡張、脱顆粒抑制などの薬理作用によりアナフィラキシーの治療に適しているともされているので、胸骨圧迫(心臓マッサージ、心マ)とあわせて施行すれば脳への血流が増強されることから、二次救命処置として心マ、気管挿管とともに必須の処置であることは医学的に確立された知見ですし、アドレナリンは、その第一選択薬とされています。
この点、被告のクリニックでは、アドレナリンを常置していながら、本件患者の心停止時にアドレナリンを使うことはありませんでしたので、私たちは、その点を踏まえ、適切な救命処置が執られなかったことを医師の注意義務違反として主張したのです。
被告側は、この点に対し、「アドレナリン投与は長期予後を改善せず、投与自体が予後不良因子となるとされ、また生存退院率、中枢神経予後の有意差がないばかりか、悪化したという報告書すらある」などとして、アドレナリン投与を行わなかったこと自体、不適切ではないという主張を展開し始めたのです(ほかにも局所麻酔薬中毒と絡めた主張も行っていますが、それこそ無意味だし、また長くなりますので、ここでは端折ります)。
この被告側の主張を読んで、協力医は唖然としていました。
アドレナリンに上記のような薬理作用があることは明らかで、臨床現場では、心マと並行してアドレナリンを投与すれば、早期の蘇生につながることは臨床現場ではごく常識的なこととされているからです。
現に、本件患者に対しても、救急隊員、そして搬送先の大学病院でもアドレナリンが投与され、自己心拍再開に至っています(すでに重篤な低酸素脳症に陥っており、手遅れではありましたが)。
私たちは、ここでも、医学の常識に反するような被告主張につき、それを論破するためにかなりの時間と労力を割かざるを得なくなりました。
実は調べて行くうちにわかったことですが、被告の「アドレナリンが長期予後を改善しないという報告がある」という主張は議論の前提からして誤りでした。
それは、医療機関外の心停止か医療機関内の心停止かの違いによるものです。
つまり、医療機関内で起きた心停止であれば、通常は心停止後早期に心マやアドレナリン投与が開始されるのに対し、医療機関外で起きた心停止の場合、心マやアドレナリン投与の開始が遅れてしまうことが多いからです。
当然ながら、心停止から救命処置までに時間を要すれば要するほど、脳などの主要臓器がダメージを受けますので、救命の可能性は低下することになります。
結局、長期予後を改善しないという報告は、あくまでも医療機関外での心停止で対応が遅れた場合の比較であり、医療機関内における心停止の場合にはアドレナリン投与の有用性が確認されているのです。
私たちは、そのことを証明するために、海外の文献にまであたり、その翻訳文書までをも証拠として提出するという労を強いられました。
さらに、おまけで触れておきますと、被告側が、「そもそも院外心停止の場合であっても、アドレナリン投与が意味がない」ような主張をしていることについても、多くの協力医の助言も得た上で、それ自体が誤ったものであり、論破すべきと考えました。
なぜならば、医療側の主張が、心停止患者に対し、アドレナリン投与を怠ったことの過ちを認めないための虚構であり、そのようなでたらめな主張が今後の医療過誤訴訟でまかり通るようなことがあってはならないからです。
私たちは、大阪大学において行われたある検証結果の発表を証拠として引用することにしました。
それは、「院外心停止した小児へのアドレナリン投与の有効性を確認した」というものですが、そのポイントは、「蘇生時間バイアス」でした。
蘇生時間バイアスとは、院外心停止で心拍再開が得にくい症例ほど、アドレナリン投与を含む高度の救命処置を受けやすくなるということであり、となると、そのバイアスに修正をかけた検証をしないと、院外心停止におけるアドレナリン投与の有効性が正確に判断できないことになります。
大阪大学では、独自の解析を実施し、バイアスに修正をかけた結果、アドレナリン投与を受けた患者の方が、受けなかった患者より、自己心拍再開は有意に高く、1か月後の生存率、社会復帰率も高い傾向にあることを確認したのです。
以上のとおり、心停止時におけるアドレナリンの有用性は明らかであり、にもかかわらず、医療側が、誤った知見でその有用性を否定し、さらには、一刻を争う場面でアドレナリン投与が躊躇されることなど、万が一にもあってはならないことです。
PART2でも書きましたが、心停止患者に対し、アドレナリンを投与すべきという医学的にはごく当たり前のことが争われ、それを論破するのに膨大な労力を割かなくてはならない今の医療訴訟のあり方には疑問を感じざるを得ません。
PART2で引用した判例の法理を踏まえ、被告側の根拠に乏しい主張を早期に排斥するような裁判所の踏み込んだ姿勢、発想の転換が求められるところです。
私たちは、なんとかたどり着けましたが、アドレナリンの投与がなされないであるとか、遅れてしまったというような症例で、医療側代理人か同種の主張が繰り返されることは今後も危惧されるところです。
医療側代理人は、実質的には保険会社の代理人であり、勝つための戦術を蓄積していると思われるからです。
ここで敢えて丁寧にこのことを取り上げたのは、患者側がそのような戦術に負けないように、あるいは裁判所が「騙されないように」して行く必要があると感じているからです。
ちなみに、被告の医師が、アドレナリンを使用しなかった理由ですが、私たちが訴訟前に話を聞いた時には、医師は「まったく意味ないと思う。むしろ、だって、呼吸が確保できなくて、心臓止まって、点滴入れられないじゃないですか。回ってないんですから、循環が」と答えています。
心臓が止まった状態で脳などの主要臓器への血流を確保するために心マを行うわけですが、この整形外科医は、救急救命措置の意味すら理解していなかったのです。
ペインクリニックの専門医が言われていたことですが、局所麻酔薬を扱う医師は、その危険性や命に関わる事態に陥った時の退所について、あらかじめスタッフの教育も含めた備えをしておかなければならないし、逆にそのような備えができてない医師、医療機関は、局所麻酔薬を扱ってはいけないとまで言っておられました。
医療者の方々は、心して取り組んでいただきたいと強く申し上げておきたいと思います。
神経ブロック、トリガーポイントといった治療は、市中の整形外科医にとっては、日常のルーティーン的な医療行為となっています。
肩こりの治療で命を落とすなんて、やはりどう考えても理不尽なことであり、ここで取り上げることが、事故の回避につながればと願ってやみません。
このお話はもう一回だけ続きます。
医療事件日記~「局所麻酔薬中毒による死亡事故」の解決のご報告PART2
前回に続いて、「局所麻酔薬中毒による死亡事故」に関する解決のご報告をさせていただきます。
PART1でも触れたとおり、裁判の中で、被告側は、事故の時系列を後にずらすような主張を延々と繰り返していました。
本件では明らかに無理筋なのでさすがにやって来ないだろうと思っていたのですが、予期に反しました。
実は、このような「時系列をあとずらしする」というのは、別件でもありましたが、実際の医療側の対応としては常とう手段のようになっているのではと感じるところがあります。
なぜかといいますと、全体があとにずれれば、急変の時刻も後にずれることになり、過失の点でも被告に有利に働きやすいし、結果回避の可能性もまた低下する可能性が高くなってくるからです。
しかし、私たち患者側代理人にとっては、医療過誤訴訟は単に勝ち負けを争うゲームの類ではありません。
事故の真相を解明し、責任の所在を明らかにすることが何よりも重要なことだからです。
しかし、全てとはいいませんが、残念ながら、医療側の代理人の中には、真相が曖昧なままで、有責性の心証を裁判所に抱かせなければ勝ちと考える、ゲーム感覚のような弁護士が少なからずいるように感じます。
実際、ある医療側の著名な事務所の弁護士が、法廷の場で、「真相究明のために活動しているわけではない」と堂々と発言していて、勝ち負けが優先という発想に立てば、なんでもありなのかとすごく嫌な気持ちになったことがあります。
とにかく、これまでにも、時系列がずらされてしまうということは幾度かありましたが、今回の訴訟でも、まさに、30分前後の時間のずれが訴訟上で一つの争点になってしまったのです。
救急要請の時刻は消防署の救急活動報告書の記載で明白なので、それまでの時間、医療側が何をしていたのかが問われることになりますし、午前9時半より以前の急変であれば、30分もの間何をしていたのかということになりますから、被告側にしてみると、責任を免れるためにはそういうしかなかったのかもしれません。
しかし、被告側の時系列主張を裏付ける客観的な証拠はありませんので、さすがに裁判所も、この被告側の荒唐無稽な主張を早々に排斥してくれるものと考えていましたが、そこに至るまでに5年もの年月を要したのです(その間に、原告となっていた、死亡した患者のお母さんは亡くなられてしまいましたから、その無念を思うとなおさら残念でなりません)。
私たちが、医療過誤訴訟を扱っていて、非常なストレスを感じるのはこの点です。
一般の訴訟であれば、原告であれ、被告であれ、客観的な裏付けなくそのような主張を行えば、裁判所は、訴訟経済の観点も踏まえ、早期に心証開示をして来ることがありますが、医療過誤訴訟では、裁判所はとたんに慎重、もっといえば臆病になります。
医療側が荒唐無稽と言えるような主張をあちこちで繰り返ししているのは、医療訴訟における裁判所の慎重姿勢を見越した上のことかもしれません。
ところで、この訴訟の中で、私たちは、ある法的主張を行っています。
それは、神経減圧術後の脳内血腫による死亡という医療事故に関する平成11年3月23日付最高裁判決を踏まえたものです。
かいつまんで同判決を引用しますが、同判決では、「(患者の)健康状態、本件手術の内容と操作部位、本件手術と病変との時間的近接性、神経減圧術から起こり得る術後の合併症の内容と症状、血腫等の病変部医等の諸事実は、通常人をして、本件手術後まもなく発生した小脳内出血等は、本件手術中の何らかの操作上の誤りに起因するのではないかとの疑いを強く抱かせるものというべきである」との判示がなされ、さらに、医療側の他原因の可能性に関する主張については、「本件手術の施行とその後の脳内血腫の発生との関連性を疑うべき事情が認められる本件においては、他の原因による血腫発生も考えられないではないという極めて低い可能性があることをもって、本件手術の操作上に誤りがあったものと推認することはできない(と認定することは)経験則ないし採証法則違背(にあたる)」との判示がなされています。
この最高裁判決の言わんとするところは、「その事案におけるある悪しき結果が、医療側のミスによるものであると、通常人をしてそのような疑いを抱かせるものであれば、被告による『可能性の低い他原因主張』をもって医療側の責任を否定することは経験則違反ないし採証法則違背となる」としたものであり、事実上の主張立証責任の転換がなされたものと受け止められています。
実際、冷静に考えてみれば、ある患者が医療機関内で急変して死亡した場合に、その死因について、被告側が様々な可能性をあげつらって来た時に、その可能性をあまねく否定しきることは決して容易なことではありませんから、当然の法理といえます。
医療裁判における主張立証責任のあり方については、まだまだ発展途上ではありますが、医療側の主張に惑わされず、まずはメインコースを検証することで、裁判所が、通常人をして「ある一定の経過を辿り、医療側のミスによって悪しき結果が生じた」との疑いを強く抱けるか否かに主眼を置いて、心証形成に努めるという姿勢で臨むことが肝要なのだと強く思います。
そういう姿勢で訴訟に臨んでもらうことで、医療側のおかしな主張に惑わされることなく、的確で速やかな訴訟活動が可能になると考えるからです。
さらにPART3に続きます。
医療事件日記~「局所麻酔薬中毒による死亡事故」解決のご報告PART1
横浜地方裁判所に係属しておりました「局所麻酔薬中毒による死亡事故」の医療過誤訴訟が、患者の死亡が被告医師の過失によるものであることが明確に認められ、非常に高水準の和解金を被告側が支払うことで裁判上の和解が成立し、解決の運びとなりましたので、その顛末を含め、ご報告させていただきます。
なお、本件につきましては、箕山榎本総合法律事務所の先生方と共同で取り組んでまいりましたので、最初に信頼してお声がけいただいたことも含め、同事務所の箕山弁護士、榎本弁護士、西田弁護士にも心から感謝申し上げたいと思っております。
初めにお断りいたしますと、私たちが扱った事件についてご報告させていただく趣旨は、何よりも同種の医療事故の発生を防ぐために、それが有用なことと考えるからにほかなりません。
事故の経過を検証する中で、なぜこのような事故が起きたか、また、どうやったら死亡という最悪の結果が避けることができたかについて様々な教訓を得ることができます。
それを広く知ってもらうことが、同種事故の再発防止につながると信じて止みません。
もちろん、医療事故調査・支援センターの活動や、個々の医療者、あるいは病院などでも取り組まれている事故防止に向けた様々な試みがあり、そのことには常々敬意を表したいと考えているところではありますが、個々の医療事故が事件として顕在化し、その中で明らかになった事故の経緯に関する事実や交渉や訴訟などの経過やその結末もまた、それとは違った意味で得るべき教訓があり、事故の再発防止に資するはずだからです。
あと、もう一点、交渉、裁判を通じての医療側代理人の争い方がどのようなものであったかを形に残しておくこともまた、医療事故発生後の交渉や訴訟手続のあり方を含め、不毛な紛争を避ける意味でやはり教訓にすべき点があると考えております。
特に、医療事故訴訟はまだまだ未成熟な領域です。
実際、訴訟手続に関わっていても、まだまだ試行錯誤が続いていると感じますし、中には、真相解明という観点から見て逆行していると感じるような実務の運用も少なからずあります。
多くの場合、裁判所、そして個々の裁判官も非常に努力されていると感じてはいるのですが、実際には、訴訟手続の進め方、主張立証責任の分配の問題も含め、改善されるべき点は非常に多いというのが率直な感想です。
ですので、私たちが経験したことをお伝えし、また改善すべき問題点を指摘することは、医療訴訟のあり方に良い影響を与えるに違いないと確信しているところでもあります。
本件事故では、まさしくそうした裁判所の手続や主張立証責任の分配の問題等について、いろいろと考えさせられる局面もありましたので、そのことも含め、本文中で触れて行きたいと思います。
本文に入る前にもう一点指摘しておきます。
私たちは、あくまで、事故の真相究明、被害者の救済、事故の再発防止を目的に取り組んでおりますので、個々の医療者、医療機関の実名を取り上げて、やり玉に挙げるようなことは原則として行わない方針で臨んでいます(もちろん、事件の内容や事故後の対応によって例外がないわけではありませんが、それでも事件が終了した時点では「ノーサイド」の精神で向き合いたいと考えています)。
医療者の方々も本稿をご覧になることがあるかもしれませんし、それは私たちの希望でもありますが、私たちの取り組みの趣旨を重々ご理解いただきますよう、どうかよろしくお願い申し上げます。
なお、本稿は非常に長くなりますので、今回はPART1ということになります。
本件は平成24年に市中の整形外科クリニックにおいて起きた医療事故です。
若く健康な青年が、肩こりの治療で、地元の整形外科クリニックでトリガーポイント注射を施行してもらったところ、使用した局所麻酔薬が頚動脈内に誤って注入されてしまい、局所麻酔薬が脳の中枢に作用して、施術の直後に意識消失から心停止となり、その後救急要請がなされたものの、低酸素脳症となり、死亡するに至ったという事故です。
トリガーポイント注射とは、神経ブロック注射と似た治療ですが、圧痛点に局所麻酔薬を注射して痛みやしびれなどの症状を軽快させるという治療です。
ただ、使用されるリドカイン(薬品名キシロカイン)等の局所麻酔薬には神経毒性があり、脳への中枢に作用すると、少量でも意識消失、心停止に陥らせる危険があるのですが、そのことは麻酔科、ペインクリニックの領域ではごく基本的な医学的知見なのです。
ほかにもアナフィラキシーショックや迷走神経反射といった症状を引き起こすことが知られていますが、極めた短時間の内に心停止という事態を生じさせることになります。
受任後、本件患者の死亡がどのような機序で生じ、医療者としてどのような注意を払わなくてはならないかを解明するために、私たち代理人は、証拠保全後、ペインクリニックの専門医に相談しました。
局所麻酔薬中毒の具体的な機序は、血管内への誤注入のみで生じるわけではありませんし、そもそも、局所麻酔薬中毒を生じさせたこと自体が過失になるのではないかという問題もありますので、個々の症例に応じた具体的な検証が必要でした。
この点、相談したペインクリニックの専門医の意見は極めて明快なものでした。
まず、機序の点については、トリガーポイント注射で使用した局所麻酔薬が誤って頚動脈内に注入されると、極めて短時間で脳の中枢に作用するため、誤注入の直後に、意識消失となって心停止に至るということで、本件の場合、そのような機序を辿ったことに疑う余地はないとのことでした。
実際、このような機序の点については、本件では、当初、被告側も争う姿勢は見せていたものの、途中でそれを認める姿勢に転じています。
次に、過失の点ですが、大きく分けて2点が問題となります。
まず、誤注入させたこと自体の過失です。
患者にしてみれば、肩こりの治療のつもりで整形外科クリニックに行って心停止に至るなんてことはあり得ないような話であり、誤注入させたこと自体がとんでもないことともいえます。
実際の注射の手技では、バックフローといって、注射管への血液の逆流の有無をチェックすることが必要であり、また注入量を少なめにするなどの対処が生じさせたこと自体に重大な過失があるのではないかと考えました。
ただ、相談したペインクリニックの専門医は、どんなに注意しても、誤注入のリスクを100%排除することはできないとのことで、バックスフローなどの慎重な手技を怠ったことが明らかな場合以外は、それ自体を過失と問うのは難しいかもしれないという話もされておりました。
しかし、いずれにしても、トリガーポイント注射や神経ブロック注射には誤注入による心停止を引き起こすリスクが存する以上、それらの手技を行う医師が、適切な救命処置を執るべきは当然なので、その点の過失は明らかであるし、それさえ適切に実施されていれば当然に救命できたはずであるというのが専門医の見解でした。
そこで、私たちは、適切な救命処置が執られなかったことを医師の注意義務違反(過失)として構成し、平成28年に訴訟提起に踏み切りました。
訴訟が開始されると、クリニック側からは驚くべき主張が出て来ました。
一つは、心停止時にアドレナリン(エピネフリン)を投与しなかったことが救命処置として不適切ではないという主張であり、それ自体、明らかに誤った主張なのですが、この点については後で取り上げます。
もう一つの驚くべき主張というのは、事故発生の時系列に関する事実主張でした。
実は、搬送先の大学病院に被告医師が同行しており、搬送先で、トリガーポイント注射の実施時刻については午前9時20分と説明していましたし、私たちが一度話を聞いた時も、被告医師は、注射の時刻は午前9時半前後と説明していました。
一方、急変後、実際に救急要請(119番通報)がなされたのは午前9時55分のことでした。
そのため、その間に行ったとされる救命処置が不適切なものであることや救急要請の遅れを指摘したのです。
ところが、被告は、訴訟の中で、急変した時刻が午前9時55分頃であり、急変の時点で直ちに救急要請をしたという主張を展開してきたのです(注射直後の急変という前提があるので、注射の時刻もそれに近接した時刻という主張になります)。
しかし、被告側主張は、事実経過としても不自然であり、被告医師自身の事故直後の説明とも矛盾しているわけですから、どう見ても無理がありました。
ただ、問題なのは、このような荒唐無稽ともいえるような被告側の時系列主張について、裁判所がそれを明確に排斥しないまま、訴訟が5年目にまで突入してしまったことでした(もちろん、私たちはその間に様々な主張立証活動を重ねています)。
期日が重ねられる中で、いったんは、当時の裁判体の部長が、被告側の時系列に関する主張には無理があるとして、時系列について心証を得たような発言をしましたが、その裁判官が転勤で交代すると、まるでその心証開示がなかったかのように白紙に戻り、以後も被告側はこの時系列に関する荒唐無稽な主張をひっこめることはありませんでした。
結論的には、裁判所が原告勝訴の心証を開示して被告側の不合理な時系列主張は排斥されて和解にこぎつけることができましたが、この訴訟には色々な意味で得るべき教訓があります。
いくつかのポイントに分けてそのことを取り上げてみたいと思いますが、長くなりましたので、PART2へと続きます。
医療事件日記~病院内での入浴中の溺死事故に関する提訴のご報告
このたび、神奈川県内のある総合病院における入浴中の溺死事故について提訴の運びとなりましたので、ご報告させていただきます。
同事件は、かなり前の事故ですが、まったく別事情で提訴に時間がかかり、やっと提訴となりました。
事件の概略ですが、70台の高齢の男性が地元の総合病院に入院となって数日後に、単独で入浴したところ、浴槽内で溺死した状態で発見されたというものです。
この男性は、事故以前から糖尿病と認知症に罹患しておられ、本件事故の少し前にも自宅内で倒れているところを発見され、事故が起きた同じ病院に入院し、その際には入浴は許可されず、清拭のみだったという経緯があり、また、事故が起きる入院の時点で、同じ病院のケースワーカーから店頭の恐れが報告されていたという経緯がありました。
いうまでもなく、糖尿病患者は、低血糖であれ、高血糖であれ、意識消失やふらつきが起きるなどのリスクを抱えていますし、認知症患者も同様です。
それゆえ、本事件の場合、医療側としては、このような転倒や意識消失のリスクの高い患者を単独で入浴させることを許可することが医療者としての注意義務違反にあたるとして、病院側に責任を認めるよう求めましたが、病院側が過失を否定したため、今回の提訴に至ったものです。
超高齢化社会となった日本においては、医療機関であれ、福祉施設であれ、今後、同種の事故が起きる可能性は非常に高くなっています。
私たちは、裁判を通じて、本件のような事故が起きないようにするために、医療者、福祉関係者としてどのような対応をすべきかということについて、可能な限りの問題提起を行い、警鐘を鳴らして行きたいと考えております。
というわけで、この裁判の経過については、今後、節目節目でご報告してまいりたいと思います。