事務所トピックス

日々雑感~小林製薬の「紅麹」の問題

葵法律事務所

小林製薬が生産した「紅麹」による腎機能障害の問題は、死者、感染者数も日を追って増え、さらに計170社もの企業に他の企業にも小林製薬が生産した紅麹が提供されており、今後の影響がどうなるか予断を許さず、底なしの様相を見せています。
この事件のニュースに触れて、いくつか考えてみたこともありますので、ここで取り上げてみます。

そもそも、腎臓は体内で産生、吸収された代謝産物,化学物質,薬剤等を濃縮し,排泄する、小さいながら非常に重要な臓器ですが、それだけに薬剤等の影響で腎障害をきたしやすいというリスクを抱えています。
事件の関係で調べたこともありますが、薬剤等の影響で腎障害をきたしやすい理由については、腎臓への血流量が豊富なため(心拍出量の25%程度といわれてるそうです)、薬物も当然多く流入してしまうであるとか、メカニズム的に薬物が上皮細胞に取り込まれやすい仕組みがあり、構造的にも薬物の濃度が上昇して毒性域に到達しやすい等、薬物の影響で腎障害が誘発されやすいといった機序があるということです。
実際、小林製薬の事件では、急性尿細管間質性腎炎に罹患されているとの報道がありますが、薬剤性の腎機能障害の約半数は急性尿細管間質性腎炎という病態を示すそうです。
実は、当事務所で扱っている事件でこれから提訴予定の症例の中に、抗菌薬の選択を誤ったために急性の腎不全をきたして亡くなられたという医療事故があります。
同症例では、バンコマイシンとゲンタマイシンの組み合わせによって、腎障害の増悪を招く副作用が助長され、約20日の連続投与で末期的な急性腎不全をきたすに至ったのですが、事程左様に、薬剤性腎障害はまさに命に関わる重大な病態といえるわけです。

ところで、小林製薬の問題では、事実経過が徐々に明らかになっている途中で、まだはっきりしない点が多くありますが、問題の紅麹が生産された大阪の工場が昨年12月に閉鎖されたとのことです。
また、当該の紅麹ですが、ここにきて、その中から「プベルル酸」が検出されたという報道が出てきました。聞き慣れない名前ですが、どうやら青かびから産生されるもののようです。
もっとも、小林製薬はずっと未知の物質であるがごとき発表をしており、「プベルル酸」との特定は厚労省の発表で出てきたものですから、小林製薬の情報開示の姿勢にはやはり疑念があります(今年2月頃には株価が暴落したという報道もあり、インサイダーではないかとの声も上がっており、疑問は尽きません)。

ちょっと話を戻しますと、今回の報道を見ているうちに、当事務所で扱っている別の医療事件とちょっと状況が似ているところがあると思い至りました。
その事件というのは、白内障の手術後に感染性眼内炎を発症したという症例に関するものですが、実は、当事務所の依頼者以外にも、同じ日に白内障手術を受けた人に感染性眼内炎を発症した人が複数いたことから、手術との関連が疑われたのです。
あとになって、患者の感染の起因菌が、実はは真菌、つまりカビ菌だったことが明らかになるのですが、当該眼科の手術室の壁の巾木から真菌が検出されていたのです。
つまりは、手術室が不衛生であったため、カビ菌が繁殖して何らかの形で患者に感染したという機序が明らかとなったわけです。

小林製薬の事件の起因物質がカビに由来するものであることからすると、上記の事件と同じく、生産現場が不衛生なために紅麹の生産過程で青かびあるいはそこからできた「プベルル酸」が入り込み、増殖した可能性が考えられます。
青かびは湿気が高く、空気が澱むような場所であればどこでも発生するからです。
とすると、大阪工場の閉鎖が問題の発覚に近接した時期である去年12月だったことは、もしかすると証拠隠滅なのではないかと疑われても仕方のないところといえます。
生産現場が不衛生であったか否か、青かびが繁殖していたか否かは、現場を検証すれば明らかになる可能性があるのに、肝心の工場が閉鎖されてしまっては、その検証は容易でなくなるからです。

もちろん、まだまだわからないことだらけです。
「プベルル酸」はかなり毒性の強い物質のようですが、腎機能への影響についてはまだはっきりしない点があるとのことですし、青かびから「プベルル酸」が生成される機序の解明もまだだからです。

しかし、あらためて考えてみると、継続的に摂取されることの多いサプリの人体への影響は決して軽視できないものです。
今日日、猫も杓子も、健康のためにサプリを摂取するのが当たり前になっていますが、その安全性についてはわからないことが多いというだけでなく、実質的には野放しの状態といっても過言ではありません。
特に、今回の小林製薬の商品は、機能性表示食品と、もっともらしくカテゴライズされていますが、早い話、当該企業の自主申告(届出のみ)でそのように謳えるわけで、公的な機関による審査がなされないわけですからなおさらです(ちなみに、この機能性表示食品も安倍政権の時に認められたものです)。

私たち消費者が流通する情報を鵜呑みにせず賢くならなくてはならないことはそのとおりですが、健康や命に関わる食品やサプリ、飲料等の安全性のチェックが公的な形で担保される仕組みは必須なのだとあらためて痛感します。

2024年03月30日 > トピックス, 日々雑感

日々雑感~能登半島地震と「流体」「活断層」のことPart2

弁護士 折本 和司

Part1からの続きですが、能登半島のエリアは、今回の地震が来る前には、国が作成する地震マップ上では、危険な活断層がないことになっていました。

また、一昨年の群発地震の際も、地震調査委員会の平田という委員長は、「今後も、しばらくは同程度の規模の地震が起きる可能性がある」と通り一遍の見解を述べるだけで、今回も同じ人物が同じような発言を繰り返していました。

しかし、Part1でも指摘したとおり、その時点ですでに、金沢大、京大あたりの研究者は、「流体」の存在に着目し、さらなる巨大地震、さらには津波の危険にまで言及していたわけですから、地震調査委員会の認識が不十分であったことは明らかだし、委員会の存在意義が疑われてもおかしくない失態なのではないでしょうか(多くの方が亡くなっているのですから、せめて、委員会の認識が甘かったくらいのことを言って頭を下げるくらいのことはしてほしいと思いました)。

そこからさらに考えたことがあるのですが、それは、地震予知でしきりに使われる「活断層」という言葉の意味の曖昧さです。

これって、本当に自然科学的にみて、正しく使われている言葉なのでしょうか。

たとえば、ここのところで起きている巨大地震のうち、「活断層」のずれで起きたとされるものは、長野県北部地震と熊本地震のみだそうで(東日本大震災は発生の機序が異なります)、それ以外は、今回の能登半島地震も含め、活断層があると事前に指摘されていない場所で起きているのだそうです。

となると、断層を活断層とそうでないものに分けることに何の意味があるのかという疑問が湧いて来ます。

もちろん、活断層がある場所では地震への備えに心がけるという啓発的な意味はあるのでしょうが、これから断層がずれる可能性があるかなんて、今の科学のレベルでは厳密に判断できないというのが本当のところではないでしょうか。

実際、今回の能登半島地震が起きたメカニズムが「流体」の影響によるものだとした場合、「活」断層か否かは、何の意味もないのかもしれません。

平松教授らによると、地下の流体は、東京ドーム23杯分もあったそうで(それがわかることがすごいですが)、それが海底の断層に入り込んで断層を押し広げ、ずれを招いたというのですから、流体の行方次第ということになり、流体が入り込む余地のある断層さえあるなら、何処であれ、今回のような地震は起き得るということになるからです。

ところで、「活断層」か否かは、日本の将来を左右する重要な場面で、意味を与え続けられて来ました。

それは原発の再稼働を認めるかどうかという場面でのことです。

政府の原子力規制委員会は、原発の立地が活断層の上ということでなければ再稼働を認めるという方針を取っており、電力会社側は、「指摘された断層は活断層ではない」という検証の報告書を提出して、再稼働に持って行こうとしている現状があります。

しかし、実際の巨大地震が、活断層と位置付けられてない場所で起きるというのであれば、そんな基準や議論には何の意味もないことになります。

実際、能登半島にあり、かなりの被害を受けたとされる志賀原発の再稼働に関する審査で、象徴的ともいえる茶番のような事態が起きています。

敬意をたどると、2012年ころ、志賀原発の敷地内に活断層があるのではという指摘があり、その後、国も活断層との認識を示していました。

ところが、その後、北陸電力側が、調査報告書を提出して、去年の原子力規制委員会で、いったんは国が認めた「活断層」との認識をひっくり返し、「活断層ではない」として、再稼働の方向に舵を切るという、今から見れば、明らかな失態を犯しました。

地下の流体が断層を押し広げて、断層のずれを引き起こすというメカニズムを前提に考えると、定義の曖昧な「活」断層か否かで、再稼働を認めるなんてもはや茶番というほかありません。

原発規制委員会の審査のあり方の根本が問われているといっても過言ではないでしょう。

前にもそういう表現を使ったことがありますが、原発は、「動かない(動かせない)核兵器」です。

実際、かつて宮崎駿監督はこんなにも多くの原発がある日本が戦争なんかできるわけがないと言っておられますし、北朝鮮は、日本と戦争になれば、原発にミサイルを撃ち込むと挑発していたこともあります。

戦争のことはともかく、もし、万が一にも、福島原発で起きたような事態が再び起きれば、その周辺が根こそぎ廃墟となることは避けられず、本当に取り返しのつかないことになります(実際、福島の現実は取り返しのつかないものです)。

今回は、たまたま海底の断層がずれましたが、志賀原発の直下あるいは近辺の断層がずれて、海底が数メートルも隆起すれば、電源喪失どころか、建屋が破壊され、メルトダウンは必至だったはずです(再稼働に反対する人の粘り強い運動がなく、再稼働となっていたら、今回の地震の影響でより重大な被害が出ていた可能性だって否定できません)。

原発の再稼働で議論されているような電源喪失を防ぐ体制のあるなしの次元ではないのです。

また、能登半島のほんの少し南西側には、いわゆる「原発銀座」があります。

そこに、今回のような巨大地震が直撃すればどうなるでしょうか。

関西圏、北陸圏は壊滅の危機に瀕するでしょうから、想像するだけで空恐ろしいことです。

所詮、原子力規制委員会も、地震調査委員会も、原発を推進しようとする今の自民党政府の関係機関にすぎません。

巨大な震える舌の上に乗っかっている日本列島に生きている以上、いつどこで巨大地震に見舞われるかわからないわけで、「活断層」なんて紛らわしい言葉でもって、国民を欺くのはもうやめて、すべての原発の稼働を停止していく方向へと政策転換すべきです。

今回の能登半島地震のことで、もう一つ強く感じたことがあります。

それは、地震が起きた後の援助、サポート体制が如何に脆弱であるかということです。

地震が起きた直後の救援活動の初動の遅さの問題もありますが、それだけでなく、今回のようにインフラが壊滅状態になったときに、現地で苦しんでいる人たちのことが連日カメラが入って報道されているにもかかわらず、なぜそれが未だに解消されないままなのかという備えの脆弱さについてです。

能登半島からちょっと外れた場所では、何事もなかったように人々は暮らしています。

もちろん、どこにいても、多くの人が日々の生活、仕事に追われていますから、それは致し方のないことでもあります。

ただ、地震や洪水などの重大な被害は、決して他人事ではありません。

それゆえ、起きてからの対応ということではなく、たとえば、水や食料、さらには住む場所の確保の問題あたりについては、災害が起きるよりもっと前の段階で、より広域で対応を考えておくべきことではないでしょうか。

実際、日本の人口は、すでに減少しかけており、あちこちで過疎化が進んでいますから、いざとなったときに、緊急で避難する人を受け入れる体制をあらかじめ構築しておくことは十分に可能だし、特に、地震や洪水などの甚大な被害は毎年のように起きているわけですから、それこそ、いざというときに何の役に立たず、政治的な思惑に左右されるだけの「何とか委員会」なんかより、そういう仕組みを優先的に作って、その時に備えておくべきと思います。

まあ、裏金工作で、如何にして自分の懐を温めようかということしか考えない、今の保守政党の連中には、期待するだけ無駄のようにも思いますが。

根本的な問題は、私たちが、この国をどうしたいかというところにかかっています。

目先の経済的利益を優先し、弱肉強食で、搾取される人が苦しむのを放置するような社会を目指すのか、そうではなく、経済的にも所得の再分配で健全な競争社会、そしていざとなれば助け合えるような共助の仕組みを手厚くするような社会を目指すのかということなのだと思います。

後者を目指したいと思う人が増え、選挙に行き、声を上げるような社会であってほしいと心から願っています。

2024年02月12日 > トピックス, 日々雑感

日々雑感~能登半島地震と「流体」「活断層」のことPart1

弁護士 折本 和司

2024年は、元旦から能登半島地震、航空機事故と波乱の幕開けとなりました。

地震については、かなりの方が亡くなられており、珠洲市あたりでは家屋の大部分が倒壊するなど、大変な被害となっており、心が痛みます。

被災された方々には心からお見舞い申し上げます。

まだまだ寒い時期が続きますし、本当に大変だとは思いますが、なんとか乗り切っていただきたいと思います。

今回の地震が起きてからいろいろな情報に触れながら考えたこと、思ったことなんかをつらつらと書き綴ってみようと思います。

長くなりますが、興味のある方はお読みください。

 

はじめに、ちょっと唐突ですが、火山のない和歌山に温泉が多い理由をご存じですか?

実は、去年、私は和歌山に2回も行ったのですが、その際にそんな疑問に触れました。

和歌山に2回行くことになったきっかけは、那智勝浦の色川という集落に住んでいる中学時代からの親友のお母さんが亡くなられたことでした。

遠く和歌山で亡くなられたお母さんのことを彼と一緒に偲び、見送ってあげたいと思い立って、久しぶりに和歌山に足を運びました。

帰ってから、今度はその話を横浜の弁護士仲間としていたら、その中になんと祖父が色川に住んでいたという友人がいて、そこから再度の和歌山行きが実現しました。

和歌山で楽しかったことはいろいろあったのですが、それはまたの機会ということで、ここから温泉の話をします。

 

和歌山にはあちこちに自噴の温泉があります。

旅行の際に泊ったのが川湯温泉というところで、その名のとおり、河川敷に湧く温泉に水着で浸かるのですが、移動中には「つぼ湯」で有名な湯峰温泉にも立ち寄りました。

湯峰温泉の場合、そばを流れる細い川にも硫黄の強烈なにおいが漂っていました。

ほかにも和歌山といえば、南紀白浜温泉あたりが有名ですが、旅の途中で、和歌山県には実はひとつも火山がないという話になりました。

なのに、なぜ温泉がこんなにたくさんあるのか、不思議に思ってちょっと調べたのです。

 

調べていくうちに知ったことですが、和歌山は今でこそ火山がないものの、1400万年前には阿蘇山よりもはるかに巨大なカルデラの火山があったのだそうです。

そのため、紀伊半島は火成岩で形成されており、太平洋に大きく出っ張って黒潮に面していながら、潮流に削られないであの半島の形を保っていられるのは、固い火成岩のおかげであり、那智の滝のむき出しの岩肌も火成岩だとのことでした。

それはともかく、ここからが本題です。

和歌山に温泉が湧き出る理由というか、メカニズムですが、それはユーラシアプレートの下にフィリピンプレートが潜り込んでいく中で、海水が引き込まれるのだそうで、引き込まれた海水が地下で熱せられて、豊富な地下水がその影響で温められて温泉となって湧き出るのだそうです。

実際、南紀白浜温泉の湯温は100度にもなるそうですが、私たちの足元の地球の奥深くには、人智などはるかに及ばない苛烈な自然が潜んでいるんだとそんなことを考えたりしました。

 

調べ終わった時には、「ふーん、なるほど」という感じで受け止めていたのですが、年が明けて能登半島で震度7の地震が起きた際に目にした地震のメカニズムに関するニュースを見て、「あれっ?もしかして」と思うようになり、そこから少し情報収集に努めました。

なぜかというと、能登半島の地震も、おおもとに遡れば、フィリピンプレートの潜り込みによって起きているということだったので、もしかしたら和歌山の温泉の話と共通する点があるのではないかと思ったからです。

聞きかじりの知識ですが、どうやらビンゴのようです。

能登半島ではここ数年群発地震が続いていて、一昨年の5月にもかなりの規模の地震が起きているのですが、この群発地震のメカニズムを研究している京大や金沢大等の学者が、一昨年の地震の際、以下のようなことをおっしゃっていたのです。

そのうちの金沢大学の平松教授の発言ですが、「この群発地震は、フィリピンプレートの潜り込みとそれに伴う大量の『流体』の影響で起きており、この流体の影響が海底の断層に及べば、さらに大きな地震や津波が起きる危険もある」と明言されていました。

そして、この正月にまさにその指摘通りの事態が起きてしまったわけです。

最近読んだ、東京工大の中島教授という方の研究成果の記事でも、「流体には浮力があり、この流体が地下断層に及べば、液体の影響で断層が滑りやすくなって、地震を誘発する」と記載されていました。

 

私は、今回の地震のニュースで初めて「流体」という言葉を知りましたが、プレートが潜り込んで、海水が引き込まれていくということであれば、火山帯がない場所に温泉が出るのとまったく同じメカニズムということになります(実際、能登半島の地下の流体は非常な高温のようです)。

実は、和歌山の温泉の情報に接したときには、このプレートの潜り込みというのは、紀伊半島の下くらいまでだと勝手に思い込んでいたのですが、そんな規模ではなく、プレートは日本列島を超えて、日本海側にまで潜り込んでいたというわけです。

この潜り込んでいるプレート(今回は位置的にフィリピンプレートなのかもしれませんが、伊豆半島から東側は太平洋プレートが潜り込んでいますから、同じことです)を舌にたとえると、日本列島は常にこの凶暴な震える舌の上に乗っかっていることなわけで、つくづく日本は地震に見舞われるリスクが非常に高い地理的な条件の国なのだとあらためて痛感させられます。

となると、日本列島では、いつどこで巨大地震が起きるかは本当に紙一重といえますし、この島国で暮らす私たちの日常や経済的繁栄なんて自然の驚異の前では砂上の楼閣にすぎないのかもしれません。

この話はさらに続きますが、長くなるので続きはPart2で書きたいと思います。

 

2024年02月12日 > トピックス, 日々雑感

日々雑感~「VIVANT」の最終回を予想する

弁護士 折本 和司

仕事に追われていると、行き詰って現実逃避をしたくなる時があります。私の場合、現実逃避で文章を書いたりすることがあり、たとえば、「カニーノの大冒険」という童話を以前書いたことがあるのですが、それも仕事に行き詰っての気分転換で生まれた作品でした。ここのところでもハードワークが続いているため、気分転換で、今話題の「VIVANT」に関する記事を書いたりしましたが、ちょうど最終回を目前にしているということもあって、どのような展開になるのか、ちょっと閃いてメモにしようとしていたら、そのまま文章が出来上がってしまいました。

というわけで、今週末の最終回の前だから意味がある?やもしれぬ「VIVANT」の最終回の展開を予測する記事を書いてみました(ただし、詳しいのは前半だけです)。

ちなみに、この文章は、昨日のうちに友人に読んでもらっていて、なかなか面白い考察だとの評価をいただいたので、ちょっと自信を深めてアップすることにした次第です。

なお、予測が大きく外れていた場合は週明けに即削除しますので、あしからず。

「VIVANT」最終回前半の展開

日本政府とバルカ政府の利権を我が物にしようとする一派が暗躍、テントや別班の中にも裏切り者がいることに乃木は気づいていた。

実はそれをベキとノコルにすでに伝えており、一芝居打つことにした。
まずは資金不足を一気に解消することで、相手の動きを早めさせ、その動きから裏切り者を炙り出すという作戦だ。
日本国内で別班の持つ企業の不利益情報を使った株の信用取引で1000万ドルの利益をあげることで、フローライト採掘に向けての目処が立ったことをテント内の裏切り者に知らしめる。
事態の進展に焦った裏切り者は、バルカ政府側にフローライトの情報を流しつつ、目障りな乃木を排除しようと動く。
裏切り者と繋がるバルカ政府の人間がフローライトのことを知っているとノコルに分からせる動きをして、乃木に疑いがかかるように仕向け、一方で、別班内にいるモニターから殺されたはずの別班のメンバーの生存情報をテント側に流させ、乃木が別班のスパイだとベキ、ノコルに思い込ませようとするのだ。
しかし、この作戦自体、テント内の裏切り者が、ベキ、ノコル、乃木、櫻井が仕組んだ罠に引っかかった結果であり、それによって、テント内、そして別班内の裏切り者が誰かが明らかとなるのだ。
別班側の裏切り者は長野専務、テント側の裏切りものはピキだった。
乃木から報告を受けていた櫻井は長野を疑い、バルカから戻った別班員の入院先の情報を長野だけに流しておいた。
ピキからの連絡を受けた長野は櫻井の仕掛けた罠にまんまと嵌って、乃木を陥れようとする計画に加わってメールを送り、墓穴を掘ってしまった。
野崎は乃木からの連絡を受けて、長野の逮捕に動く。
太田がブルウォーカーであることを知り、山本を動かしたのは長野だったことが明らかになる。
長野は別班に所属していながらテントに情報を流し、さらにはバルカ政府ともつながる三重スパイだったのだ。

この考察の根拠は、消去法です。前提として、別班の乃木がそうやすやすと正体や意図を知られて縛られるということは考えにくく、これは策略であると見ると、それは、テント内にいるバルカ政府側と繋がっている裏切り者を見つけ出すためということになるし、おそらく日本国内にもそのような人物がいるはずと読みました。そこで日本でのモニターが誰かとなるのですが、まず、死んだはずの4人の顔を知っている人物ということになります。しかし櫻井は顔を知られているので、そばでカメラを向けられて無反応ということはあり得ず、それ以外の人物となります。野崎、ドラムは、日本に送り届ける役目を果たしているので、4人の顔は知っていますが、ジャミーンの手術が日本で行われたことを知っており、ベキが生存を知り、驚いたことからして、彼らも違いますし、薫も同様です。となると、引っかかってきそうな人物は長野以外には思いあたらないことになります。そこで彼のメルアドを見返すと「777」と7が組み込まれており、7はテント内で何か意味を持つような使われ方をされている数字であるということ、死んだ山本が、太田がブルウオーカーであることを別の人間から聞いていること等から、長野が別班の人間であり、かつテントのモニターであると推測しました。そして、長野の密告メールをどんぴしゃりのタイミングで受け取ったのがピキであること、ノコルがピキの前で乃木を疑っている態度を露骨に示していることやフローライトの交渉にも関わっていること等から、テント内の裏切り者はピキと予想しました。というわけで、前回の後半の展開は、テント、別班双方の内側にいる裏切り者を炙り出すための罠だと見れば、腑に落ちます。

 

なお、「VIVANT」最終回の後半というかクライマックスについては、全然読み切れていません。もちろん、ストーリーの概略としては、乃木、ノコル、黒須、野崎、チンギスらが力を合わせて義賊であるベキの夢をかなえるという展開になるはずですが、ジャミーンの出自も不明であり、具体的な展開については想像すらつきません。ただ、おそらく、前半で明らかとなる裏切り者をうまく利用して、敵方に偽情報を流して罠にはめるといった流れがあるのではと思っていますが、そこから先は、敵方の人物がバルカ政府の大臣、日本大使くらいしか見えていませんので(もしかしたら丸菱商事も)、観てのお楽しみということにしたいと思っています(ずっと気になっているのは、ジャミーンの抱えているぬいぐるみと、山本の家にあった野崎がじっと眺めていた絵ですが、何か関係してくるのでしょうか?)。

もっとも、エンディングについては、ベキのある発言から推測して、おそらくシンプルなハッピーエンドにはならず、ほろ苦く、余韻を残すようなものになるだろうと見て、ある程度具体的な予想もしてはいるのですが、事前に書くのも無粋な気がしますので、ここでは触れないことにしました。

ともあれ、考察で盛り上がった「VIVANT」、最後まで楽しみたいと思っています。

 

 

2023年09月13日 > トピックス, 日々雑感

日々雑感~「VIVANT」と「シビリアンコントロール」

弁護士 折本 和司

この夏最大の話題のドラマとなっているTBS日曜劇場の「VIVANT」ですが、主演の堺雅人さんや阿部寛さんのファンだということもあり、またそれとは別の興味もあって、放送開始から毎回欠かさず観ております。

ドラマとしてみても、毎回あっと驚くような展開や仕掛けがあって非常に面白いと思いますし、ともすればちまちまと日常風景の中での出来事をなぞるようなここのところの日本のドラマと違って、スケールが大きく、テンポもよくてとても見ごたえがあります。

あと、なんといっても、堺雅人さん、阿部寛さんをはじめ、非常に芸達者な役者さんが揃っていて、その熱い演技力でぐいぐい惹きこまれるのも大きな見どころといえるでしょうし、話題となっている伏線と考察の盛り上がりも一興といえます。

ただ、何より私が興味を惹かれるのは、「VIVANT」が、自衛隊の裏組織とされる「別班」を扱っているということです。

この「別班」は、非合法組織と言われているだけに、それをどのような切り口で描くのかは、単なるエンターテインメントでは済まないところがあると思うからです。

なので、今回はそうした視点から「VIVANT」を取り上げてみたいと思います。

 

この記事の時点で「VIVANT」はすでに7回目の放送を終えていますが、実のところ、「別班」をどのように位置づけて描こうとしているのか、その全体像は未だ見えていません。

主演の堺雅人さんが「別班」の人間ということなので、普通に考えれば、正義のための組織のような描かれ方になる可能性もあります。

最もわかりやすい図式で言えば、国際テロ組織とされる「テント」と日本の警察組織の「公安」、そして「別班」の間の三つ巴のような展開が考えられます。

しかし、私はそのような展開にはならないと予想していますし、あの福澤克雄さんが練りに練った原作だけに、シンプルな勧善懲悪ドラマになるはずはないでしょう。

実際、第7回の終盤あたりでも、今後、一筋縄で行かないだろうなと匂わせる衝撃的な展開がありましたが、「別班」という組織を巡る複雑な背景(もちろん、それ自体はフィクションということになりますが)が明らかにされるに違いないというのが現時点における私の予想です。

 

ただ、ドラマの筋書きの予想というよりは、「別班」を単純な正義の味方のように描くことについては、やはりそれはあってはならないというのが私の願いでもあります。

なぜならば、この「別班」という組織は、実在するのであれば、憲法が定めたシビリアンコントロール(文民統制)の枠組みから逸脱する存在と考えるからです。

私がこの文章を書こうと思った理由もそこにあります。

そもそも、憲法66条がシビリアンコントロールを定めたのはどうしてかということを過去の歴史を踏まえて理解しておく必要があります。

それは、かつて、日本の軍部が力をつけ、暴走して、あの悲惨な太平洋戦争を引き起こしたことへの反省を教訓として、軍人、あるいは元軍人が権力の中枢に入ってはならないということであり、それゆえ、憲法に、わざわざそのような規定が設けられたという経緯なのです。

もちろん、文民のみと制限しても、侵略戦争を厭わないような人間が権力を握る可能性はあるわけですが、軍部を代表するような人間が権力中枢を担わないと定めておくことの「歯止め」としての意義は非常に大きいといえます。

このシビリアンコントロールの規定に従えば、内閣が承知しないような諜報機関のような組織が存在すること自体、非常に危険なことで、憲法上決して容認できないことといえるわけです。

ただ、ネットの記事やコメントを見ていると、緊張感の高まっている国際情勢の影響もあってか、「別班」のような組織が必要であるとシンプルに肯定的にとらえている人も少なからずいるように感じます。

しかし、大切なことは、諜報的な活動をする組織が存在していいかどうかということと、そうした活動をする組織について主権者たる国民が知り、チェックし得るようにしなくてはならないかどうかということは、分けて考える必要があるし、まったく意味が異なるのです。

国民が知り得ないところで、「別班」のような組織が暴走することを容認するようなことがあってはならないし、そのためのシビリアンコントロールなのです。

 

まあ、ドラマごときで、そんな原則論を振りかざすこともないだろうといった醒めた意見をお持ちの方もおられると思いますし、私自身、ドラマそのものについては、「007」や「ミッションインポシブル」のように楽しめばいいと思ったりもするのですが、やはり時に非合法な活動を厭わないとされ、シビリアンコントロールから逸脱する存在と位置付けられている「別班」だけに、単なる娯楽作のような描き方はされないだろうし、そうあってはならないと思うようになったわけです。

実は、私なりに、あと2週間余り後にやって来るドラマのエンディングを予想したりもしていますが、どうかシビリアンコントロールの大切さをどこかで感じられるような結末であってほしいと、そんなことを思いながら、引き続き、「VIVANT」をわくわくと楽しみつつ、視聴して行きたいと思っています。

そして、ドラマがエンディングを迎えたら、あらためてこちらで取り上げてみるつもりです。

2023年09月01日 > トピックス, 日々雑感
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